異世界の最後

 私は、毛糸を力任せに千切った。

 見ると、ユリカお姉様は忌まわしい瞳を閉じていた。

 まるで眠っているかのような美しい顔を見ていたら、胸の痛みは増した。

 涙は出なかった。涙で視界をぼやかすことも許されない気がした。

 しっかりと、死んでしまった姉を見据えて、私は――――。


「ごめんなさい、ユリカお姉様」


 私は、もう一度、きちんと謝罪した。

 謝って済む問題ではないことは、わかっている。

 でも、謝りたかった。もう……あちらでは二度と話せないから。

 帰る意志を持って謝罪の言葉を口にしたら、まるで角砂糖が紅茶の中で解けるように、ユリカお姉様の身体が光の粒になって輝きながら消えた。

 慌てて周囲を見るとエリカお姉様も、レンカも、光になって消えていく。


 私の心が創り出した幻像が、消えてしまう。永遠に。


「……リヒト!」


 振り返ると、やっぱり彼も消えようとしていた。

 スキアとの乱闘で、口元を隠していた布が取れたらしい。

 一目で双生児の兄だとわかる顔立ちをしていた。


「助けてくれてありがとうございます……お兄様」

「最後まで、よく頑張ったね」

「お兄様のお陰です。お兄様がいなかったら、私は諦めていました」

「ううん。頑張ったのはマリカだよ。

 そして帰ることを決意してくれて、ありがとう」

「……お兄様は消えてしまうのですか? もう会えないのですか?」

「こうやって話す事も、ボクの姿を見る事も、出来ないね。

 でも、マリカの味方であることは変わらないし……見守っているから」

「――――はい。本当にありがとうございました」


 頭を下げた私は、もう一人……ここまで支えてくれた存在を探した。


「アルファ!」

「あぁ?」

「あなたも、消えてしまうの?」

「世界が消えるんだから当たり前だろう?

 でも現実世界にも、オレはちゃんといるから。

 ただ普通のアンティークドールだから話せないし、動けないけどな!

 でも……マリカは、もうお人形遊びする歳じゃないから関係ないか」


 アルファの小さい身体は、すぐに光に包まれてしまう。


「わ、私っ……まだ謝ってない! 全てを思い出したのに、まだ……!」

「ちゃんと最後まで思い出してくれただけで……嬉しいよ。

 それに……オレのことも……またいっしょにいられて、うれしかった」

「アルファ! 待って!」

「マリカ、オルゴールをならしてくれないか?

 みんながすきな《アメイジング・グレイス》……もういちど、ききたい」


 私は、すぐにオルゴールを拾い上げて、ネジを巻き直した。何度も床に落としたから、動くかどうか心配だったが……私の杞憂に終わった。

 一つ一つのメロディが、私の心に入っていく。


「――――えっ?」


 何気なくオルゴールを見たら、箱の中は空だと思っていたら二重底だった。

 板を取り出すと、精密な音楽を奏でる装置と……四つ折りの紙が入っていた。


「ねえ、これ!」


 発見に興奮して、顔を上げたら部屋には誰もいなかった。

 ユリカお姉様も、エリカお姉様も、レンカも、リヒトお兄様も。

 ……そして、アルファも。



 静まり返った部屋で、私は一人ぼっちになった。

 私は、深呼吸をしてから、取り出した四つ折りの紙を開いた。

 白地に綺麗な百合の花が描かれた、美しい便箋だった。


《マリちゃんへ。

 どうしてでしょう。

 死ぬと決めたら、マリちゃんに手紙を書かなくてはならない。

 そう思いました。多分、直接は話せないからだと思います。

 まず、最初に伝えたいことは……自らの手で命を絶つという選択をした私を

どうかゆるして下さい。

 これは、両親や他の妹達にも言うべきなのかもしれません。

 本当に弱い姉で、ごめんなさい。家族を悲しませることになる罪深い事だと

わかっていても、私の死ぬ決意は変わりません。

 このタイミングでの私の自殺を、ひょっとしたらマリちゃんは自分のせいだと思うかもしれません。でも、それは違います。

 今、私は生き続ける事が苦痛なのです。とても苦痛なのです。

 このまま息をしていたら、私は醜い化け物になりそうなのです。

 嫉妬と憎悪に狂った、醜悪な私の姿を愛する家族に見せたくありません。

 そうなる前に……人間である間に……私は、死にたいのです。

 そんな自分勝手な理由で死ぬのです。本当にごめんなさい。

 19年間、敬愛する両親、そして大好きな妹達と暮らせて私は幸せでした。

 どうか、私の分まで幸せに生きて下さい。さようなら。

                           黒条園 百合花》


 熱くて大粒の涙が、ぼたぼたと紙に落ちた。

 息苦しくなった私は大声を上げて、泣いた。泣いた。

 そして、ごめんなさいを言い続けた。

 もう何処にも存在しない、大切な人に。

 私が憧れて、世界で一番大好きだった……姉に。



「――――マリちゃん」


 懐かしい声がして、思わず振り返った。そこには。

 もう二度と見る事が出来ないと思っていた、姉がいた。


百合花ゆりかお姉様ぁ!!」


 私は、その姿が消えてしまうのを恐れ、すぐ駆け寄って抱きついた。

 そのぬくもりは、私の記憶通り。確かに、彼女はいた。


「マリちゃん……貴女を苦しませてしまって……本当にごめんなさい」

「違う……違うっ!! 私が悪いの! 私が、わたしがあぁ!」

「マリちゃんは、悪くありません。これっぽっちも。

 悪いのは……私の弱すぎる心。弱すぎた私自身ですから。

 もう、自分を責めたりしないで。自分を悪者だと思わないで。

 だってマリちゃんは、何にも悪くないのですから」

「私は……私は……百合花お姉様さえいなくなれば、明亜あくあと付き合えるのにと思いました! お姉様の恋人を好きになったばかりか、お姉様の存在を否定するようなことを思ってしまった……! 私は最低です。

 あの日だって……百合花お姉様の前で、わざと明亜が恋人だと言いました!

 だからお姉様は、浮気相手が実の妹である事実に絶望して、自殺を!!」

「いいえ。それは間違いですよ、マリちゃん。

 確かに……多少なりともショックは受けました。

 けれども私は、その後なんとか、もう一度立ち直ったのです。

 マリちゃんが初恋をした……人を好きになる喜びを、生まれて初めて知る事が出来たのだと、良い方向へ考えようとしました。

 そして明亜との関係を、しっかりと清算しようとも考えていました」

「……それなら何故? 何故、お姉様は自殺など」

「その手紙にも書きましたが……内容を一部、割愛しました。

 自殺する前日――――私は明亜と最後に会って話をしました。

 そして私は……明亜が、不特定多数の女性と交際している事実を知り、打ちのめされたのです。明亜は相手が好意を示せば、対等の好意を返すのが当たり前だと思っていました。けして不真面目な遊びなどではない。どの付き合いも本気で真剣そのもの、だと。ですが私は……耐えられませんでした。

 話を聞いて、私は顔も名前も知らない、多くの女性達を憎悪しました。

 最愛の恋人でもあった明亜にも、殺意に準ずる気持ちを抱きました。

 そして――――マリちゃんにも……少しばかり負の感情を抱いてしまって……そこで我に返って絶望しました。私は……なんて醜い人間なのだろうと。

 しかし、抑えたと思っていた負の感情は治まるどころか、だんだん増えていき四六時中、私を苛みました。19年の間で、一度も経験した事のない苦しみの中このままでは、いずれは全身に巡り、私が私でなくなってしまうかもしれないと恐怖を覚えました。

 だから私は自分を守る為に、死を選んだのです」


 話をしながら私の涙を拭い、優しく脳天を撫でる綺麗な指。

 私は、この感覚が大好きだった。今まで、ずっと忘れていた。


「マリちゃん。全てを思い出した貴女は、これから現実世界に帰ります」

「……えっ!? 嫌、百合花お姉様と別れたくないです!!」

「私も辛いです。でも……もうお別れの時間です。

 一時だけでも、またこうしてお喋りが出来て、とても嬉しいです」

「百合花お姉様……!」


 再び私が抱きつくと、今度は百合花お姉様も抱きしめ返してくれた。


「…………ありがとう、百合花お姉様」


 私の目の前に現れてくれて、ありがとう。私を赦してくれて、ありがとう。

 ふと足元から、まるで蛍が生まれ出るかのように、光が上がって来た。

 あっという間に光に全身が包まれていく。まぶしくて、目を開けているのが辛くても、私は最後まで百合花お姉様の姿を見ていたかった。


「マリちゃん! どうか……どうか私の分まで、幸せに生きて!!」


 必死に我慢したが遂に耐え切れず、目を瞑ってしまう直前、百合花お姉様は叫んでから、にっこりと優しく微笑んだのが見えた。

 返事をしようと思ったが何故か身体の自由がきかず、今現在立っているのか座っているのかわからなくなっていき……ついには意識を失ってしまった。

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