第8話 風の便り

***


 金曜日。風のない曇り空の午前。

 サンタ・マリア・イベーラ教会の門前は、珍しく騒がしかった。蹄が地面を蹴る音、ロバの鳴き声、荷車の車輪の軋む音。そして、「どうどう」とロバを操るガラガラ声が、教会の前の広場に響く。広場で待機していたルシタニウスは、喧噪の主が姿を現すなり、凝り固まった彼の表情筋が俄かにほぐれた。


「ジョゼ!!」

「よ~~う!来たぜぇ~!!」


 神父が呼ぶと、ロバに乗った初老の男が応えた。痩せ身で小柄な男だったが、そのガラガラ声はよく通り、威勢が良い。波打つ白髪まじりの頭と尖った白いひげを揺らし、片手を手綱から離して高く挙げている。

 ロバが止まると、ルシタニウスはジョゼに歩み寄った。彼は隣の街に住む運送屋だ。彼は本教会からの支給品をこの地に配達してくれている。ガルベール神父の代からの付き合いで、今でもこうして二カ月に一回の頻度でやって来てくれるのだ。今日はイベーラも居るが、彼女には事前に話をつけ、ジョゼの居る間は隠れて貰っている。彼女は特に気にしていない様子だったが、精霊をジョゼに見られると間違いなく面倒な事になると、神父が頼んだのだ。

「長旅お疲れ様。毎度毎度すまないな。」

「いいってことよぉ。久しぶりだなぁルーシィ!!」

 神父が声をかけると、ジョゼはロバから降り、にぃっと黄色い歯を見せて笑った。神父は渋い顔で頭を掻いた。

「だ・か・ら!ルーシィは止めてくれって、何度も言ってるじゃないか…。女の子じゃあるまいし。」

 ルシタニウスとジョゼは、特に身分も気にせずラフに交流している。ジョゼは口は悪いが、気さくでとても優しい人だ。ルシタニウスも、彼にため口で話されたり茶化されても別に悪い気はしなかったし、今のような関係が丁度良いと思っている。


 ジョゼがロバを繋ぎ終わると、二人は荷台の積荷を母屋の倉庫に運ぶ作業に入った。中身は主に聖職者の食糧やワイン、蠟燭や松明、そして布類だった。

 品物を消費して空になった箱は回収され、再利用される。だからルシタニウスはジョゼが来る時、いつも空箱を予め倉庫から外に出すようにしている。その準備だけでも、搬入は何倍もスムーズに行える。

 作業は三十分程度で終わった。神父一人だけの田舎の教会では、荷物の量も空箱の数もそれ程多くない。作業は三十分程度で終わった。今や倉庫は新品で満たされ、荷車には空箱が規則的に積み込まれていった。

「そういやルーシィ、お前さんちょっと男前になったか?」

 ジョゼは不意に、そんな事を訊いた。彼は空箱を荷台に括り付ける手を止め、ルシタニウスを見つめている。

「ええ!?そうかな…?」

 思ってもいない事を言われて、ルシタニウスは驚いた。

「あぁよ。前はもっとこう、お古のボロ雑巾みてえな顔してたぜぇ?」

「何だよボロ雑巾みたいな顔って。」

 神父が突っ込むと、ジョゼはガハハと笑って、再び手を動かしはじめた。

「けど、メシはちゃんと食ったみてえだなぁ?この間よりパンの空き箱が多いぜぇ。」

「あぁ、前よりは食べるようになったよ。」

「そいつぁいいや!お前さん、前はよく余らしてたもんなぁ!」

 体調を気遣ってくれるジョゼの優しさをありがたく思うと同時に、神父は内心どぎまぎしていた。確かに食べる量が増えたのは確かだが、それはイベーラが食事を出してくれるようになったからである。しかし、それを正直に喋る訳にはいかない。

「…よっし!これで一丁上がり!」

 そんな会話をしているうちに、ジョゼは作業を終えて立ち上がった。荷台の空箱は、革の帯でしっかりと固定された。

「そうだ、ジョゼ。この後少し時間いいかい?見せたいモノがあるんだ。」

「お?何だ何だあ?」

「こっちに来てくれ。」

 ルシタニウスは手招きしてジョゼを教会の前に連れると、扉を力強く開け放った。奥には、蠟燭に照らされた聖母像が見える。

 ジョゼはその光景にあんぐりと口を開けた。

「えぇ!?!?まさかお前さん、掃除したのかぁ?」

「実はそのまさかなんだ。」

「おいおい、どうしちまったんだよルーシィ!?この間まであんなにグデグデしてやがったのに!?」

 俄にも信じがたいという顔で、ジョゼはルシタニウスを見た。しかし、その瞳はキラキラと輝いている。

「あはは…実はひと月ぐらい前、早速酒を切らしてしまってね…何かしてないと気が狂いそうだったから、掃除でもやって気を紛らわせようと…。」

「ガハハハ!!なぁんだ!!そりゃあお前さんらしいや!」

 大笑いするジョゼを見て、ルシタニウスはほっとした。イベーラの事を内緒にしたい彼が礼拝堂の事をジョゼに打ち明けたのは、それがイベーラ本人との約束だったからだ。精霊に隠れるようお願いしたとき、替わりに「貴重なお客さんだから、お祈りしてって欲しいなぁ〜」と言われたのだ。そうなっては神父も断る訳にいかなかった。ジョゼには不慣れな嘘をついたが、彼は信じてくれたようだ。

「せっかく掃除したんだ。拝んでいってくれ。」

「アタボウよぉ!!久しぶりにを拝めるってのに、挨拶しねぇ奴がいるかってんだ!」

 そう言うとジョゼは、ウキウキした足取りで礼拝堂の扉をくぐった。


**


 礼拝を終えた二人は広場に戻り、荷台の近くに敷物を敷いた。荷物を運んだ後、こうして食事しながら談笑するのがお決まりになっていた。ジョゼは携帯していた干し芋をかじりつつ、久しぶりに教会を訪れた感想やら思い出話に浸っていた。ルシタニウスも新しいパンを早速つまみながら、彼との話を楽しんでいた。

「ああっ!!」

 ジョゼが急に大声を上げたのは、その最中だった。

「ど、どうしたんだよジョゼ?」

 ルシタニウスは豆鉄砲を食らった鳩のような顔をした。

「いっけねえ!危うく忘れるとこだったぜぇ。」

 ジョゼは慌てて胸元から白い封筒を取り出した。

「今日はお達しがあってなぁ!」

「何だ通達か!びっくりしたじゃないか…でも、何だろう?」

 封筒の中には「列聖会議の招集」と書かれた紙が入っていた。

 列聖会議は、教会の布教活動に貢献した聖職者や殉教者を、聖人として認定するかどうか決定する会議だ。聖職者なら誰でも参加できるし、誰でも聖人を擁立できる。会議は何十年間も開かれていなかったが、通達によると今年の末、王国首都の本教会で開かれるそうだ。

「ふうん…また急な話だなあ。」

「実はその会議、ちょいと胡散臭え噂があってなぁ。」

「…どういう?」

 ルシタニウスは身構えた。ジョゼは運び屋という職業柄、各地で多くの情報を耳にする。そして彼自身のゴシップ好きも相まって、噂話の情報収集能力は非常に高く、正確だった。

「何でも、一部のタヌキ共が、生きた聖人を立てるつもりらしい。」

「へぇ…って、はぁ!?」

 聖人認定は本来、死者を対象に行われる。生前に聖人となった例など、ルシタニウスは聞いた事が無かった。

「一体誰を?」

「カレ市のラモン司教さ。」

「……なるほど。」

 その名を聞いて、ルシタニウスは額を右手で押さえ、大きな溜息をついた。

 ラモンは大都市カレの司教であり、王国内の聖職者界隈で大司教に次ぐ影響力を持っていた。旺盛な出世欲と権勢欲を持ち、莫大な資金を集めて贅沢暮らしをしている事で有名だ。神学校時代のがめつい同期たちの間でも、カレ市の教会は人気の志望先だった。

「都市部の聖職者の大半はの息がかかっとる。が立候補すりゃ、おそらく聖人になるだろうな。」

「だろうな…。」

「しかも、聖人の擁立にかかる金が金貨千枚と来た。」

「な、何だって!?」

 ルシタニウスは頓狂な声を上げて、通達の紙を顔にぐいと近づけた。よく読むと、確かに「供託金:金貨千枚」と書かれていた。

「おいおい何だよこれ!小さい教会が建つ額だぞ!?」

「だろ?そんな大金ポンと出せるのはぐらいしか居ねえ。おそらくこいつぁ、教会本庁もグルだぜぇ。」

「世も末だな。今や金で聖人になれるなんて…。」

 ルシタニウスは吐き捨てるように言った。ジョゼの情報だから、恐らくこの噂は本当なのだろう。そう考えると、何だか嫌な気分になった。結局、がめつい人ばかりがいい思いをするのだ。

「ホントは聖人てなぁ、ガルベール爺さんみてえな方が成るべきなのになぁ」

「あの人が聖人!?まさか…」

 ジョゼがポツリと零したその言葉に、ルシタニウスは目を丸くした。彼には、嗄れ声で怒鳴ってばかりだった先代が、聖人という神々しい存在に相応しいとは思えなかった。

「お前さんは確かに、爺さんに大分シメられてたからなぁ。けどよぉ、あの方は立派な方だぜぇ?そうだルーシィ、今度の会議で爺さんを擁立してくれよ。」

「まぁ、ラモンよりはマシかもな。そしたらジョゼ、供託金は君が用意してくれ。」

「おいバカヤロウ!!金貨千枚も出せたら、こちとら運び屋なんてやってねえってんだよ!」


 嫌な噂でも、談笑の花は咲く。二人の笑い声は、広場中に響いた。

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