第三章 路上生活……シテマス

茫然自失……、シテマス

 北の街道を広場に向かって重い足取りで歩きながら、アデルは一週間以上前に北門へ向かった自分の幻と何度も何度もすれ違っていた。

 

 冒険者という新しい生活と、波瀾万丈の冒険、まだ見ぬ財宝、異国の地、尊敬と栄誉、そしてまだ見ぬ美しい生涯の伴侶。そんな想いではち切れんばかりの体で、北の街道を北門へ向けて歩いている自分の幻に対して、


(止まれ! 行っちゃだめだ! 引き返せ! 思い直せ!)


と懸命に話しかけるが、そのたびにアデルの前から霧のように消えていった。


 広場にいた色とりどりの装備に着飾った多数の冒険者や勧誘の呼び声、屋台の旨そうな香り、新しい冒険に胸を膨らませる卒業生達の喧噪はアデルにとってほんの昨日の様にしか感じられなかったが、目の前の景色はすっかり日常を取り戻した夜の街に変わっていた。


 広場の噴水で水を飲み、そのまま座り込む。

 幸いにも衣服だけは残してくれたが、財布、学園からもらった薄い皮でできた軽鎧、組合で買った保存食からリュック、そしてマント、何より両親や村のみんなが餞別でくれた剣すらなくなったアデルは、すっかり抜け殻のようになり、膝を抱えて座り込んでいた。

 

 それでも腹は減ってくる。

 フランの店で食べた食事は決して量が多いとはいえなかったが、魂が体になじんでいない時はそれでも腹一杯に感じられた。

 

 しかし墓地から歩き、体も意識もはっきりしてくると、アデルの腹はおのが主に対し食事を要求してきた。

 

 匂いにつられるまま、アデルの体は飲食店が建ち並ぶ繁華街へと向かう。

 店の中では街の人間や冒険者が酒を掲げて乾杯し、旨そうな肉にかぶりつき、スープを飲み干していた。

 

 広場で屋台を出していた滝の山脈亭でも旨そうなステーキの香りがしてくる。だがその値札は屋台の時と比べて数倍だった。

 

 アデルのパンツには両親が困った時の為にと十ダガネ金貨二枚が縫い付けられている。いくらフランでもそこまで取らなかったのか、あるいは気がつかなかったのか、とにかく今アデルにある全財産はこれだけだった。

 

 組合に行けば過去の卒業生が使った中古の短剣と、ぺらぺらの皮鎧がそれぞれ十ダガネで買うことができるが、買ったところで学園を卒業したてで、旅団にも入れなかったアデルに仕事の依頼があるとはとうてい思えなかった。

 

 そんな想いで街をさまようアデルに、冒険者同士の会話が耳に入った。

 本の山周辺は帝国軍によって封鎖され、わずかに点在する近隣住民も、ヤゴの街や近くの村や町へ疎開を余儀なくされたと……。

 

 若い冒険者やアデルにとって最も重要なことは、まだ一攫千金のチャンスがある赤玉キノコ狩りが、本の山の封鎖によってできなくなったと言うことだ。

 

 絶望という名の重しがアデルの体にのしかかり、その足取りはさらに重くなっていった。

 

     ※

 夜も更けてくると人の流れは歓楽街へと移動していった。

 かつて学園の寮では、耳年増な同級生がさも見てきたように、歓楽街の様子やルールを得意げに話していた。

 

 アデル自身興味がないわけでもなく、当然レベルが上がりお金に余裕ができたらかなえたい欲望の一つに数えていたが、まさか今こんな状態で歓楽街をうろつくとは思ってもみなかった。


「冒険者のお兄さん、お花はいかがですか?」


 不意にアデルの目の前に、少女と見間違えるほどの白い肌に短い金髪の少年が話しかけてきた。

 

 その背格好と年はアデルとそう変わらなかったが、レベル一の冒険者の名に恥じない鍛え方をしたアデルの体に対して、目の前の少年は剣を持つことすらできないほど細い腕をしていた。


「この黄色い薔薇、とてもきれいですよ。一本いかがですか?」


 聞こえないと思ったのか、少年は再びアデルに話しかけるが、アデルはかつて寮で得意げに話す同級生の言葉を思い出していた。


「歓楽街ではよ~花は絶対買っちゃいけないぜ?」

「ま~たはじまった」

「なんでだよ?」

 二段ベッドが二つある冒険者学園の寮の一室では、毎夜恒例の猥談が始まっていた。


「花を買うってことは、その花を売っている女の人を買うってことだよ。当然花屋で売っている値段の十倍、いやそれ以上の値段なんだぜ。うっかり買うと言ったらそれこそ身ぐるみはがされて肥だめにポイされるぜ」

「まじかよ~?」

「絶対だな?」


 口では訝しげな風を装っているが、アデルを含めた他の三人の両の耳は、一言も聞き漏らさないようにと、両の耳たぶの大きさをさらに大きくしていた。


「実はまだあるんだぜ。花を売っているのは女の人とは限らない。俺たちと同じ年の男も売っているんだぜ」


「じゃ何かい? 男が売っている花を誰が買うんだ? ひょっとして美人のお姉さ

ん?」


「んなわけあるか! 同じ男だよ。しかも教官よりもごっつくてそれこそオークやオーガみたいな男なんだぜ!」


「そうか~教官がアデルを見る目つきが違っていたのはそういうわけか~?」

「ば……馬鹿いうんじゃねぇよ!」

 自分に話が振られたアデルは慌てて怒鳴りつける。


「じゃあさ、そんなごつい男が俺たちのような奴を買ってなにするんだよ?」

「そ、、そんなこと……き、気持ち悪くて言えるか~! 俺たちだってよ~いつ何時冒険者をやめて花売り男になるかもしれないんだぜ!」


「安心しろ。おめぇなんかだれも買わねえよ」

 部屋中に笑い声が響き渡るが、


「おまえら早く寝ろ~!」

 見回りに来た教官の怒鳴り声がアデル達の声をかき消した。


 そんなやりとり思い出しながら、目の前の少年に自分の顔を重ねる。


(僕も……いつかはこうなるのかな?)


「おい兄ちゃん! 後が詰まっているんだぜ! 買うのか買わねえのかはっきりしろい!」 

 いきなりの怒鳴り声にびっくりしたアデルはあわてて後ろを振り向くと、同級生達との話に出てきたようなごっつい大男が立っていた。


「す、すいません!」


 男を見上げながら謝り、慌ててアデルはその場を走り去る。


「へっへっへ、一本くんな」

「いつもありがとうございます!」

 花売り少年の無垢な声をアデルは走りながらその背中越しに聞いていた。

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