教えよう
次に私は机の上の小物入れを見てみた。
ハート型の淡いピンク色の小物入れ。中身を全てだしてみる。
小さい頃に集めていた形整った貝殻や模造品の宝石類。それと指輪があった。
指輪は、ごくシンプルなプラチナリング。
しかし裏側に刻まれた文字は、途中でなくなっていた。
《A to 》
この指輪は明亜から送られた物で、私の小物入れに入っていた。
だから、私の指輪のはず。刻まれていたアルファベットは《M》のはず。
……なのに、確証が持てない。
心臓の鼓動が、どんどん速くなっていく……鼓動の音が、うるさい。
違う、違う、違う。何を考えているの、私。
これは、私の! 私の指輪に決まってるじゃない!
だって明亜は、私の恋人なのだから……。
その時、鋭い視線を感じた気がした。
すぐに振り返る。 誰もいない。いるはずがない。
ふと窓際にある、とても精巧に作られたビスクドールに目が止まった。
まるで、お洒落な恰好をした可愛い男の子が、そのまま小さくなってしまったかのようなリアルさだった。
誰かから貰った記憶はあるのだが、くれた人物はわからない。思い出せない。
指輪の時と同じ焦燥感が私を苛む。
しばらく考え込んだ後、ふと我に返った。
人形なんか気にしている場合じゃない。鍵だ。
一刻も早く、南京錠の鍵を探さなくては。
あらかた探して、一向に見つからない。私は横目で南京錠を睨みつけた。
もう一度、探してみようと机に視線を移す。
すると、いつの間に現れたのか見落としていたのか……エメラルドグリーン色の細かい装飾が刻まれている陶器のオルゴールがあった。
手のひらサイズのこれには、鍵ぐらいしか仕舞えないだろう。
私は期待して手を伸ばした。フタを開けた瞬間、耳を心地よく刺激する綺麗な旋律が流れ出す。曲名は、アメイジング・グレイス。
聴くだけで心が癒される。皆が好きな曲だ。
「…………え? みんな?」
皆って、誰の事? 両親でも友人でもない。そう、何故か断言できる。理由も根拠もないけれども、自信を持って言える。じゃあ、誰?
時間を掛けて部屋を隅々まで探しても、一向に鍵が見つからない。
それどころか、次第に思考が再び混乱してきた。
「もう、嫌っ……」
とうとう私は、絨毯の上に座りこんでしまった。
もう何をすればいいのか、わからない。何も、わからない。
足が動かなかった。思考も働かなかった。
徐々に視界が暗く、暗く、暗く、なっていく……暗くなって…………。
「マリカ、諦めちゃ駄目だ」
突然、目の前に現れた者は前髪を伸ばして目を完全に隠している。
そして口元も白い布で隠しているので、顔がわからない。
それよりも気になったのは、髪の色が鮮やかな黄色だった事。
光り輝いているような純白な服を着て、まるで天使のように佇んでいる。
「だ、誰なの!?」
「ボクは、リヒト……君は、マリカ」
くぐもった声は、低くて聞き取りにくい。でも、確かに聞こえた。
私の名前を確かに彼は呼んだ。
「あの、何故、私の名前を知っているのでしょうか?」
「君の目の前に存在出来る時間は、とても短い上に限られているから単刀直入に話す。悪いけれども君の質問には答えられない。時間がないんだ。話すよ?
マリカ……君は、思い出さなければならない。
忘れた者達を。犯した罪悪を。残酷な現実を。
全てを思い出さなければ、この世界からは出る事は出来ない」
まるで機械のように淡々と説明していく、リヒト。
「君は忘れてしまっているんだ、大切な人達を。でも、それは悪い事じゃない。
君を責めるつもりはない。ボクにも、誰にも責める事は出来ない。
君の心と体は限界だったんだ。確かに逃避する事は、とても容易い。
でも……逃げては駄目だ、マリカ。
現実から逃げ続ける事は、いずれ自らを破滅させる事に繋がる」
リヒトの語る言葉は、私には、ほとんど理解出来なかった。
「あの、何の話をしているのか……さっぱり」
「……とにかく時間がない。ボクにも君にも、ね。
この部屋に鍵を掛けた者は、君を現実から遠ざける者だ。
のちに君の前に姿を現すだろう。でも此処には仇なす者ばかりじゃない。
此処には君の味方もいるよ。その内の一人がボクだ――――」
次の瞬間、見えない力で私は背後に突き飛ばされた。
背中や後頭部を勉強机に強か打ちつけた。痛みのあまり意識が一瞬途切れた。
まばたきして、再度目を開いた時……リヒトと名乗った少年は消えていた。
私は、呆然と彼が立っていた虚空を見据えた。
『全てを思い出さなければ、この世界からは出る事は出来ない』
リヒトの言葉が、頭の中をグルグルグルグル回る。駆け巡る。暴れる。
鋭い刃物で頭蓋骨を貫かれているかのような頭痛と、脳味噌をぐちゃぐちゃに掻きまわされているような眩暈が、私を蝕んでいく。そんな不安を感じる余裕もないほどの苦痛が、皮肉にもパニックに陥る事を妨げていた。
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