ライライの葛藤

 宮莱莱ゴン・ライライは、『商業区』の街路を急いた歩調で歩いていた。


 太陽の位置がもうすぐ垂直に差し掛かる時間帯。道行く人々の密度も濃くなってきており、それらの僅かな隙間を縫って進んでいる。


 目的地は、ない。


 ただ、【滄奥市そうおうし】の中をあてもなく徘徊しているだけだ。


 すでに二時間以上歩き続けているが、日頃の鍛錬ゆえに足には疲労のだるさを一切感じない。

 内に渦巻くわだかまりを少しでも払拭するべく、足を動かしていたかった。

 しかし、わだかまりは落ち着くどころか、より一層の濃霧となって心を汚染していた。


 ライライは桜色の唇の下で切歯する。


 『――強雷峰チャン・レイフォンって人』


 昨日、シンスイの放った衝撃的な告白が、まるで数分前に聞いたばかりであるかのように色濃く頭に残留していた。


 今まで自分が仲良く接してきた友人は、実は長年追い求めてやまない父の仇の弟子だったのだ。

 その事実にライライはひどいショックを受けた。被害妄想であると分かっていても、騙された気分を感じずにはいられなかった。


 その上、もう一つショッキングな真実を突きつけられた。


 仇敵、強雷峰チャン・レイフォンが――すでにこの世を去っていたことだ。


 自分が必死に己の武を研鑽している間に、あの男はすでに地獄へ高飛びしていたのである。

 この真実は、ライライにかつてない喪失感をもたらした。

 自分は父が死んだあの日から、レイフォンの事を一日たりとも忘れたことはなかった。


 あの男の声、顔、後ろ姿。それらを刻印のように頭に焼き付けながら、父の形見となった【刮脚かっきゃく】という刃を懸命に研ぎ澄ませてきた。毒を盛って殺すという手ももちろん考えたが、すぐに切り捨てた。父は正々堂々の試合を行い、命を落としたのだ。仇討ちだからといって邪法に手を染める事は、成功失敗の如何に関わらず、父の名に泥を塗ってしまう行為であると思ったからだ。

 だから自分は、愚直に武法を磨く事を選んだ。

 あの男が地に倒れ伏す未来予想図を実現するために、努力を惜しまなかった。


 だというのに。


 ――あの男は、すでに死んでいるとのこと。


 憎むべき仇。しかし同時に、自分にとっての道標だった男。

 それが喪失した。

 あの男が死んだのなら、自分は一体何のために努力してきたのだろう?

 何のために、この大会に参加したのだろう?

 何のために、【あの技】を作ったのだろう?


 そう。ライライの胸中に渦巻く喪失感の原因は、目標の喪失だったのだ。


 その事が、仇の弟子だったあの少女――李星穂リー・シンスイと揉めた事と重なり、濃霧のようなわだかまりを作り上げていた。


 自分はレイフォンの技を直接見ていたわけではない。あの男が作ったという父の亡骸を見ただけに過ぎない。なので、シンスイの武法を見ても、レイフォンの弟子である事に気づくことができなかった。

 こんな嫌な偶然がこの世にあるなんて。


 彼女には昨日から、ずっと辛くあたっている。


 向こうはめげずに何度も話しかけてきたが、自分はそのすべてを拒絶した。


「…………っ」


 ライライは苦虫を噛み潰したように顔を歪める。


 それは、苛立ちから来る表情。


 しかし、それはシンスイに向いた感情ではない。


 ――あまりに狭量な、自分自身に向いたものだった。


 本当は分かっているのだ。

 自分の彼女に対する態度が、理不尽なものであることくらい。

 はっきり言って、自分が彼女に当り散らすのは、お門違いの最たるものである。


 確かに、シンスイは父の仇、強雷峰チャン・レイフォンの門弟。


 しかし――”それだけ”だ。


 近しい人物である事は確かだが、あの男本人ではない。

 彼女は、あの気性が激しく好戦的な人格のレイフォンとは似ても似つかない。

 病的なまでの武法オタク。しかしそれでいて明朗で、大らかな性格の少女。

 そんな彼女を自分は微笑ましく、そして好意的に思っていた。会ってまだ数日だが、まるで可愛い妹分ができたような気分にさえなった。

 それなのに、ただ仇と近しい関係だったというだけで手のひらを返し、散々口汚く罵って拒絶した。彼女は何も悪くないというのに。

 自分の心の狭さに腹が立って仕方がない。


 でも、それでも、ただレイフォンの弟子だったというだけで、彼女をいとわしく思っている自分も心のどこかに確かにいる。


 彼女に謝りたい。

 彼女を遠ざけたい。

 矛盾する二つの感情が一つの心(うつわ)に入り混じり、ものすごく気持ち悪い。泥の塊を飲み込んだような不快感が残って抜けない。


 いつの間にか、自分の足はこの町の中心にある『公共区』の石畳を踏んでいた。闘技場が建っている場所だ。

 『商業区』の過密ぶりに比べ、ここの人通りは比較的落ち着いていた。閉塞感が無く、手足を振り回しても迷惑のかからない余裕がある。


 しかし、そんなライライの周囲を、突如数人の男が囲い込んだ。


 岩のような面構え、堂々たる体格、ところどころに見える小さな刀傷。どう見ても堅気とはいえない風貌の男たちだった。


「……何か御用かしら?」


 ゆえに、ライライは否応なしに警戒心を抱かされる。

 全員に共通する特徴である、背筋に棒でも仕込まれたかのように整えられた姿勢、地面に吸い付くような重心の安定感を持つ足――武法士の身体的特徴――も、警戒心を強める要因だった。


 男の一人が、ひっひっ、という気味の悪い笑声を口元から漏らしつつ、


「あんた、宮莱莱ゴン・ライライだろ? ちょいとツラ貸してくれねぇか?」

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