本当の贖罪

 もうすぐ処刑だ。私は、此処で惨めに死ぬ。

 そう心を決めた瞬間、左手首が痛くなった。

 見なくても、私が死ぬ為に自分で切り裂いた傷が開いているのがわかった。

 その痛みは私の心を殺し、何にも感じなくしてくれる――――。


「マリカ! 死で全て赦されると思っているのか!?」


 未だに掴まれたままのアルファが言った。


「オレがマリカを最後まで案内したのは、死なせる為じゃない!

 自分勝手に忘れた罪を思い出させたかった。そして償わせたかった。

 しかしその償いは死じゃない! 現実世界に戻らせることだ!

 もし死んで欲しかったなら、最初に会った時に殺してた!!」

「……だから全てを思い出させて、苦しませたかったんだろ?

 今更……お人形らしく、しおらしく振る舞ったって遅いんだよ!」


 嘲笑を浮かべたスキアは、乱暴な言葉と共にアルファを放り投げると、私に向き直った。輝くナイフを手慣れた手つきで弄んでいる。


「すぐに楽にしてあげるよ。俺が、兄として……唯一出来ることだから」

「…………あなたは、お兄様じゃないわ」

「何?」

「私のお兄様は、リヒトだもの」

「リヒト? 誰だよ、それ……」

「此処で会ったの。一番最初に」

「そんな奴、いないよ」

「い、いないわけない! 会ったもの! 彼は」

「いないよ? マリカに兄なんか……だから俺がいるんだから。

 幻想の中でしかいない、マリカの双子の兄として……」

「あなたは、私の一部でしょ!? 違う! お兄様なんかじゃない!!」


 スキアは、真顔になった。私そっくりの顔なのに、別人のように見えた。


「もういいよ。もう何も考えなくていい。

 もう二度と、苦しまなくなるから――――死ね!」


 私は、迫るナイフよりも、ユリカお姉様を見た。

 お姉様の赤黒い瞳からは、涙が流れていた。

 どうして泣くの? 私が目の前にいるから?

 大丈夫よ、私は死ぬから。しっかり見ていてね……それと、最期に。


「お姉様……あなたの妹に生まれて、ごめんなさい……」





 ナイフは、いつまで経っても私の身に届かなかった。

 覚悟を決めて瞑っていた目を開けたら、ナイフは目の前で止まっていた。


「一体、いつまで苦しむつもりなんだ……スキア」


 黄色い髪、純白の服……リヒトが凶刃を止めていた。

 漆黒の服を着たスキアは、一目でわかるほど狼狽していた。


「う、うそだ……ばかな……なんで」

「スキア。君も既に分かっていると思うけれど、茉莉花まりかは死に切れなかった。

 手首を切って、出血のショックで茉莉花が気絶してすぐのこと……起きていた英梨花えりかが見つけたんだ」

「そんな、有り得ない……真夜中だったのに」

「英梨花は、茉莉花のことをずっと心配しているんだ。百合花ゆりかが死んで」

「殺した妹だからだろう?」

「茉莉花は、殺してない! 誰も殺してないよ! 百合花も、自分自身もね。

 そして……まだ死んでない茉莉花は、現実世界に戻れるんだ!」

「楽になりたくて此処に来たのに、お前も辛い世界に戻すのか!?

 此処で死んだ方がマリカは苦しまないのに……兄なら……マリカの本当の幸せを考えたらどうなんだ!!」

「仮初の幸福だけの異世界で、本当に幸せになれるとは思えない!

 だから、辛い現実と本物の幸福がある、現実世界に戻すんだ!!」


 スキアとリヒトの力は拮抗しているようだった。

 スキアに投げ飛ばされた後、今ようやく体勢を立て直したアルファが私を見て怒鳴った。


「――――おい、マリカ! お前も諦めてないで、毛糸くらいブチ切れよ!!

 マリカは、最後まで、ちゃんと自分で思い出した。

 全部思い出して絶対帰るって、言っていたじゃないか!

 現実世界に、家族の元に帰りたいんだろ? 本当は帰りたいんだろ!?

 死にたいなんて嘘だ! 今はもう、死にたいなんて思ってないんだろ!?」


 アルファの声を聞いたリヒトは、叫んだ。


「アルファ! オルゴールを!」

「は!?」

「オルゴールを見てくれ! 君なら、覚えているはずだ!」

「――――わかった!」


 ビスクドールは、すぐに駆け出した。しかし、床に転がったオルゴールに手を掛けたところで、リヒトを突き飛ばしたスキアは足蹴りを再び繰り出した。

 今度は避けられず、蹴り飛ばされたアルファは嫌な音を立てた。

 床に突っ伏したアルファを、スキアは容赦なく踏みつけた。


「やめてぇ!!」


 思わず叫び、両腕に力を込めた。

 毛糸は頼りない音を立てて、今にも千切れそうだった。


「動くな、マリカ!」


 スキアは、アルファを踏みつけたまま、ナイフを私に再度向けた。

 その表情には……どこか、焦りと怯えが入り混じっていた。


「同じことを何度も言わせないでくれよ。わかっているんだろ?

 もう、死ぬしかないんだよ。現実世界に帰ったら……苦しむことになる」

「……そうね。とても苦しくて、悲しい現実が多いわ。

 現実世界では百合花お姉様は死んでいるから、二度と会えない。

 英梨花お姉様とは、どう関わっていいのかわからない。

 蓮花れんかは、私のことを怖がっている。

 険悪になってしまった家族との仲を修復するのは、容易じゃない。

 長い時間が掛かるかもしれない……或いは、直せないかもしれない。

 そして……明亜あくあでさえ、本当の意味で私を愛してはくれない……」

「そんな世界に帰って幸せになれると思っているのか?

 此処なら、全ての望みは叶う。全て、なかったことにも出来る!

 両親や二人の姉、そして妹と楽しく暮らしたりとか、自分のことだけを愛してくれる理想の恋人とか……欲しいものは何でも手に入るのに」

「――――とても素敵な世界ね」

「ねえ? もう一度、全てを忘れよう? そうしたなら、殺さないから。

 余計な存在は消して、望む物だけを集めて、幸せな日々を送ろう? 永遠に」


 私は、深呼吸した。答えは、一瞬で決まった。


「ごめんなさい、スキア。私、此処にはいれないわ」

「ど、どうして!?」

「四姉妹で幸せに暮らす事は永遠に叶わない……それは、とても悲しい。

 でも、百合花お姉様のことを考えれば、私は幸せに生きてはいけないのよ。

 罪があるまま、辛い現実世界で、生き続けること。

 ……それが、私がすべき本当の贖罪なのだと思うの」


 スキアは、表情を悲しみに歪めると、頭を抱えて絶叫した。

 その叫び声で、私の胸は深く切り裂かれたような痛みを覚えた。

 全てに絶望して死を望んだスキア私の一部は、苦しみながらゆっくりと消えていった。その姿が完全になくなった後も、私の胸は痛み続けた。

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