カリユアーネ
しかし……喋るぬいぐるみは初めて見たが、これがよく喋る、喋る。
ゆっくりのんびり喋るニューの話を聞いてから、遅くても10秒以内に返答を言い終えるミュー。
話の内容は、他愛もないものばかりだ。
「今日は良い天気だね」「何して遊ぼうか」「好きなお菓子の話」……。
「おい、お前ら」
ついに我慢の限界に達したのか、アルファが会話に乱入した。
今、ぬいぐるみ達が話しているのは「何色のペロペロキャンディーが、一番美味しいそうか」だった。
「あぁ~……アルファ~? あのさぁ~」
「どうでもいい話は、後だ!
これからマリカを何処に連れて行けばいいと思う?」
「王道はぁ~……やっぱりぃ~……白とぉ~……ピンク色だよねぇ~?」
「話を聞け!!」
苛立っているアルファの右肩を押す、ウザギのぬいぐるみ。
「ナンダヨ! シツモンニコタエロヨ!!」
「ミュー、お前は聞いていたよな?」
「ホワイト&ピンクハオウドウ!!」
「そっちじゃねええ!!」
人形とぬいぐるみなのに、全く話が通じない。
私は不毛に近いやりとりを見て、頭を抱えたくなっていた。
言い争っている彼らを尻目に、私は一人で足を進めた。
……忘れている家族を全員思い出せば、私は現実世界に帰れるのだから。
妹、
私が物怖じせず行動すれば、早く帰れるかもしれない……!
私は、見慣れた廊下を歩いた。ここは、私の家だ。
目を瞑ってでも、何処に何があるかわかる。あっという間に階段についた。
一階へ行くべきか、三階へ行くべきか……。
「一階から三階へ行くのは大変だけれども……三階から一階へ行くのは、大した事じゃないわ」
私は、階段を上がり始めた。軋む音が心地よく聞こえる。
「おいマリカ!? 何処に行くんだよ!? そっちはまだ行くな!!」
アルファの声がして、振り返ろうとした。
階段の上から足音が聞こえた。明らかに人によって、立てられた音。
「誰っ!?」
私以外の人間の存在に、私は足音を追い掛けた。
「ねえ待って! 待って下さい!」
一心不乱に階段を駆け上がる私の耳に、アルファの声は入らなかった。
三階は、燭台の弱い光だけで薄暗かった。
しかし闇に紛れるように、人影が一つあるのは見えた。
「………………」
何故か、喉を絞められているかのように息苦しくなり、声帯を震わせる事も出来なかった。
じっと見ていると……その人影は、黒革の男物の靴を履いていた。
もしかして――――
私の瞳からは、私の意志とは関係なく、涙が溢れた。
そして、まるで糸で操られているかのように私の両足が動き出した。
革靴は踵を返して、闇の中に消えていった。
私は、自分の足に導かれるまま、一つの部屋の前にやって来た。
ドアを開けようと、ドアノブを握った時に違和感を感じた。
目を凝らして……ドアノブに毛糸が巻きつけられているのが見えた。
毛糸。七色の、毛糸。
「嫌っ……」
突如湧いた嫌悪感に戸惑いながらも、あとずさったその時!
毛糸が、いきなり伸びて私の首に巻きついてきた。
まるで意志があるもののように、容赦ない勢いで首を締め上げる。
「ぐっ……ぅぅう……!」
ワンテンポ遅れて状況を察した私は、必死に毛糸を引き剥がそうとした。
私の抵抗を感知した毛糸は、ますます力強く絞殺しようとしてくる。
嫌……嫌だ……死にたくない! 死ぬなんて嫌嫌嫌嫌嫌ぁ!
まだ死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない!!
しかし、死に物狂いの抵抗も空しく、呼吸は出来ないまま。
喉から徐々に脳へ苦しみが上がっていく。視界が赤黒く染まっていく。
死神の両手が視界を完全に覆うとした。
ぐいっ、と胸倉を掴まれたと思ったら、急に呼吸が出来るようになった。
「……っげほ! ごほ!」
膝を着いた私は呼吸を落ち着かせる間もなく、誰かに引っ張られるがまま階段を転がり落ちそうになりながらも、駆け下りた。
「この馬鹿野郎!」
怒鳴っているのは、毛糸から助け出してくれたアルファだった。
右手には小さいナイフが握られていた。これで毛糸を切ってくれたのだ。
「どうして三階に行ったんだよ!? オレは行くなって言ったのに!!」
「ご、ごめんなっ……ごめんなさい……」
「あやうく、マリカを殺しちまうところだったじゃないか!」
乱れた息を整えることに必死だった私は、アルファの些細な言葉の違和感を深く考える事が出来なかった。
「だぁいじょうぶぅ~? マリカ~?」
「ワルイタベモノデモクッタノカ!?」
ニューとミューも心配して近寄って来た。
私は右手を上げて、大丈夫であることを示した。
「マリカぁ~……ペロペロキャンディー……食べる?」
「え? えっと……」
「食べるぅ?」
ニューが差し出してくる、ホワイトとピンクの綺麗な渦巻き模様の飴。
目覚めてから食事をしていない私は、素直に受け取った。
「ありがとう、ごさいます」
「うれしい~?」
「はい」
「良かったぁ~」
相変わらず楽しげなぬいぐるみから、私はビスクドールに視線を向けた。
「あの……アルファ」
「あ?」
「あ、あの……」
「三階には、絶対に一人では行くな」
アルファは、私の言いたい事を読み取って応えてくれた。
「三階は、確かに現実世界に帰る為、重要な真実が隠されている。
けれど、まだ行くべきじゃない。死にたくないだろ?」
「あの毛糸は、一体どうして……」
「――――カリユアーネ」
「えっ?」
「悪い魔女のせいさ」
「さっきアルファは、魔女はいないって……!」
「………………」
アルファは、途中で口を噤んだ。
命の恩人であるビスクドール。私には話せない何かを知っている。
問い詰めたい衝動に駆られたが……アルファの苦しんでいる顔を見ていたら、言い出せなかった。
全てを知っていながら、話せないのが一番辛いのかもしれない。
私が全てを思い出せたら……全てが丸く収まるのだろうか。
私は、改めて決意を固めた。
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