コネコネ、シテマス

 ボーアから剣をもらい、何とか冒険者としての風体を取り戻したアデルであったが、ナインからもらった報酬も、日々少しずつ消費されていった。

 

 冒険者組合のクエストも、本の山のキノコ狩りができなくなった為、二~三レベルの冒険者達も初心者用クエストに手を出し始め、競争はさらに激化していった。

 

 主な初心者クエストは街や村を結ぶ駅馬者の護衛や、畑や果樹園を荒らす動物や魔物の退治である。

 

 前者はほとんど危険がなく丸儲けに見えるが、時間によっては終点の街や村で一泊しなければならなかった。

 旅団の団員や教団の信徒なら、その街の支部で素泊まりできるが、そうではないアデルには宿泊費で赤字が出る可能性があった。

 

 後者は魔物に出会う可能性はあるが、せいぜいゴブリンやコボルトであり、学園の卒業生でも何とかなる程度だった。

 それに、もし鹿やイノシシ、狐を狩ることができれば、肉や毛皮を売って報酬以上のボーナスが得られる魅力もあった。

 

 しかしキノコ狩りができない今、冒険者の卵達の世界は買い手市場になっていた。

 例えば一人十ダガネで二人募集の依頼を、旅団の新人同士で団結して一人五ダガネで四人で売り込むなどして、フリーのアデルにとっては、もはや交渉の席に着く余地すらなかった。


 それでも仕事はないかと、かつて働いたボーアの鍛冶屋へ行くが、

「すまんぞい。今の新米冒険者達が一皮むける秋冬頃には、一段上の武器防具が売れるから、あのナインの手すら借りたいが、今はわしですら衛兵さん達の武器防具の手入れぐらいしか仕事がないぞい。

 しかも衛兵さんは大事なお客さんぞい。こればっかりは新米の手を借りるわけにはいかんぞい」

 申し訳ない想いをにじませながら、ボーアの答えはつれなかった。


 帰り道でも仕事を探すが、店員募集の貼り紙すら見つけるのも難しいぐらいであった。

 例え見つけても既に決まったと返され、アデルの目の前でその貼り紙をはがされた。

 アデルの脳裏には、かつて歓楽街で出会ったあの金髪の少年の顔が思い出され、やがては彼の隣で花を売っている自分の姿すら想像していた。


「ねぇ君、ナインどこにいるか知らない?」


 広場のねぐらで膝を抱えて座るアデルに対し、四十前だろうか、エプロンをした婦人がナインの居所を聞いてきた。アデルは顔を上げ元気のない声で答えた。


「いえ、何も聞いてないです」

「そう、んも~こうなったらあいつの手を借りるしかないってのに……。ん、ねぇ君、ちょっと立ってみて?」


 言われたままアデルは立ち上がると、婦人はアデルの体をマッサージするかのように二の腕や太ももをまさぐり始めた。


「あの……僕、お金とかもってないですよ」

「ふんふん……なるほどね、ねぇ今度は両腕を横に広げて」


 聞いていないかのように婦人はアデルの体をあちこち触りはじめた。

 だんだんとその顔が上気し始める。

 近くで見ると、その顔にはまだあどけなさが残っており、その胸の膨らみはフランに勝るとも劣らない器量を持っていた。


 しかし婦人は、やがて鼻息を荒くしながらアデルの胸や尻……そしてとうとう

”ムギュッ”と股間を鷲づかみにした! 


「はひぃぃ!」

「よし! 合格! さっきお金ないって言ったよね! ついていらっしゃい! おいしいものを食べさせてあげるから。あ、そうそう、あたしは《イネス》、よろしくね」

 イネスは軽くウインクすると、アデルの手を引っ張っていった。


(あぁ、とうとうこの時が……)


『おいしいものを腹一杯食べさせてあげる』


 この言葉が貧しい少年少女を娼館へ連れて行く常套句だと言うことを、かつて学園の寮で耳年増の同級生から聞いていた。


 やがて二人は商店街の裏道を歩いていた。

 いろいろな店の裏側には木箱や樽が無造作に置いてあり、その間を通り抜けながら、ある店の勝手口のドアをイネスは開けた。

「ここよ。ささ、入って」

 ドアからは甘い匂いが漂い、アデルの体を包み込んだ。


(僕もこんな香りの香水や化粧をさせられるのか……)


と言われるまま入ったが、店内の光景はアデルの予想を大きく裏切っていた。


「ここは?」

「あたしのお店。見ての通りパン屋よ」


 部屋の中央にはアデルが楽に寝転がれるような大きさの机が鎮座しており、その上には小麦粉だろうか、白い粉がまだ幾分残っていた。


 壁には棚がいくつかあり、生地を発酵させる為の長方形や楕円形の篭があり、別の棚にはチーズや卵、生ハム、ガラスの瓶に入った砂糖、蜂蜜。


 そしてブドウやリンゴ、オレンジなどのドライフルーツやピーナッツ、アーモンドが種類別にきれいに並べられていた。


 床には岩塩の塊、小麦粉が入った麻袋、そして何より目につくのは壁一面を占領している黒光りした釜戸だった。


 その横には薪や石炭が置かれており、アデルはふとボーアの工房を思い出していた。


 ただ一つ違うところは、鍛冶屋にしろパン工房にしろ、火を使う職場には火星教団の聖印が掲げられているのが普通だが、釜戸には蒼き月の教団の聖印が付いていた。


「本の山の騒動は知っているでしょ? あれで帝都や各砦から応援の衛兵さんや調査の方達が大勢いらっしゃって、警備隊本部や役場や街の食堂の注文が増えちゃったの。

 しかも夜通し見張ってらっしゃるから、夜食分のパンも製造が追いつかないのよ。もうヤゴの街のパン屋はどこもパンク状態で、店員募集の貼り紙を書く暇すらないわ!」


 呆然とするアデルに向かって、有無を言わさずイネスはアデルに命令した。

「そこの噴水の水が入った樽のひしゃくで手を洗ってね。《男の子のおねしょ》や慰みの儀式で付いたもきれいにね。

 この布で髪の毛が入らないように頭を縛って、そうそうお上手お上手! いつかあたしも”縛って”もらおうかしら」


 準備ができたアデルにイネスは説明をする。

「まず棚にある全部のカゴに小麦粉を振って、次にそこの木のボールに小麦粉と卵、岩塩、砂糖、蜂蜜、そして”白濁した”絞りたてのミルク、そうそうしっかり力強く練ってね。

 あたしの豊満な胸を君の”若い情欲”で”存分に弄ぶ”ように……」


 時折変な言葉が混じる中、ボーアの工房で鍛えられたのが功を奏したのか、アデルはイネスに操られたゴーレムのように、てきぱきと作業をこなしていた。


 やがて勝手口が開き、年配の女性の声がアデルの耳に入ってきた。

「ただいまです。よいしょっと……。おや店長、新しい子ですか?」

 注文量が増えパン生地を寝かせるカゴを買いに行ったのか、ひもで縛ったカゴの山二つを、両手で軽々と抱えたドワーフの女性が裏口から入ってきた。


「あ、アデルです。よろしくお願いします」

 そういえば名乗っていなかったなと思い、慌てて自分の名を二人に向かって名乗った。

「よろしく、あたしは《カッペラ》。見ての通りのドワーフよ」

 ボーアよりは背が高く、イネスよりはさすがに太い体だが、ボーアと比べながら、ドワーフの女性って思っていたよりやせているんだなと、アデルは生地をこねながら思っていた。


 意外に速いペースでパン生地が篭に詰められるのを見て、カッペラはイネスに尋ねた。

「もう一山カゴを買ってきますか?」

「お願いできる? よそのパン屋さんも狙っているから急いでね」

「了解です」


 時折やってくる来客にイネスは応対し、アデルはひたすらパン生地を練ってカゴに詰める作業を繰り返していた。

 やがて作業場のあちこちには棚に収めきれないパン生地が詰め込まれたカゴが、ところ狭しどころか店内のカウンターの上や後ろの棚にまで置かれた。


「いや~助かっちゃった。今日は早く帰れそう。久しぶりに旦那孝行ができるわ」

「これだけあれば朝一に焼くだけで一日もちそうですね」

 カッペラは安堵の息をし、イネスは両手を胸の前で組み、小娘のようにはしゃいでいた。


「ありがとうね。本当は体で払いたいけど、今日は久しぶりに旦那と

《授かりの儀式》

をしたいから報酬はまた今度ね。それまでこの体を”磨いて”おくから!」


 ジト目でイネスを睨むカッペラなんかどこ吹く風で、イネスはアデルに対し笑顔を振りまきながら礼を言った。


「そ、そうですか……。じ、じゃあ僕はこれで……」

 何かいやな予感を感じたアデルはゆっくりと後ずさりして、勝手口のドアまで向かうが


「じゃあ明日は夜明けから焼くから、お・ね・が・い!」

 イネスはウインクをしながら両こぶしを口元へくっつけると、アデルにおねだりをした。


     ※

「お疲れ様でした!」

 一週間たてば慣れてくるのか、アデルの若い体はパン屋の仕事のあとでも余裕の顔が見て取れた。

 今日の分の給金を受け取ると、アデルは喜び勇んで駆けだした。


「本当助かるわ~。一時はどうなるかと思ったわ~」

 イネスの喜びの声を聞いたカッペラは心の中で

(店長のいやらしい話や体中まさぐる手にもにもめげず……)

と呟いてから

「アデル君、がんばってくれてます。うちが冒険者の子を雇ったのが功を奏したのか、旅団に卸している他のパン屋も、

『若い子をよこさないとパンを売らない!』

と脅しているみたいですよ。これで少しはうちも楽になります」


(チッ! その手があったか……。そうなれば青い果実を選び放題……)

 そう顔に書いてあるイネスの顔を、カッペラはあえて見て見ぬ振りをした。

 

 閉店後、勝手口の鍵をかけるイネスは、ふと何かの気配を感じると小さく叫んだ。

「でてきなさい! この”ろくでなし”!」


 木箱が積んである影からゆっくりと、男の姿が浮かび上がってきた。

「なぁにぃ待ち伏せ? ひょっとして、今夜デートに誘うとか?」

「そうしようと思ったんだけどね、その必要もなかったかな?」

 にやけた笑みを含んだ答えを、男はイネスに返した。


「だめよ今日は。旦那が久しぶりにお務めから帰ってくるから、腕と”体”によりをかけて旦那の”肉欲”を満足させようと思っているの。あんたの出番はな~し」

 機嫌がいいのか、茶目っ気を含んだイネスの言葉に、男は安心したように尋ねた。


「その様子じゃ”あいつ”は何とかやっているみたいだな?」

「アデル君? うん、彼はいい子よ。素直でまっすぐで純情で……。もう少し、いや私を押し倒すぐらい情欲があったら、昔のあんたにそっくりだったんだけどね」


「よせやい!」

 苦笑しながら男は腰の袋から木の器に入ったものを取り出し、イネスに差し出した。


「あらイチゴ! どしたのこれ?」

「ご機嫌伺いに持ってきたんだ。機嫌が悪くて旦那に当たったら、蒼き月の神殿が”崩壊”しちまうからな。……なんだよその眼は。ちゃんと買ったんだぜ」

「ありがとう。素直に受け取っておくわ」


 ”じゃあ”と背中を見せる男にイネスは話しかける。

「あの子が心配なら様子を見にこればいいのに……」


(んなこっぱずかしいことできるかよ……)


と男は背中で呟くと片手を挙げ、そのまま夜の街へと消えていった。


「本当、世話焼きなんだから……」

 

 ――イチゴの花言葉は《尊敬と愛情》《完全なる善》《先見の明》そして《幸福な家庭》。

 

 かつて蒼き月の教団のヤゴ神殿で《百里眼》と謳われた聖女は、イチゴの入った器を片手に帰路についていた。

 

 そして、蒼き月の聖騎士団長ヴォルフの師であり、今は聖騎士指南役であるハーフドワーフの夫の夕食と、今宵の授かりの儀式をどう彩らせるかを笑みを浮かべて考えていた。

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