第五章 鍛錬、シテマス

剣士の真似事、シテマス

 何とか仕事にありつき、パン屋の給金で路上生活ながらも暮らして行けたアデルであったが、その心は常に晴れやかとは言えなかった。


「アデル君。昨日雨が降ったから窓を拭いてちょうだい」

「はい!」


 イネスの言葉に元気よく返事をしたアデルは、クロス片手に店の外で窓を拭いていると、やがて遠くから聞いたことのある、冒険者学園のかつての同級生達の声が聞こえてくる。


「俺も早く冒険に出たいなぁ」

「いつ連れて行ってくれますか?」

 その二つの声は、冒険の先にある栄光の未来への期待に満ち満ちていた。


「馬鹿野郎! ひよっこのくせに生意気言いやがって! 俺が言った鍛錬メニューをだな、泣き言を言わずやり遂げてからそういうことを言え!」


 新人の教育係をまかされた旅団の先輩冒険者だろうか、その言葉自体はきつくても、にやけた目と口は、今のアデルには決して向けられない、《仲間》の顔だった。


「あら、どうしたの? アデル君?」

 いつの間にか店内の隅に隠れていたアデルは、

「あ、あの……。ま、窓を拭いていたらデッカイ蜂が来て……ははは!」

とぎこちないいい訳を、イネスだけでなく自分にもしていた。


(鍛錬かぁ……。そういえばあれから何もしていないなぁ)


 これまで生きるのに精一杯だったアデルにとって、同級生と先輩冒険者の会話は、アデルに再び冒険者としての自覚を蘇らせていた。


     ※

(こんなもんかな?)

 仕事が終わったアデルは町外れの木の下に来ていた。


 以前、学園の講師が言ってた

《太古の剣士が行った剣技の鍛錬方》

を行う為、木の枝に薪を何本もロープでぶら下げていた。


「いくぞ! たぁ!」

 長めの薪を両手で持ち構えると、大きく踏み込み、ぶら下がった薪に打ち込む。


 ”カンッ!”

 木と木がぶつかり合う音が響くと同時に、反動で自分に戻ってくるのを慌ててよける。


「おっと! 結構難しいな。えい!」

 ”カンッ! ……カンッ! カカンッ! ……カンカンッ! ……カンッ!”


 アデルが鳴らす音はまるでキツツキのようにあたりに響き渡る。

 四方八方から跳んで来る薪を何とかよけて再び打ち込む。

 だがそれも長くは続かなかった。


 やがてアデルの体は鉛のように重くなり、ついさっきまで軽々と振るっていた薪は、今ではボーアの工房のハンマーかと錯覚するほど、アデルの腕にしびれを与えていた。


(くそっ!)

 アデルの脳裏に昼間の同級生の会話が蘇る。

 負けたくない気持ちが、わずかな燃料となってアデルの体を燃やす。


 しかし数発打ち込んだだけで早くもガス欠となってしまった。

(こ、こんなはず……、じゃあ)


 荒い呼吸がアデルの意識を途切れ途切れにさせる。

 とうとう、倒れるようにその場にへたり込んでしまった。


「なぁにしてんだ。おめぇ?」

 疲れていて全く気がつかなかったのか、いつの間にか目の前にはナインが立っていた。

 食事から帰ってきたのだろうか、口には爪楊枝を咥えていた。


「剣技の……、鍛錬です!」

 呼吸を整え”見てわからないのか”と、睨み付けながらアデルは声を飛ばした。


「ふ~ん、これが剣技の鍛錬ねぇ~?」

 鼻から抜けるような声を発しながら、木にぶら下がった薪を子供が遊ぶように、”カンッ! カンッ!”と音を鳴らす。


「邪魔しないで下さい!」

 疲れた体から声を絞り出して、再びナインに声を飛ばした。


「へいへい」

 ナインは二、三歩後退して、アデルの鍛錬を爪楊枝で歯を”シーハーシーハー”しながら眺めていたが、アデルが薪を落とし、両膝に手をついたのを見て再び話しかける。


「なぁ、一つ聞いていいか?」

「な、なんでしょう?」

 とうとうアデルには怒気を放つ気力すら残っておらず、素直に返事をした。


「さっきからおめぇ”何”と戦っているんだ?」

「”何?”って魔物じゃないですか! 冒険者は魔物と戦うんですよ」


 ”何を当たり前なことを!”とアデルの体の奥底から再び怒気が沸き上がってくる。

 だがナインはそんな思いをまったく意に介さず、薪を指ではじきながらアデルに尋ねた。


「ふ~ん、魔物ねぇ? も一つ聞くが、これは”なんて名前”の魔物だ?」

「……え?」

 全く予想外のナインの問いに、アデルの体も魂も固まった。


「そいつは一匹か? 二匹か? これだけ薪があるんだから一匹ってこたぁねぇよな?」

「え……? あ……?」


「そいつの持っている武器は何だ? 薪だからやっぱ棍棒か? まぁコボルトの持っている錆びた短剣も棍棒みたいなもんだからなぁ」

「あ……」


「その魔物とやらの体の大きさは? おめぇさんのだいたい上半身に向かって攻撃するみてぇだから当然大きいんだろうな? いやインプや吸血コウモリみたいに空を飛び回っている奴かなぁ?」

「……」


「最後の質問……。おめぇさんがさっきまで持っていた”武器”と、おめぇの腰に差してある”武器”は、なんなんだ?」


 からかうのでも馬鹿にするわけでもなく、ナインは抑揚のない棒読みみたいなしゃべり方で、アデルに対し淡々と、そして矢継ぎ早に質問をした。

「……」


 冒険者学園で講師に指され答えられない生徒のように、アデルは棒立ちとなり、ナインの顔を睨み付けていた目も、だんだんと首から胸、腰へと落としていった。


 ”チッ!”


 ナインの口から発した音なのか、風で枝や葉がこすれる音なのか、アデルの耳に入った瞬間、ズボンのポッケに入っていたナインの左腕、肘から先が一瞬かげようのように揺らめく。


 同時に”何かの塊”が、うつむいていたアデルの体前面にぶつかってきた。


「!」

 声を出す暇もなくアデルの体は後方へとはじき飛ばされる。

 背中から地面に落ちるとゴロゴロと転がっていき、うつぶせになってようやく止まった。


 何とか力を振り絞って体を起こそうとするが、体を押さえつけるようなナインの声が、頭上から重しとなって落ちてくる。


「なんでぇ《猪玉いのししだま》ぶつけたぐらいで、受け身もとれねぇでやんの」

 目の前に見えるナインの足はきびすを返し遠ざかっていくが、すぐさま立ち止まった。


「悪いことはいわねぇ……おめぇ、ヤゴの街から一歩も出るんじゃねぇぞ。でなければ今度は確実に……」

 一呼吸置いたナインの声は、今までの棒読みみたいな声ではなかった。


『魂ごと消滅するぞ!』


 冷たくも特大の剣のような言葉がアデルの魂に突き刺さった。


     ※

 元々起きている時間帯や、互いの仕事の関係で顔を合わすことは少なかった両者だが、あの日以来、出会っても特に会話を交わすわけではなく、淡々と日は過ぎていった。


 ナインにたしなめられたからか、アデルもあれから特に鍛錬を行っておらず、日々パン生地をこね、釜戸で焼いている日々が続いていた。


 パン屋の窓からいろいろな先輩冒険者や、旅団に入った元同級生達を見かける度、何かしなければとの思いにかられるが、何をしてもこの前のように失敗しそうな気がして、日々悶々とした日を過ごしていた。


 時折イネスが心配そうに声を掛けるが、

「だ、大丈夫です。ちょ、ちょっと鍛錬を張り切っちゃって疲れて……ははは」

と、再びアデルは、イネスと自分に嘘をついた。

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