第5話 難しい質問

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「いや〜意外だったなあ!」

 イベーラは神父のベッドの上に身を投げ、ニヤニヤと笑った。

 食器や鍋を片付けた後、二人はルシタニウスの部屋に移動していた。神父はベッドの近くの小さな椅子にもたれ掛かっている。

「キミはてっきり少食なのかな〜と思ってたのに〜」

 神父は一人になって以来、食事はほとんどパンとチーズ一切れで済ませていた。初めて彼の食事を目にした時、精霊は酷く心配していたのを思い出した。しかし今日は、かつて飽きる程食べていた平凡なスープを夢中にかき込んでいた。気づいた時には、鍋一杯をまるまる食べ切っていたのだ。

「…正直、僕も驚いてます。」

「お掃除頑張ってくれたから、きっとお腹すいてたんだよ。」

「そうですかね…スープは久々でしたし。」

「あ!やっぱりアレ、前に出てた料理だったんだね。」

「はい。」

「どうだった~?」

「昔と同じ味だったんですけど…何か、昔より美味しく感じました。」

「そっか!良かった〜上手くいって。」

 精霊はベッドに寝転んだまま、満足そうに拳を突き上げた。


 その後、二人は今後の仕事について話した。

「お掃除も終わった事だし、今度はお祈りとミサだね〜。大丈夫そう?」

 精霊はうつ伏せで、右手で頬杖をついて神父に問いかける。 

「はい。神父としてやるのは初めてですけど、神学校で作法は学んでますから。」

「いいね〜!流石じゃん~!」

「でもミサって、神父だけで成り立つんでしょうか?街がああなってしまった以上、足を運んでくれる人はもう…」

「うん…そこはひとまず、神父一人で出来る事だけやる事になるかな〜。」

「何か虚しいですね…」

「そうだね〜……嫌?」

「…いえ、やりますよ。礼拝堂、折角綺麗にしたんですから。」

 正直に言えば、嫌だと言う気持ちが無い訳では無かった。だが地獄に落とされかけてる身で、流石に嫌だとは言えない。それに、今言った言葉は紛れも無い本心だった。

「…そっか。それならいいんだ〜。」

 イベーラはそう言うと、ごろんと身体を転がして仰向けになった。

「…あのさ。凄い事訊いてもいい?」

 やがて、精霊は天井を見つめながら言った。

「す、凄い事…?」

 神父は少し身構えた。精霊から改まった雰囲気を感じたからだ。彼女は真剣な話をする時、間延びしたような普段の口調が消える。


「キミはさ、どうして逃げないでいてくれたの?」


「……!?」

 ルシタニウスの体がびくりと動いた。胸がざわめき、額には嫌な汗が噴き出してくる。体に深く突き刺さったトゲを、不意に触られたような気分だった。

「数年前、街でがあって…こうしてキミは一人になった。ここの精霊のアタシが言うのも変かもしれないけど、キミには逃げるって選択肢もあったはずだと思う。現に街から逃げた人、沢山いたでしょ?けど、キミはそうしなかった。それはどうしてかなって。」

 ルシタニウスは黙ったまま、渋い顔で頭を掻いた。その質問に対する答えが、彼の中に一つに纏まっている訳では無かったからだ。それらを言葉に変換するは、彼にとって複雑で難解で、気の滅入る作業だった。

「…ど、どうしてまた急に?」

 考えを纏める前に、神父は訊き返した。神の遣いである精霊が訊く事だ。審判の判断材料にされる可能性が高い以上、何でも正直に話しては危険かもしれない。

「キミというヒトの事を、もっと知りたくなったから。精霊の役割とは関係無しにね。」

「は、はあ…」

 思っていたより単純な答えに、神父は拍子抜けした。

「だから、キミの心のままが知りたいんだ。キミの答えは二人だけの内緒にしてあげるから…ダメかな?」

「…本当ですね?」

「もちろん!」

「…わかりました。」

 神父は安心して頷いた。不思議と、イベーラが嘘をついているようには見えなかったからだ。

「でも、頭の中で全然整理できてなくて…何と言っていいやら…」

「そうしたら質問を変えようか…キミはここから逃げたいって考えた事はある?」

「す、凄い質問ですね!?」

 神父の声が裏返った。精霊の口から、ここまで大胆な質問が飛んでくるとは思っていなかった。

「ん?そうかなあ?」

 あっけらかんとした精霊の態度に閉口しつつ、神父は額の脂汗を手の甲で拭った。心なしか、少しだけ頭がスッキリした気がした。

「…正直言うと、何回かあります。」

「やっぱりそうだよね…」

「すみません…」

「謝んないでよ。でも、それでもキミは逃げなかったんだね?」

「結果的には…ただ、逃げなかったというより、逃げるのを諦めたって言った方が正しいかもしれません。」

「逃げるのを諦めた。」

 精霊は彼の言葉を繰り返した。スープの味をじっくり味見するようだった。

「…じゃあ、それはどうしてなのかな?」

「う~ん…色々あったんですけど…一つはその、逃げるアテが無くて…。」

「頼るヒトがいなかった、と。」

「はい。他の人はどうか知りませんが…僕は孤児院育ちで家族も居ないですし、何かコネがある訳でも無いですし…」

「そうなんだ…逃げようにも逃げ場が無かったんだね。」

「はい…」

「…他にはどんな事情があったの?」

「それから…仮に逃げたとして、その後どうやって生きていくんだろうって思って…。」

「あぁ…確かに。」

 聖職者の規律として、神父は自分の教会での生活が義務付けられている。外出は可能だが、年の三分の二以上自分の教会を留守にする事は基本的に許されていない。

「逃げたら規律違反で、最悪免職になります。少なくとも、また神父になるのは難しくなりますし…」

「そうだよね。今の地位を取るか、逃げるのを取るかだもんね。それでキミは地位の方を取ったんだ。」

「はい…」

「それだけこの仕事に拘ってるんだね。」

「…今まで神学の勉強しかして来なかったですし、聖職者以外の道は考えられません。それに…」

「それに?」

「…実は、神学校の同期達は皆、都市部の大きな教会に赴任してるんです。」

 ルシタニウスは、この地に来る前に在籍していた神学校について話した。そこは比較的歴史の浅い新興の学校だったが、伝統ある神学校に引けを取らない学力を持っていた。生徒は出世欲が強く、抜け目ない人間が集まっていた。彼らは聖職者となった後に自分が少しでも地位の高い教会に配属されるよう、野心的に行動していた。

「…奴らは出世して金儲けしたいって連中ばかりで…。そんな奴らばかりが良い思いしてるって考えると何だか悔しくて…」

「なるほど…キミも負けず嫌いなんだね。」

「…まあ、結局奴らには負けっぱなしなんですけどね。神学校では成績もそこそこでしたし、駆け引きや競争は勉強より苦手でしたし…でも、今のまま終わるのだけはどうしても嫌だったんです。」

「そっか…」

 少しの間、イベーラは考え込むような仕草を見せた。


「そういえば、キミはどうして聖職者になろうと思ったの?」

「……え?」


 精霊がポツリと訊いた質問に、ルシタニウスは豆鉄砲を食らった鳩のような顔をした。

「キミが神学校を目指したり、聖職者になろうと頑張った目的って何だったの?他の子達はお金や出世だったみたいだけど…」

「……すみません、考えた事も無かったです…」

「ええ!?でも、同期の子達に対抗心を持ってたんじゃないの!?」

 精霊は目を見開いた。神父はまた頭を掻いた。

「そうですけど…それは奴らみたいな考え方に何となく馴染めなかったってだけで…」

 過去を振り返っても、理由らしきものは見当たらなかった。神父は仕方なく、精霊にこう言った。

「…強いて言うなら、孤児院の先生にそう言われたから、ですかね…」


「……ふふっ、ははははは!!あはははは!!」

 少しの沈黙の後、突然イベーラが笑い始めた。文字通り腹を抱えて、ベッドの上で身をよじらせる。

「な、何ですか急に!?」

「ごめんごめん…でも…ふはは!そっかそっかあ!」

「…もしや、馬鹿にしてるんですか?」

「違うよ~!ただ、キミは思ってたより良い子なんだな~と思ってさ。」

「何ですかそれ…」

 一人で楽しそうにしている精霊を見て、神父はどこかもやもやした気分になった。

「でも何より、知りたい事が知れてよかった!キミは頼る先も無いし、聖職者を辞めたくなかったから逃げなかったんだね?」

「まとめると…そうですね。」

「わかった〜ありがとう!キミも災難だったねえ…」

 そう言うと精霊は、起き上がってベッドから降りた。

「話してくれたお礼に、いいモノ見せてあげるよ!」

「い、いいモノ??」

「そ!横になって!」

 精霊はキラキラした目で、先程まで自分が寝ていた神父のベッドを指差す。神父は言われるがまま、不安そうにベッドに寝そべった。胃の中のスープがたぷんと揺れた。

 すると、精霊は枕の近くに立ち、神父の額の前に掌を差し出した。

「じゃあ、いくよ~!」


 次の瞬間、ルシタニウスの視界は光で覆いつくされた。

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