スキア

 不意に足音がした。

 コツコツと特徴的な音に、私は革靴の音だとすぐにわかった。

 私の脳裏に、あの黒革の男物の靴を見た時の出来事が甦った。

 今、後ろに何者かが近づいている……。

 それを考え始めた瞬間、身体が強張り呼吸が乱れた。


「あぁ~あ。そんな、お古なんか捨ててしまいなよ」


 背後から声が聞こえ、思わず振り返ってしまった。


「やあ、マリカ。君に会えて嬉しいよ」


 そこには、私にそっくりな顔をした少年が立っていた。

 ニヒルな笑みを浮かべ、右手を腰に着けて気取った姿勢をとっている。


「!!? わ、私の事……?」

「知っているさ。俺の名前は、スキア。マリカの味方さ」


 彼の顔を見れず、私は足元を見た。

 スキアは、私が見た黒革の男物の靴を履いていた。

 三階の廊下に立っていたのは彼だったらしい。

 そんな事を考えていた私の顔を、スキアは無遠慮に覗き込んできた。


「何を見ている?」

「きゃああっ」


 いきなりだったので、私は足を縺れさせて盛大に尻餅を着いた。


「だ、大丈夫か?」


 驚いたのはスキアも同じのようだった。慌てて私に手を差し伸ばしてきた。

 しかし、気が動転していた私はジタバタと手足をバタつかせるだけだった。


「重い」


 そんな私が我に返ったのは、押し殺したような苦しみに満ちた声を聞き、何かをふんづけている感触を認知した瞬間だった。

 即座に立ち上がって見てみると、アルファの手足が変な方向に曲がったまま床に倒れていた。


「いやぁああああっ!!」

「おやおや……古びた人形。遂にこいつもゴミ箱行きか~……。

 そうだよな、マリカはこいつ嫌いだったからね」


 悪意で彩られた言葉に、私はスキアの顔を見た。

 その顔には紛れもない優しい微笑みを浮かべていた。


「スキア……!?」

「俺が捨てて来るよ」


 そう言うとスキアは、まるで汚い物を持つかのようにアルファを親指と人差し指でつまみ上げた。


「ま、待って……やめて下さい!」


 咄嗟に私は彼を止めた。


「一体、どうしたんだ? コレに、まさか愛着を持ったのか?

 『あんな人から貰った物だから見るのも嫌!』って言っていたじゃないか!」

「!? そ、そんな事を言っていたのですか!?」


 スキアは、私と瓜二つの顔にゆっくりと凄みのある笑みを浮かべた。


「おっと、こりゃ失言だったな。別に思い出さなくてもいいぜ?」


 本当に、私が、言ったの?! そんなヒドイ事を……――――。

 ぐらりっ。いきなり視界が揺れ、私はその場にしゃがみ込んだ。



茉莉花まりか。そのビスクドール、どこに持って行くんだい?』

 明亜あくあの言葉に私は右手でつまみ上げていた人形を見下ろした。

『コレ? 蓮花れんかにあげるのよ。

 あの子、こういう人形やぬいぐるみ、好きだから』

『あ、あぁ……そうか。いや、てっきり捨てに行くのかと思ったよ』

『だって……これ何時代の骨董品だと思っているの?

 貰うお下がりは、いつも流行から廃れている物ばかりで嫌になるわ!

 こんな古びた人形……気持ち悪い!

 ――――あんな人から貰った物だから見るのも嫌!』

『僕が、持って行こうか?』

『あ……明亜。ごめんなさい、取り乱してしまって……大丈夫ですわ。

 もう少し、お持ちになって下さいませんこと?

 コレを片づけたら、明亜の好きな紅茶を持って来ましょう』



 はっと我に返った。左手首に走る痛みによって意識が一気にクリアになる。

 手首を見ると何の変化もない。ただ手作りのブレスレットがあるだけ。

 今、一瞬だけ脳裏に過ったのは……私の失われた記憶の一部なのだろうか? だとしたなら。


「言った……言っていたわ……私、アルファの事……気持ち悪いって……!」

「思い出したのか? あぁ~……まあ、いいか。こんなボロ人形の事ぐらい」


 スキアはアルファを乱雑に振り回した。その時。


「――――触るんじゃねえ……」

「おわっ!」


 掴んでいたスキアの手を振り払い、床に足を着いたアルファ。


「アルファ!! 大丈夫ですか!?」

「……ああ」


 両手で軽く服を払った後、アルファは彼を見上げた。


「こんなに早くに出て来るとは……スキア、なんの」

「いい加減に黙れよ、お下がり風情が」


 スキアの顔に浮かんでいた笑みが波が引くように無くなり、人を見下す侮蔑の表情が浮かんだ。


「目障りなんだよ、鬱陶しいんだよ、糞が。

 裏庭の焼却炉に放り込んでやろうか? ああ?」


 ガラリと口調まで変わった私と瓜二つの少年は、生きているビスクドールと静かに火花を散らしていた。


「スキア――――」

「ん? 何だ、マリカ」

「貴方は……どうして裏庭に焼却炉がある事を知っているのですか?」

「知らなくてもいい……気にしなくてもいい……考えなくてもいい……。

 何も思い出さなくてもいいんだよ、マリカ」


 その笑顔は、今まで見てきたどの笑顔よりも優しいものだった。


「で、でも……思い出さないと、帰れないって」

「そんな事を言ったのかい? コイツ……」


 スキアは足元にいるビスクドールに上げた右足の裏を向けた。

 その時、アルファの前に立ち塞がった二つのぬいぐるみ。


「やめてぇ~……いたいことぉ、しないでぇ~……」

「ヤメロ! ナニカンガエテルンダ!」


 突如出現したクマとウサギのぬいぐるみに一瞬固まったスキア。

 しかし、ゆっくりと口元に歪な笑みを浮かべて手を伸ばした。


「駄目じゃないか……勝手に持ち場を離れちゃあ……」


 そう言うや否や、ぬいぐるみ達の首根っこを掴み上げた。

 すると今まで喋って動いて賑やかだったのが嘘のように、二つのぬいぐるみは全身から力が抜けたかのように、四肢をだらりとした。


「ニュー! ミュー! どうしたの!?」

「マリカ、このぬいぐるみはどうしたんだ?」


 乱雑に揺らしながらスキアは、ぬいぐるみを顔のあたりまで引き上げた。


「えっ、あ……レンカから預かりましたわ」

「なるほど。レンカは可愛い物が好きだからね」


 スキアは、私の妹の事も知っている。


「スキア……もしかして貴方は私の家族なのですか?」

「そんな事、どうでもいいじゃないか」


 ゆっくりと踵を返し、もったいつけたように背を向けた。


「この世界は、マリカの為の世界だ……思う存分楽しめ。

 せいぜい下手に動きまわって世界を壊さないようにしろよ」

「ニューとミューを返して!」

「この世界のどこかにいるよ……また会おう、マリカ」


 私にそっくり瓜二つの少年は最後に笑みを浮かべ、姿を消した。

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