さあ、先に進め
アルファは襟を正しながら、ベッドの端に腰かけた。
気取ったように足を組んでいる。
「それじゃあ、おま……マリカが覚えている事は? 名前は覚えてるようだが」
「ええと……名前、年齢、生年月日、家族構成、在籍している学校の名前……」
「試しに言ってみろよ」
「
父と母の三人家族。
そして私立
「――――そういうことか」
アルファはしばし固く瞼を閉じ、無言で首を横に振った。
その苦悶の表情は私を圧迫した。
「そういうこと、とは?」
再び、私を見たビスクドール。
その無機質なガラスの眼球から伝わる、針のような鋭い感情。
「マリカは、大切な者達を忘れている。マリカは、一人っ子じゃない」
「……えっ!? わ、私、家族を忘れてしまっているの!?」
名前も顔も声も、存在を全く何一つ記憶になかった事がショックだった。
「な、何で……どうして!?」
「さあな。それにしても」
アルファは肩をすくめつつ、呟いた。
「人間は、忘れることが出来て……いいよなぁ。
オレも全て忘れる事が出来たなら、こんなにも苦しまずに済んだろうに」
皮肉にも似た言葉を言われても奥歯を噛み締め、俯くことしか出来ず、涙が零れそうだった。
そんな私にアルファが気遣いの言葉など、くれるわけもなかった。
「好きなだけ泣けばいい。泣いたって誰も助けてくれないぜ?
これは、マリカ自身の問題だから。
それにオレはただの人形……故に、傍観者だからな」
「が、頑張って思い出すわ」
涙を必死に消して、声を喉の奥から絞り出した。
「ば~か。そうしなきゃ、帰れないんだから当たり前だろ?」
にべもない対応に、ますます気分が落ち込んだ。
ここまで嫌われてしまうほどの事を私は、してしまったのだろうか?
忘れている……それが、こんなにヒドイ事だなんて、知らなかった。
覚えてない分、罪悪感も増す気がした。
「痛いっ!」
不意に左手首に鋭い痛みが走った。
目を向けると、手首には手作りの紅いブレスレットがあるだけだった。
じわじわと痛みがゆっくりと薄れていく。
それと共に罪悪感も心の中から消えていく。
「さてと。そろそろ行くとするか」
アルファは、懐から鍵を取り出した。
「そ、その鍵は……!?」
「あの南京錠の鍵だ」
探し求めていた鍵があっさりと現れた。
「鍵を掛けたのは、あなた!?」
「違う。オレに鍵を隠したんだ。マリカを真実から遠ざける為に、な」
「一体、誰が……あのリヒトさん、という方かしら?」
「リヒトは間違ってもそんな事はしないぜ?
お前を真実から遠ざけるような真似は絶対にしない。絶対に」
「リヒトさんをご存知なの?」
「いいや、あんまり知らない」
「でも、先程は断言して……」
「オレがリヒトについて知っているのは一つだけだ。
だが、マリカには教えるなってリヒトから口止めされてんだ」
おもむろにアルファは手に持った鍵で南京錠を開けた。
ガチャリ。と重い音と共に鎖が溶けるように消えて無くなった。
「やった! これで出られるわ!」
「ちょっと待て、マリカ」
勢いのまま飛び出そうとして、アルファに服の袖を掴まれて引き止められた。
「この先、マリカが忘れた真実がある。悲しくて残酷な真実が」
動いて喋るビスクドールは、真剣な表情で続けた。
「忘れた事を思い出すには、相応の覚悟が必要だ。
でもな、絶対に諦めたりするんじゃねえぞ!?
途中で思い出す事を諦めたら……諦めたなら……それで終わりだ」
それで終わりだ。おわりだ。おわり? お・わ・り…………。
「リヒトさんもそう言ってました、諦めちゃ駄目だと……何故?」
「諦めたら、もう二度と思い出せなくなるからだ。つまり、帰れなくなるんだ」
アルファは普通に呟いた。
「帰れなく!? そ、そんな……!」
「諦めたら、だ」
話終わったアルファは、無言で扉を開けるよう促してきた。
私は深呼吸してから、ドアノブに手を伸ばした。
開けた扉の先に広がる光景は、異世界とは思えないほど、いつも通りだった。
そこは私の家だ。私が十四年間住んできた家だ。
「ここは異世界なの……?」
「さっさといけよ!」
アルファに押し出されるように自室をあとにした。
長い廊下……規則正しく並ぶ扉……奥には出窓がある。
見る限り、至って普通の廊下だ。
歪んでいるわけでもないし、永久に続いているわけでもない。
「ねえ、本当に、ここは異世界なの!?」
「そうだって言ってんだろ。信じられないのなら、あの出窓から外を見てみろ」
アルファが、指差す出窓に嵌められたステンドガラス……赤い薔薇の花、青い小鳥、黄色の果実実る樹木など、自然が色鮮やかなガラスで表されている。
私は窓を開けた。いつもの景色が、ない。
まるで窓に黒い板を張り付けたように何もなかった。
「外が……ないわ」
「この異世界の全ては、この屋敷だ。それ以外はない」
「そんな!? じゃあ……ここには誰もいないの!?」
言ってから、リヒトという少年がいたのを思い出した。
「あの、リヒトさんしかいないの!? 明亜は、いないの!?」
「そういうわけじゃ……ええっ!? お前、
次の瞬間、アルファの表情が一変した。端整な顔が瞬時に憎悪に満ちた。
「アルファ、明亜を知って……?」
「オレは、あの下劣野郎の話なんざしたくねえ!!」
大声で言い切ると、踵を返し足早に私から遠ざかっていく。
「まあ、下劣だなんて!」
たしなめた私を、まるで憐れむかのような眼差しで見つめるアルファ。
その目が嫌で、私は視線を足元に落とした。
「彼は……明亜は、そんな人じゃ」
もっとはっきり言いたかったのに、口が震えて掠れた声しか出なかった。
「そう思っているのなら、それでいいんじゃないか? それよりも、お前が第一にしなくてはならないのは忘れている記憶を思い出すことだ。
じゃないと……恋人にも再会出来ないからな」
そう言い捨てて、アルファは足を進めた。
そう。悩んでいても仕方がない。どうしようもない。
この先にある、私が忘れてしまった記憶……。
全てを思い出さなければ、帰れない。
私には、進むしか選択肢はないのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます