目を覚ませ

 目が覚めると、部屋は暗かった。

 いつも一日の始まりに目にする朝の光が、ない。

 今日は曇りか……せっかく彼とのデートなのに……。

 大好きな彼……今日はどこに連れて行ってくれるのだろう?

 まあ、彼と一緒にいられるだけで嬉しいけれどね。

 ……………………変だわ。

 どうして記憶の中の彼の顔が、霞みにかかったように見えないのかしら?

 しかも彼は……彼は……何て名前だったかしら?

 きっと、まだ寝ぼけているのね。なんて、ありえない。

 大好きな彼の事ですもの。忘れるなんて……。


 起き上がり、洗面所で顔を洗って髪をブローして、余所行きの服に着替える。

 それから念入りに化粧をして、身だしなみの最終チェックをして。

 彼にプレゼントして貰った、コーチのバックに必要品を入れて意気揚々とドアノブに手を伸ばし、勢い良く―――――!

 しかしノブは回ったのに、ドアが開かなかった。


「えっ?」


 ドアが、開かない。

 深呼吸して呼吸を整える。無意識に昂ぶっていたみたいだ。

 落ち着いてからもう一度、ノブを掴む。

 ノブの回る音はすれど、ドアはびくともしない。


「あれ? おかしいなぁ……っ」


 ドアノブを掴み、押したり引いたり……ドアを叩いたりしてもみた。

 でも、開かない。開かない。開かない!?


「もぉおおおおお!! どうしてなの!? 壊れてしまったのかしら!?」


 すると突如、何処からともなく漆黒の鎖と南京錠が現れた。


「ひっ!?」


 それらは、ドアをがっちりと施錠してしまった。

 あっという間の出来事だった。


「ぁ…………えぇ!? 嘘でしょぉ!!」


 慌てて鎖や南京錠を掴み、引っ張るがビクともしない。

 それどころか、ますます頑丈にぎっちりと施錠されてしまう。

 ようやく私は閉じ込められている現状に、気がついた。


「何で!? 誰か! 誰かぁ!」


 私は大声を出した。雇っている家政婦さん達に気付いて貰えるように。

 両親は仕事で海外にいる。だから彼女達以外、家にはいないのだ。


「誰かいませんか! 助けて下さい!」


 しかし、いくら呼べども叫べども誰も来る気配はない。

 まさに万事休す。絶体絶命だった。どうしようもない状況にパニックになりかけた時、扉の表面がガリガリと耳障りな音を立てながら傷ついた。

 それは、文字のように読めた。


《カギヲミツケロ》


「……鍵? この南京錠のかしら?」


 それしかなかった。

 文字に従う……変な話だが、私の体は脳が状況を理解する前に動いていた。

 まるで出現した文字に操られたかのように探し始めた。

 一番最初に手を伸ばしたのは、勉強机の引き出しだった。

 横に3つある引き出しを左から開けていく。

 左は、ハサミやホチキスなどの道具がある。

 それと何故か色鮮やかな包装紙に包まれたキャンディも数個入っている。

 一体、いつのだろう。食べるのは少し不安だ。

 真ん中は、筆記具とメモ帳が入っている。シャーペンに代えてからというものの殆ど使わなくなってしまった鉛筆が悲しげに転がっている。

 右は、写真や手紙が入っている。

 右の引き出しを調べている時、とある事に気がついた。


「そうよ。この中にある手紙は……全て彼からだわ」


 それは、紛れもなく恋人からの手紙だった。

 メールが普及している現代に古風な彼は、毎週末手書きの手紙を送って来る。

 真っ白な封筒に色鮮やかな便箋、整って綺麗な字、そして内容はストレートな愛の言葉……心細い現状に、思わず一つの封筒を開いて、手紙を見てみた。


《愛しの   へ

 元気にしているかい?

 五月雨のせいで鬱鬱としていないか、とても心配している。

 僕は、貴女の顔が見れない日は気分が落ち込む。

 貴女の笑顔が見たい。声が聞きたい。そう思いながら毎日、過ごしているよ。そして今日、居ても立ってもいられなくなって筆をとってみたものの、文字では到底、僕の気持ちを表現し切れないよ。この世にある愛の言葉全てを記したら、少しはましだろうか? いや、きっと貴女を困らせてしまうだろうな。

 では声に変えたとしたなら「貴女の事が大好きだ」を一日中、言い続ける必要があり、やはり貴女を困らせてしまうだろう。もどかしい。

 もどかしくてならない。でも、これだけは絶対にわかってくれ。

 僕が貴女を想う気持ちは、誓って本当だ。信じて欲しい。

 僕は貴女を、   を愛している》


 おかしい。私の名前の部分がなくなっている。


「私は……よ…………あれ?」


 名前はわかる。でも名字が、漢字がわからない……!?

 一体、自分はどうしてしまったのだろう!?

 未知の恐怖に身体が震え始める。縋るように、未だに名前が出て来ない恋人の手紙を見てみる。一番最後に綺麗な字で〝黒条園こくじょうえん 明亜あくあ〟とあった。


「――――あっ」


 パチン。弾けたように記憶が音を立てて甦った。


「そうだわ、私の名前は黒条園こくじょうえん 茉莉花まりか……彼は、明亜は、私の従兄だわ……!」


 、ということは……、ということ。

 私は、自分の名前を忘れていた?

 しかも恋人なのに、大好きな彼なのに、名前を忘れていた?

 ……忘れていた? どうしてこんな大切な事を!? 忘れようがない事を!?

 私は両手で頭を抱え込んで、その場にうずくまった。


「嫌……嫌嫌嫌……誰か……」


 私の呟きは、私の部屋の中に響くだけ。誰にも届かない。

 しばらくじっとしていたら、少しだけ混乱が治まった。

 このままじっとしていても、なにも変わらない。わからない。


「考えても悩んでも、動かなくても答えが出ないなら……」


 そう、行動するしかない。

 ガンッ!! 私は、南京錠の鍵のなかった引き出しを勢いよく閉めると、思いのほか大きな音がした。

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