いいんだよ
その煉瓦造りの小屋の中からライライの声を耳にしたボクは、その外壁を【
激烈な体当たりを受けた煉瓦の壁は木っ端微塵に砕け、ボクの身を屋内に導いた。
途端、霧のような白い煙が視界を覆った。
目の前が白濁するが、おぼろげながら屋内の映像はなんとか視認することができた。
驚いた様子でこっちを見ている、”いかにも”な感じの男が八人。そのうちの一人は、部屋の奥で犬のような四つん這いになっていた。
そして、その四つん這いの男の下で仰向けに倒れる、一人の女性。
白い霧のせいでその姿は霞んで見えるが、彼女は見間違えようもなくライライだった。
ライライの上に乗っかった男を見る。そいつの手は、
「――――」
それを見た瞬間、激情が火柱のごとく脊柱を駆け昇った。頭が熱くなる。
気がつくと、ミサイルのような勢いでライライの元へ突っ込んでいた。
「ぐぉあっ!?」「わっ!?」「だあっ!?」
途中で何人かを跳ね飛ばすが、知ったことじゃない。勝手に倒れてろ。
そして、ライライを組み敷いている男の腹を勢いよく蹴り上げた。
奇怪な呻きを上げて吹っ飛んだその男には目もくれず、ボクはライライに駆け寄り、その隣でしゃがみこんだ。
「ライライ! ボクだよ! 大丈夫!?」
「……シン、スイ?」
視線だけをこっちに向け、かすれた声で呟く。彼女の目は「どうしてあなたがここにいるの」とでも言いたげな光を持っていた。
その問いに対する答えは簡単だ。【
左腕から血が出てるけど、それ以外に大きな怪我は無いようだった。
――良かった。間に合って本当に良かった。
ライライの冷たい手を、宝物のように抱きしめる。
が、彼女の手は、まるで魂が宿っていないかのようにボクの腕の中からするりと抜け、床に落ちた。
この手の反応、まさか。
「もしかして……【
「……ええ。そうみたい」
やっぱりそうか。
【
残念ながらボクは【点穴術】に関しては門外漢。なので、症状の回復に必要な経穴の位置が分からない。
打たれて間も無いとしたら、【麻穴】の効果はあと数十分ほど続く。
そしてその数十分の最中、この連中がライライに何をしようとしたか。
答えは――さっきまでの様子を見れば明白だった。
それを確信した瞬間、一度静まっていた怒りが再燃した。
「おい、こいつ――
男の一人が、ボクを指差しながら言う。
「お、マジだ。本物だ。髪型は違ぇけど」
「今日はついてんじゃねぇか」
「
周囲の男たちは各々の武器を鳴らしながら、ギラついた目をボクらに向ける。今すぐにでも向かってきそうな気配が漂っていた。
こいつらは間違いなく、ミーフォンの言っていた【
しかし、そんなことはもうどうでもよかった。
こいつらがライライに酷いことをしようとしたのは事実なのだ。
――ぶちのめす理由は、それだけで十二分だ。
ボクはゆっくりと立ち上がった。
「ライライ、ごめん。ちゃんと後で医者に連れて行くから、しばらくここにいて」
「ま、待って」
ライライは慌てたような表情で呼び止めると、一度深呼吸してから、落ち着いた口調で告げてきた。
「……ここで【
「……そっか。分かった。ありがとうライライ」
小さく微笑みかける。
そして、
「一番乗りぃーー!!」
力強く木床を踏む足音と一緒に、真後ろから愉快げな叫びが聞こえた。
――その瞬間、ボクは一つの戦闘機械と化した。
ボクは一切振り返らないまま、片足を鋭敏に後退。その足に重心を移すと同時に、背中から真後ろの敵へ激しくぶつかった。
「おげぁ!?」
耳元で呻きが響いた瞬間、背中に付いていた敵の感触が離れ、後ろの壁から激突音が聞こえてきた。背後の敵への体当たり技【
振り返り、次の敵が迫っていることを確認。そいつは引き絞っていた片手持ちの両刃直剣で真っ直ぐ突き込んできた。ボクは体を軽く捻って刺突を回避すると、直剣の
男はひるんで仰向けに傾いて倒れていき、直剣を握る力も弱まる。ボクはその剣をひったくって右手に握るや、稲妻のような迅速さで真後ろに構えた。床と並行に構えられた剣身に、後ろから垂直軌道で放たれた斬撃がガキィン! と重々しくぶつかる。
視線を真後ろへ巡らせると、柳葉刀を振り下ろした格好の男が立っていた。ボクは直剣を傾けて柳葉刀の刃を下へ流しつつ、滑り込むように至近距離の間合いを取る。そしてその腹めがけ、山が猛スピードで滑って直撃するような渾身のエルボーをぶち当てた。【
ピンボールよろしく吹っ飛んだその男をすぐに視界から外し、振り返る。
「このクソアマがっ!!」
やけっぱち気味に飛んできた敵の片刃剣を、ボクは直剣で軽くさばく。重厚な金属音とともに、そいつのボディはがら空きになった。ボクは躊躇なくそこへ飛び込み、左拳による【
「ぎゃっっ!!」
そいつは火あぶりで苦しむような激しい叫びを一瞬上げると、スピーディーにボクから離れ、壁に激突。しばらく貼り付いてから、ゆっくりと剥がれ落ちるように壁面を離れ、床に倒れ伏す。
部屋を見渡した。立っているのは残り三人。
ボクはまず、その三人の中で最も手近な奴へ鋭く歩を進めた。
「うわ!! く、来るなー!!」
そいつは焦った顔で声を荒げながら、柳葉刀を横薙ぎに振る――前にボクがその懐へ飛び込み【衝捶】。倒れる。
「お、おいちょっと待て! 俺もう降さ――」
二人目の男は武器を捨てて何か言おうとしていたが、構わず突っ込んで【衝捶】。倒れる。
「ま、待ってくれ! 俺が悪かっ――」
構えを一切取らずに何事か喚く三人目の男にも風のように近づき、【衝捶】。倒れる。
ボクはそこで動きを止めると、呼吸を整え、周囲を見回した。
白い粉塵の舞う部屋の床には、ボクが蹴散らした敵が雑魚寝よろしくあちこちで寝転がっている。
しかし、倒れているのは七人。あと一人足りない。
そして、その一人はすぐに現れた。
その残った一人――ライライを組み敷いていた男は、半月状の刀身を持った二本の刀「双刀」の刃を顔前でクロスさせ、その又の間からボクを睨んだ。洞窟の奥から獲物を狙う虎のような鋭い眼光。昨日、『商業区』で感じた視線と同質だった。
ボクは負けじと目つきを鋭角的に細め、睨み返しつつ、
「まだやる? これ以上やる意味はないと思うけど」
「降参する――と言いてぇ所だが、ここまで損害を出されておいて帰したんじゃ、俺も首領として示しがつかねぇ。だからよ
まるで威嚇するように、二枚の刃をチンチンと打ち鳴らす男。
ボクは冷えきった表情と声色で、
「……あっそ。じゃあさっさと来なよ。当分悪い事できない体にしてあげるから」
「まあ待ちな。この場所じゃ【気功術】が使えねぇ。やるんなら、この建物の外に出てからにしようや」
「……分かった」
ボクは双刀の男が出した提案に頷くと、さっき壁を壊してできた横穴に向かってゆっくり歩き出した。双刀の男も後ろからついて来る。
穴の前まで着く。
そして――腰を急激に深く沈めた。
頭の位置もそれによって下がり、そしてすぐに頭上で「何か」が風を切って通過するのを感じた。
その「何か」とは、男の放った白刃の横薙ぎ。
ボクは首と肩だけを軽く振り返らせ、不意打ちに失敗した双刀の男に軽蔑の眼を向けた。
「――ボクの期待通りに動いてくれてありがとう」
そして、腰を深く落とした状態を維持しながら、間合いを一気に詰める。
右手の刀を振り抜いた状態の男は慌てて対処しようとしたが、ボクの接近の方がずっと速かった。
【
「あごぁっっ――!!」
【硬貼】を受けた双刀の男は、猛スピードで後ろへ流された。壁面にワンバウンドしてうつ伏せに着地。床で繰り広げられている雑魚寝大会に参加した。
男は苦痛に歪んだ顔のまま、ピクリとも動かない。
――終わった。
その事を確認すると、ボクは片手の直剣を放り出す。【
雑魚寝した敵を次々と跨ぎながら奥へ進む。
仰向けになったライライの元までたどり着くと、まるで先ほどの荒事など存在しなかったかのような、とびきりの笑みを浮かべて言った。
「――さあ、帰ろう。ライライ」
その後、
ライライはそのまま、【武館区】の病院へと連れて行かれた。
小柄で細身のシンスイが、女にしては長身なライライを背負って歩く。その図は、まるで子供が大人をおんぶしているように見えなくもなかった。正直、周囲の視線に恥じらいを覚えたが、【麻穴】のせいで全身が動かないのだから仕方がない。甘んじておんぶされ続けた。
病院に着くと、医者は数分間の問診をしてから、髪の毛よりも細い
さらに左腕の切り傷を治すため、【気功術】による治療も受けた。気功治療は「傷を治す」のではなく「治す力を強化する」ための処置だ。そして武法士は全身の【気】の流れが非常に円滑であるため、自然治癒力は常人よりずっと高い。その二つの要素が強い相乗効果を発揮し、切り傷はその場ですぐに塞がった。
治療費は、シンスイが出してくれた。悪いと思って拒否しようとしたが、彼女は頑として「自分が払う」と譲らなかった。その奇妙な迫力に圧されて、結局払わせてしまった。
病院を出た時、すでに時間は昼過ぎだった。地上と垂直の位置で輝いていた太陽は、すでに西へと傾き始めていた。少し弱まった陽光が、地上の【武館区】を照らしている。
シンスイは喉が渇いたようで、目抜き通りの横に伸びた細い脇道の先にある井戸の前に来た。つるべで水を汲み上げ、たっぷり入った井戸水を何度も柄杓で掬って飲んだ。しまいには少しずつ飲むことがじれったくなったのか、つるべの端に唇を付けてガバガバ飲み出す始末。うら若き乙女の所業とは思えなかった。
さっきまで何事もなかったかのような、呑気な振る舞い。
「……どうして」
思わず、そう口からこぼれ出る。
シンスイは美少女にあるまじき豪快な飲みっぷりを一旦やめると、その大きな瞳をぱちくりさせて、
「うん? どうしたの」
「……どうして、私を助けたの?」
ライライはやや非難がましい語気で訊いた。
分からなかった。
自分は彼女に酷い事を言った。その後も彼女は好意を持って何度も接しようとしてくれたが、そのことごとくを拒絶した。それこそ、愛想をつかされてもおかしくないほどの苛烈さで。
しかし、シンスイは自分の危機を救うべく、駆けつけてくれた。
ライライはそんな彼女に感謝しつつも、それ以上に強い疑念を抱いていた。
そして、そんな自分自身にまた、呆れと情けなさが募る。
シンスイはライライの質問を聞くと、さっきまでの呑気な表情に真剣さを宿らせて言った。
「そうだね……「友達だから」っていう理由もあるけど、それだけじゃない」
「えっ……?」
「君に、どうしても聞いてもらいたい事があったからだ」
その改まった言い方に、ライライは息を呑んだ。
シンスイは一度大きく深呼吸すると、いきなり腰を深く曲げて頭を下げてきた。
「まず、
一句一句が、誠実な声色で紡がれた謝罪。形式的なものでない事は明白だった。
「……だけど、その変えようのない事実を踏まえた上で、もう一つだけ、言わせて欲しい」
そこで突然、シンスイが発言を謝罪から別の方向へと持っていった。
ライライは目を見開いた。先ほどの謝罪よりも、話の方向をずらした今の言葉の方に驚いた。
緊張したようにうつむくシンスイから二の句が出てくるのを、ライライはじっと待った。まだほんの数秒間しか経過していないが、まるで何分も待っているような錯覚に陥りそうになる。
やがて、彼女は意を決したように言った。
「――君のお父さんは、単なる殺人被害者じゃない!」
その一言は、まるで透き通るように胸の奥へ入っていった。
シンスイは真っ直ぐこちらの目を見ていた。二人の視線が繋がり合い、見えない糸を形成しているような気分になる。
「確かにレイフォン師匠は恐ろしくて、戦闘狂かもしれない! 殺した武法士の数も、両手両足の指じゃ全然足りない! だけど、弟子をやってたボクだからこそ、これだけは断言できる! レイフォン師匠は戦闘狂だったけど、断じて殺戮を楽しむような人じゃなかった! そして、武法士同士の真剣勝負にはどこまでも真摯だったんだ! ボクの武法士生命を賭けてもいい!」
シンスイの大きく愛らしい瞳からは、媚びも気負いも一切感じられなかった。どこまでも透き通った、雪解け水のような光。
その済んだ瞳には、自分の顔が淀み無くくっきりと映っていた。
だからだろうか。彼女の言葉は、土に染み込んだ水のように心の奥底まで浸透してくる。
「だからこそ、ボクは君に言いたい! ――君のお父さんは、ただ無意味に命を落としたわけじゃない! 武法士同士の、誇りある真剣勝負に殉じたんだ!」
それを聞いて、ライライは雷に打たれたような強い衝撃を受けた。
「詭弁だと思っても構わない! ボクや師匠を憎んだままでも別にいい! でも、もし君のお父さんの死が犬死にだと少しでも思ってたなら、その考えはどうか捨てて欲しいんだ!」
シンスイは、まるで我が事のように、そう懇願してきた。
――詭弁なんかじゃない。
彼女の言うとおりだった。
父は無意味に殺されたわけじゃなかった。一人の武法士として誇りある戦いの場に立ち、果敢に挑み、そして華々しく命を散らせたのだ。
決闘を断る事ならできたはずだ。しかし父はそれをせず、立ち向かった。
それが何よりの証明だった。
自分もそれを分かっていたからこそ、毒殺などという邪道に走らず、正攻法で挑む事を考えたのではないのか。愚直に武法を鍛える道を進んだのではないのか。
そんな初心を、自分はすっかり忘れていた。
そして、今思い出した。
だというのなら、討つべき仇を失ったとしても、自分の生き方は変わらないはずだ。
――ここが、分水嶺であるような気がした。
永遠に恨み言を吐きながら生きるのか。
それとも、父のように誇りを持って生きるのか。
――選択に窮する事はなかった。
無論、選ぶのは後者だ。
自分も、父のようになりたい。
父の形見である【
父のように、自身の武法と戦いに誇りを持ちたい。
「そして、ボクが君に言いたい最後の一つ。――明日の決勝戦、お互い悔いの残らないように戦おう。君が一生懸命育ててきた【刮脚】、ボクは是非見てみたい」
シンスイは花が咲くような満面の笑みでそう言った。
その笑顔を目にした瞬間、心の奥底から強い感情が間欠泉のように溢れ出てきた。
――どうして、そんな風に笑えるの?
――私はあなたに、あんな酷い事を言ったのに。
――それなのに、あなたはこんな私に、まだそんな風に笑いかけてくれるの……?
瞳にみるみるうち涙が溜まっていき、視界を
「――シンスイっ!!」
気がついた時には、彼女にすがるように抱きついていた。
腰と肩から背中へ手を回し、指が食い込むほどに締め付ける。
「ごめん…………ごめんね……!! シンスイ……っ!!」
その小さな肩に顎を乗せ、嗚咽混じりの声で謝った。
大粒の涙滴が絶えず滂沱し、頬を伝って顎に届く。
「――いいんだよ」
シンスイは泣くライライの背中をさすりながら、そよ風のような優しい語気でそう言ってくれた。
ライライは何度もかぶりを振り、
「よくない……私、大馬鹿だった…………! あなたの事、ずっと色眼鏡で見てたの……!」
「いいんだよ」
「大量殺人者の弟子、なんて……酷い事言ったのに……!」
「いいんだよ」
「今も心のどこかに、あなたの事を拒絶する気持ちが残ってるかもしれないのに……!」
「いいんだよ」
ふるふると、駄々をこねる子供よろしくかぶりを振り続ける。
シンスイはそんな自分の背中を撫でながら、我が子を慰める母のような優しい声でただただ繰り返した。
いいんだよ、と――
もう、何も悩まない。
自分も父のように、誇りある戦いに身を投じよう。
決勝戦という舞台の上で。
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