清らかな心
ヌイグルミ
この屋敷は、本当に現実世界とそっくりだ。
このまま廊下を進めば、階段がある。ここは二階だ。
二階には私の自室、客室用の部屋、そして祖母の部屋だった部屋がある。
……あれ? 均等に並ぶドアを見て、私は戸惑う。
何の部屋かわからない部屋がある。
「あ、あの……」
私は恐る恐るアルファに声を掛けた。
「何だよ?
帰りたいのなら全てを思い出すんだって、まだ言わせるのか?」
アルファは苛々した顔立ちを隠そうともせず、振り返った。
思えば、彼の笑顔を見たのは彼が動き出す前だった。
動いてからは、怒った表情や不機嫌な表情しか見ていない気がする。
どうやらアルファは私の事が嫌いらしいから……嫌いな人と一緒にいるのは、相当ストレスなのだろう。
私は、彼の機嫌をこれ以上損ねないように気をつけようと思った。
「部屋が、増えているのですけれども」
「この世界は夢じゃない。現実でもないが……現実と瓜二つに出来ている。
余計な部屋なんか増えてない。覚えがないのは、お前が……っと。
名前で呼ぶんだったな。……マリカが、忘れているだけだ」
不愉快そうにしながらも、私の言葉に応えてくれるアルファを頼もしく思う。
この世界で見つけた味方。もし一人だったら途方にくれていただろう。
私は、周囲を見渡した。
出てきた私の部屋。その向かいにあるドアに近づく。
この屋敷のドアは、材料からデザインまで全て統一されている。
一見しただけでは、何の部屋かわからない。
私は、深呼吸した後……ドアノブへ手を伸ばした。
――――ガヂッ。ノブは、まるで拒絶するかのように途中で回転をやめた。
「これは……」
「鍵が掛かっているんだな」
私は、この部屋が何の部屋だったのか思いだそうとしたが……駄目だった。
全く浮かばない。ということは、忘れているのだ。
忘れてしまった、家族の誰かの部屋……ということだ。
「しょうがない。別の部屋に行こう」
アルファが、私の服を強めに引っ張る。
私は、後ろ髪引かれる思いで、その場を離れた。
「マリカ、覚えている部屋はあるか?」
「えっと……ここから、あそこまでがお客様用の部屋。
あの部屋は、衣裳部屋でしょ。それで――――あれ? ここは……」
ちょうど、私の部屋の隣。確か生前、おばあさまが使っていらした部屋。
だから空き部屋のはずなのだけれど……?
ドアを見た瞬間、胸の奥がざわついた。
再び深呼吸してから、ドアノブへ右手を伸ばそうとした。
笑い声が。
ドアの向こうから、笑い声が聞こえた。聞いていても楽しくならない笑い声。
冷やかすように、蔑まれるように、嘲られるように……嫌な笑い声。
それが、ドアを隔ててもハッキリと聞こえた。
私は、後ずさった。部屋の中には、絶対……私に敵意や悪意しか持ち合わせていない何者かがいる。
怯えている私を、怖がっている私を、無様だと嘲笑っている。
駄目だ。この部屋は……入れない。
「おい、どうしたんだ?」
アルファが、私を見上げて来た。
「笑い声がするの。私を嘲笑する、誰かがこの部屋の中に……」
「オレには聞こえないけれど?」
「と、とにかく! この部屋は駄目。入れないわ」
アルファは唸ると、腕を組んだ。
「……チッ。時間稼ぎのつもりか?」
「え?」
「……マリカを真実から遠ざけようとする奴が、凝らした悪趣味な嫌がらせだ。
さっき、マリカの部屋を施錠しただろ? でも結局、早々と出られてしまったから、今度は重要な部屋に近づけさせないようにしてんだよ」
「アルファは……邪魔をする人の事を、知っているのですか?」
「ああ。一人しかいねえ。こんな卑劣な事をするのは」
「誰……ですか?」
「いずれ目の前に現れるだろ。
とにかくマリカ、怖がっていたら何にも出来ないぞ!
こんな子供騙しなんか気にするな! 真実を思い出すには、覚悟が必要だと言ったよな!? これくらいで諦めたら、帰ることなんか到底出来ないぞ!?」
アルファに叱咤されて、私は活が入った。
耳障りな笑い声を無視して、ドアノブを掴んで回した。
今度は抵抗なく、素直にドアが開いた。
ドアを開けると、パステルピンクで統一されている……何ともふんわりした可愛らしい部屋だった。
そして――――私達を出迎えたのは、大量のぬいぐるみだった。
「な……なに、これ」
祖母が使っていた部屋のイメージを持ったまま、入室した私は唖然としてしまった。
上質な素材で、一つ一つ丁寧に職人が手造りした高級なぬいぐるみや人形。
不変の柔らかい笑顔を浮かべて、佇んでいたり、座ったりしている。
圧倒的に動物系が多い。
男の子や女の子、魔女や怪獣などのぬいぐるみも、ちらほらとある。
絶対に祖母の趣味で集めたものじゃないのは、一目瞭然だった。
わかったのは、此処は女の子の部屋で、現在も使用されていること。
とても可愛らしいけれど、一体……誰の部屋なのだろう?
私は、横目でアルファを見た。動けるビスクドールは、ゆいぐるみを見渡している。彼に訊ねても『お前が思い出すんだ』と繰り返されるだけだろう……。
「でも、このぬいぐるみは動かないのね。やっぱり……」
私の言葉は途中で、止まった。
ぬいぐるみ達が一斉に私の方を向いたのだった。
百近い無機質なプラスチックやボタンの瞳が、私を見据えている。
視線が私を射ぬく。痛いくらいに。苦しいくらいに。
不意に、ボソボソ声が耳に入ってきた。
「マリカだ」「何しに来たんだろう」「ヤダァ」「よく入って来れたよね」
「また憂さ晴らしでもするつもりなのかな?」「ぼく、あの人嫌いだなあ」
アルファを見てみると、険しい顔をしているが口は動いていない。
私は、辺りを見渡した。この多種多様の声。聞きおぼえがある。
部屋に入る前に聞いた……笑い声と同じだ。
「早く出ていけばいいのに」「また切り刻まれるぞ」「動けないのに」
「無抵抗だから好き勝手に扱われるんだよ」「いつか、やり返してやりたい」
「鋭い、よく切れる大きなハサミで」「腕を、足を、首を切り落として」
「腹を切り裂いて中身を出して」「目を抉って」「顔をズタズタにして」
「泣いても喚いても謝っても、全身をバラバラにしてやる」
足から力が抜けて、私は、その場に座り込んだ。
まだ声は聞こえる。恐ろしい言葉の数々。恨み言や悪口や罵詈雑言……。
両手で耳をふさぐ。
帰りたい! もう一刻も早く、こんな世界から帰りたい! 帰らせて!
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