友達とは

 それからボクは、惰性のように時間を過ごした。


 茶館から出た後、同じ宿に泊まっている事もあって何度かライライと顔を合わせた。

 しかし彼女の反応は二通り。話しかけて来たボクの声を「うるさい!!」の一言で切り捨てるか、あからさまに無視するかだ。けんもほろろである。


 そのせいか、ボクはその日の夜に行う予定だった修行をやる気が起きず、そのまま寝てしまった。

 いつもは、よほど体調がひどい時でないと修行は休まない。そんなボクが具合も悪くないのに修行をサボったのだ。我ながら「明日は雪でも降るんじゃないか」と思ってしまった。


 翌朝になっても、修行をする気分にはなれなかった。いつもなら体が勝手に修行用の服に着替え始めるのに、それすらしていない。


 本格的にヤバイんじゃないかと感じ始める。


「……いけない。こんなんじゃ」


 ボクはそんな自分自身を、なけなしの気力で鼓舞した。

 このままじゃ腐ってしまう。いつものように修行で汗を流せば、少しは頭も冴えるだろう。

 少なくとも、何もせず時間を浪費しているよりはずっといい。

 何より、明日は決勝なのだ。少しでも下積みをしておかなければ。


 お腹に気力を溜め、勢いよく個室のベッドから跳ね起きる。


 寝間着を脱ぎ捨て、そのほっそりした肢体に修行用の軽装を通す。


 イソギンチャクのような寝癖の付いた長い髪をクシでとかしてから、お馴染みの太い一本の三つ編みにまとめようとした時、ボクはある事を思いつく。


「そうだ。ちょっと今日は気分を変えるために……」


 ボクは鏡の前で髪を結んでいく。

 やがて出来上がった髪型はいつもの三つ編みではなく、両側頭部に一つずつ結び目を作り、二束となった髪を垂らしたヘアスタイル。


 ――いわゆる、双馬尾ツインテールというやつだ。


「……自画自賛だけど、なかなか似合うかも」


 鏡に映っているボクは、いつものボクとは印象が大きく違った。

 大きな三つ編み一つに髪をまとめた普段のボクは、文学をたしなんでいそうで、なおかつ良家の娘然とした華やかな印象だった。

 しかし、今目の前にいるツインテールのボクは、女の子らしさを最大限に発揮し、周囲へ可愛さをこれでもかというくらい振りまいている感じだった。


 ――女の子ってすごい。髪型を少し弄るだけで、こうも印象が変わるなんて。


 ボクは鏡の前で目を丸くする。目の前にいるもう一人のボクも、同じ顔をした。

 びっくりした顔さえ可愛かった。

 ボクは調子に乗って、普段は絶対やらないような可愛い仕草やあざといポーズを、鏡の中の分身に次々と強要した。


 ……やだ。ボク、かなり可愛い。


 女としての美しさには恵まれていると自覚こそしていたが、それを今日ほど実感した日はなかった気がする。


「……はっ!?」


 が、我に返り、頭をイヤイヤ振った。


 ヤバイ。危うくナルキッソスのようになってしまうところだった。


 でも、そんなアホなことをやっていたおかげか、少しばかり元気が出た。


 よし、と意気込み、ボクは個室のドアから宿の廊下に出た。


「あ……」


 ――だが出た瞬間、ちょうどライライが目の前を通り過ぎていった。


 彼女はボクの存在を一瞥で確かめると、まるでそれ以上何もする必要がないとばかりに視線を前に戻し、歩きを続けた。


 ライライには昨日から、何度も袖にされ続けている。きっと今行っても、昨日の今日でまた拒絶されるだろう。


 しかし、それでもボクはめげずに駆け寄り、ことさら元気良く話しかけた。


「お、おはようライライ! これから食堂でご飯?」


 ライライは答えない。ボクなど存在していないかのように、淡々と歩く。


 ええい、負けるもんか。


 ボクは垂れたツインテールを両手に取り、


「ほ、ほら! 見てよライライ! ボク、今日髪型変えたんだ! どう? 似合うかな? 可愛い?」


「知らないわよ」


 ようやく一言くれた。しかし、あまりに冷たくそっけない。


「あ、あのさ……ミーフォンが『商業区』の飯店で働いてるんだって。遊びに行こうよ」


「行かない。あなた一人で行けば」


「……その……ライライ、今日は何か予定は――」


「うるっさいっ!!!」


 ライライは立ち止まり、癇癪のように怒鳴った。


「もう私に構わないで! だいいち、私たちは明日戦う敵同士でしょ!? 馴れ合うなんてありえないわ!!」


 昨日までなら、ここまで明確な拒絶を前に引き下がっただろう。


 しかし、今日はいま一歩踏み込んだ。


「それは、本心なの?」


「――っ!」


 見透かされた時のような顔をするライライ。

 否定もしなければ肯定もしない。その態度が言葉以上に「本心ではない」と語っていた。

 何より昨日のライライは、「決勝で戦う敵同士だから」なんてことは微塵も気にしてなかったのだから。


「……とにかく、私の事は放っておいて!!」


 やけくそのように言い募ると、ライライは廊下の向こう側へと走り去っていった。


 追いつけないスピードではなかったが、「追いかけて来ないで欲しい」と背中が言っている気がしたので、足が動かなかった。










 その後、ボクは予定通り修行に取り組んだが、ライライの事で頭がいっぱいでいまいち身が入らず、結局中途半端で終わらせてしまった。


 本格的に参っていた。


 一晩経てば、多少は態度が柔らかくなるかもしれない――心のどこかでそんな淡い期待を抱いていたが、今朝のやり取りで、それは見事に打ち砕かれた。


 けど、むべなるかな、とも思う。


 思い起こされるのは、昨日、ライライが放ったあの一言。


『うるさいって言ってるのよ!! この――大量殺人者の弟子っ!!!』


 あれを聞いた時、ボクは内心かなりショックだった。


 しかし、同時に思い知ってしまった。


 自分は、そういう人の弟子である事を。


 確かに、レイフォン師匠は違法な殺しはやっていなかった。

 殺したのはすべて、合法的に行われた決闘の相手だ。相手が死んでも「試合の結果」の一言で社会的にはカタがつく。

 けれどそんな理屈は、殺された人の家族の立場から考えれば、体のいい詭弁でしかないのだ。


リー女士、他人の師を批判するような事を口にするのは躊躇われますが、老婆心ながら一つ忠告させていただきます。――貴女の師父は、数多の武法士を決闘で殺害しています。全て【抱拳礼】を行った上での合法的な決闘ですが、人は時に、理屈だけでは決着がつけられない生き物。彼に殺された者の身内や腹心からの”仇討ち”には、十分用心するように』


 あの日、リーエンさんの放った一言が蘇る。

 別に、ライライは仇討ちをして来ようとはしていない。

 が、それでもボクは、その一言の重さを嫌というほど思い知ったのだ。


 ――このまま、ライライとの関係はケンカ別れという形で終わってしまうのか。


 意見の食い違いなどによる衝突程度なら、まだ修復は簡単だったかもしれない。

 でもボクは、彼女のお父さんを殺した男の弟子なのだ。修復が難しい事は火を見るよりも明らかである。


 でも、やっぱりこのままなんて嫌だ。

 しかし、どうすればいいのか分からない。

 まるで出口の無いトンネルの中をさまよっている気分だ。


 そして、そう悩んでいる間にも、お腹は空く。


 ボクは水浴びで体の汗を流した後、着替えて宿を出た。宿の食事でもよかったが、今の沈みきった心持ちのまま、一人で食べるのはなんとなく気が引けた。なのでボクは『商業区』へ足を運んだ。

 目的地は、ミーフォンが働いている飯店。

 この【滄奥市そうおうし】でライライ以外に話せる人物は、シャンシーかミーフォンくらい。でもシャンシーはどこにいるか分からない。なのでミーフォンを選んだ。


 話し相手が欲しかったのだ。

 愚痴を聞いてもらう、なんて大人っぽいものじゃない。ただ誰かと一緒にいたいだけ。


 こんな時だけミーフォンを頼るなんて、ちょっと卑怯な気がした。


 しおれたツインテールをたなびかせながら、ボクは街道を歩く。すでに八割の店が開店しているが、まだ朝であるためか、正午に比べれば人通りはまばらだった。


 もうしばらく歩き、そしてゴールに着いた。


 大きくもなければ小さくもない、普通の店だった。入口のドアのすぐ隣には、赤い木枠で囲われたテラスのような空間があり、店内と連結していた。

 外壁上部に貼られた横長の飾り看板には、でかでかと『団圓菜館だんえんさいかん』と書かれていた。

 そして、その店の前で、見知った顔を発見する。


「――団圓菜館の朝食セットはいかがですかー!? 美味しいですよー!」


 ミーフォンが笑顔で愛想を振りまきながら、呼び込みをしていた。

 いつもの勝気な様子とは違い、まるでアイドルのようにキャピキャピしたノリだった。おまけに服装も、いつもと違う朱色の半袖とミニスカート。おそらく給仕さんの制服だろう。

 普段と変わったミーフォンのその姿は、見ていて新鮮だった。

 ていうか、あのプライドの高いミーフォンに接客ができたのか。


「……あ!」


 ミーフォンがこちらに気がついた。ただでさえ明るい笑みがさらに輝かしいものとなった。

 が、彼女はボクのツインテールを見た瞬間、ものすごい顔をした。


 かと思えば、


「――ツインテお姉様キマシタワァァァァァァ!!」


 がばーっ!! と、勢いよく抱きついてきた。


「あ、あはは……良く働いてるみたいだね」


「はい! あたしは頑張ってます! それより今日のお姉様凄く可愛いですぅ!! 普段の三つ編みも清楚で素敵ですけど、この髪型もおしゃれですわ!! ああっ! あたしお姉様の髪の匂いでご飯三杯は余裕ですぅ!!」


 言いながら、嬉々としてボクのツインテールを両手で揉むミーフォン。


 ボクのイメチェンは、大変好評のようだった。









 この団圓菜館は、二階建てのうち一階を店として使っているようだ。


 ボクは店内を通じてテラスに入り、空席を見つけると、そこに座った。


「ご注文は何になさいますか、お姉様?」


 ミーフォンがニコニコしながらオーダーを訊いてくる。


 ボクは席に置いてあったお品書きとにらめっこする。でも、どれにすればいいのか迷う。


「今の時間帯なら、朝食セットがおすすめですよ。腹持ちが良くて、味もしつこくない、おまけに値段もお手頃です」


 ボクはミーフォンの言う朝食セットをお品書きの中で探し、見つける。確かにリーズナブルな価格だった。これなら財布はそれほど痛くない。


「それじゃ、朝食セットにしようかな」


「かしこまりました、お姉様!」


「ははは。ミーフォン、ちゃんと給仕さんできてるね」


「へへ。環境に順応しやすいのが昔からの特技なものなので」


 そう照れ笑いしながら、ミーフォンは店内奥のカウンターに向かった。注文を伝えに行ったのだろう。


 しばらくすると、陶製のコップが乗った木のトレイを持って、また戻ってきた。


「はい、お冷です」


 ミーフォンはコップをそっとボクの前に置く。水だった。


 ボクは軽くお礼を言ってから、水を少量すすり、器を置いた。


「はわー、お姉様のツインテ、柔らかくて気持ちいいですー……」


 ミーフォンはというと、嬉しそうにボクのツインテールの片方を触っていた。


 ボクはたしなめるように、


「ちょっとミーフォン、仕事しないとダメじゃない」


「大丈夫ですよ。この店が盛り上がるのは昼からで、朝方はあんまり人来ないんです」


 ミーフォンがそう言った瞬間、カウンター奥にいる男性店主の眼差しがビームのように光った。ひっ。


「ミーフォン、しーっ!」


 ボクが慌てて黙るよう促すと、彼女も失言だったと言わんばかりに口を押さえた。

 でも、確かに店内を見渡すと、店内テラス側問わず人はほとんどいなかった。他の給仕さんも手持ち無沙汰な様子だ。

 やはり時間帯のせいだろう。観光目的の人はまだ大体寝てそうな時刻だし、仕事がある人はそもそも店に来る暇がない。


 とりあえず頼んだ料理ができるまでの間、どう過ごそうか考えていると、


「それより、どうですかお姉様、この制服? 似合ってますか?」


 ミーフォンはその場でくるりと一回転し、そう感想を聞いてきた。

 小柄ながらスタイルの良いその体に通されているのは、朱色を基準とした半袖とスカート。上衣の脇腹辺りには、大きな睡蓮の刺繍が金色の糸で施されている。膝小僧より少し高い位置という、ロングとミニの間を取ったような丈のスカートは、末端がまるでフリルのようになっていた。ゴシックロリータとオリエンタルが混ざったような、中洋折衷のデザイン。


「似合ってるよ。特にそのスカート、可愛いね」


「めくってもいいんですよ?」


「めくらないから」


 くすくすと笑うミーフォン。


 ジョークなのかマジなのか分からないが、そんな彼女のおかげで少しばかり元気が出た。


「そういえばお姉様、ライライは一緒じゃないんですか?」


 ふと、ミーフォンがそう尋ねてきた。


 ――気まずい気分になる。


「あれ、どうしましたお姉様? 元気ないですよ?」


 そう言って、ボクの顔を覗き込んでくる。


 ボクは何度かためらうが、やがて重い鉄の扉を開くような心境で言った。


「実は……ライライとはケンカしちゃって」


 正直、ライライが一方的に突き放しているため、ケンカという表現が適切かどうか分からない。でも、それが一番妥当な単語だと思った。


 ミーフォンは少し驚いた表情で、


「ケンカですかぁ? しかもライライと? あいつ、ケンカするようなタイプには見えませんけど……」


「えっと……ケンカというより、ライライの方からボクの事を突っぱねてる感じで……」


「ますます腑に落ちませんね。一体何が?」


「……ちょっと、事情が複雑なんだけど…………」


 ボクはそれから、ミーフォンに話した。

 ボクの師匠のこと。

 ライライのお父さんのこと。

 ボクの師匠が、ライライのお父さんを試合で打ち殺してしまったこと。

 そして、ボクとライライの今回のいさかいが、その事を原因としていることを。


 話をすべて聞いたミーフォンは、木製トレイを手から落とし、四肢と唇を震わせながら、


「なっ……!? お、お姉様……あの【雷帝らいてい】の弟子だったんですか!?」


「うん、まあ一応。そういえば師匠って、君たち紅家の人間から【太極炮捶たいきょくほうすい】を教わったんだっけ?」


「は、はい。彼は元々【太極炮捶】発祥の地【嬰山市えいざんし】の生まれで、そこで【太極炮捶】を学んだんです。……まあ、破門という形で去ったらしいので、ホン家の人間からは良く思われてないですけど」


 「破門された」という経歴は、武法士社会では「武館を追い出された」以上の意味を持っている。

 前にも言ったかもしれないが、武法士は自分の流派に対する帰属意識が強い。例外もあるが、一度入門すれば、師と兄弟弟子との間にはまさに親兄弟のごとく強固な関係性が生まれる。

 一門は、一つの家族と一緒なのだ。

 その家族のような間柄から弾かれるというのは、もはや勘当と同じ。だからよほどの事をやらかさない限りは破門にはならない。


 つまり「破門された」という事は、その「よほどの事」をやらかしてしまったという意味に他ならない。


 そして、その経験はそのまま汚点となる。今度別の流派に入りたくとも、「破門された」経歴がネックとなって、門前払いをくらう確率が高くなるのだ。要するに、「こいつは我が門に泥を塗る存在になるかもしれない」といった感じで警戒されてしまうのである。


 【太極炮捶】門下だった若い頃、レイフォン師匠は類稀たぐいまれな才能に恵まれていただけでなく、精進を怠らない努力家だった。そのため、同期の門下だけでなく、自分よりも長く修行している兄弟子たちも置き去りにして、屈強な武法士へと育っていった。

 しかし生来の好戦的な人格が災いし、他流派としょっちゅういさかいを起こしていた。あまりにそれがひどかったため、ある日とうとう流派を追放されてしまったのだ。

 破門後も、師匠は戦いを続けた。【煌国こうこく】中を放浪し、修行しながら名のある武法士たちを次々と決闘で負かした。

 さらに功力に磨きがかかり、「負かした」は「打ち殺した」に変わった。

 自分の学んだ【太極炮捶】に独自のアレンジを加え、【勁擊けいげき】の威力をより凶悪にした武法【打雷把だらいは】を作り出した。

 そしてとうとう、【雷帝】と恐れられるほどの最強の武法士になった。

 しかし彼はなおも満足せず、強者を求めてあちこちで決闘を続けた。


 そして、その末にユァンフイさんを…………。


「……やっぱり、ボクが悪いのかな」


 師匠の歩んできた修羅な道のりを振り返ったボクは、改めてそう思った。

 ボクは、ライライに言い返せる言葉を何一つ持っちゃいない。

 一方的に悪罵を吐かれるしかない。袖にされるしかない。


「もう……仲良くできないのかな」


 うつむき、そう弱音をこぼす。自然に出てきた言葉。それだけ心が参っている証拠といえた。

 だって、ボクは彼女の仇の弟子なんだ。そんな相手と、一体どうして仲良くできるだろうか。


 ――もうきっと、前みたいには戻れない。


「……お姉様にとって、ライライはどんな存在ですか? あいつがどう思ってるかなんて抜きにして、お姉様の考えてる答えを聞かせてください」


 そこで、ミーフォンが突然そう訊いてきた。


 ――そんなの、決まってる。


「友達だよ」


 ボクは、そう断言した。

 会ってまだ一ヶ月どころか、半月にも満たない間柄。

 それでも、ボクは彼女の事を友達だと思ってる。


 そんなボクの答えを聞いたミーフォンは、何秒か思案顔をしてから、やがて語り出した。


「……小さい頃、あたしには仲の良い友達が一人いました」


 脈絡の無い発言。


 しかし、何かボクに伝えたい事があるのかもしれない。そう思ったので、黙ってミーフォンの言葉に耳を傾けた。


「あたしと同じく【嬰山市】に住んでた子でした。その子はあたしと違って武法はやってなかったけど、それでも修行の合間によく一緒にいろんな事をして遊んでました。その子といるとあたしは凄く楽しくて、その子もまたあたしと一緒にいるのは楽しいって言ってくれました。その時、あたしはこの関係が未来永劫続くものだと、信じて疑っていませんでした」


 不穏な言葉で一度区切られ、さらに続いた。


「でもある日、あたしは見てしまいました。その子が――軽食屋で売ってた油条ヨウティアオを万引きする所を。その子の家は凄く貧乏で、あたしと違ってお菓子を気軽に買う小遣いもなかった。だから、思わず魔が差してしまったんでしょう。あたしはすぐに自白するように説得しましたが、その子は「そんなことしてない」とシラを切りました。当時のあたしは今と違ってもっと生真面目な性格で、そんな不正を許すことができませんでした。商品というのは、その店の人がお金をかけて用意した物。それを一つ盗むだけでも、店の屋台骨をへし折る行為に等しい、といった具合に。だからあたしはその軽食屋に、友達の万引きを告発したんです」


 ……これは、どうすればいいのか判断に苦しむ問題だ。

 もしもボクなら、その子が自白するまで待っていたかもしれない。しかし、それだといつまで経っても自分の罪を認めない可能性だってある。

 しかしミーフォンは、告発を選んだ。

 それは社会的に考えれば、正しい事なのかもしれない。

 しかし逆に考えると、友達を裏切る行為と捉えられなくもない。その子とまともな友情が続く確率は低いといえるだろう。


 ミーフォンの次の語りを聞き、その読みが正しかった事を知る。


「その子の母親の必死な謝罪が功を奏して、店の人は訴えを起こさずに済ませてくれました。でもその日以来、その子は泥棒と呼ばれて、大人子供問わず周囲から後ろ指を指されるようになったんです。自業自得と言えばそれまでですが、あたしはその事に強い自責の念を感じてしまいました。バカみたいですよね、自分でチクっておいて後悔するなんて。正しい事をしたはずなのに、その子に引け目を感じて仕方がありませんでした。そうしてまともに話をしない日が続いて、やがて母親が富豪の男と恋に落ち、再婚した事を機に、その子は【嬰山市】を去りました。それ以来、全く会っていません」


 自嘲めいた笑みを浮かべながら語るミーフォン。


 しかし、その自嘲めいた笑みは、すぐに自信をもった微笑みに変わった。


「でも、今ならどう接すれば良かったのかわかります。あたしは、あたしの正しさを信じた上で、その子と向き合ってみるべきだったんです。その結果、どれだけ悪罵をぶつけられようと、そうするべきだったんです。友情が壊れる確率の方が高いでしょう。でも、もしかしたら――また前みたいに仲良くできたかもしれないじゃないですか」


 ――ボクは分かった気がした。

 ミーフォンが自分の過去を打ち明けた上で、何を言わんとしているのかが。


 彼女は見開かれたボクの目を真っ直ぐ捉えると、いつも以上に真摯な語り口で、


「お姉様はライライに引け目を感じているようですけど、それは宜しくありません。少し厳しい事を言いますけど、それじゃ関係の改善なんて望めないと思います」


「そう……かな」


「はい。友達だと思うなら、下手に出るのは良くないです。――なおさら反論するべきです。自分の非を認めつつ、自分の正しさを主張するんです。それができなくちゃ、友達じゃありません。どちらか片側に偏った時点で、友情は成立しなくなってしまうんです。あたしと、その友達みたいに」


 まさに今のボクとライライの状態は、ミーフォンにとっては身につまされるものだったのだろう。

 だからこそ、助言をくれた。

 ボクが、自分みたいにならないようにと。

 自分にできなかった事を、ボクにやって欲しいと。


 それを思うと、ボクは感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。

 きっとボク一人でうんうん悩んでいたら、こんなことは思いつかなかっただろう。

 ここに来て、本当に良かった。


 ――今、ボクのやるべきことが決まった。


 玉砕覚悟で突っ込むこと。

 突っ込んで、自分の非を認めた上で、自分の主張をぶちまけること。

 それで、ライライとの関係が修復されるという裏付けは無い。ヘタをすると、完全に修復不可能な溝が生まれてしまうだろう。

 でも、このまま日和っていたら、なおさら元の関係に戻ることはできなくなる。

 なら、やってやろう。

 どちらを選んでも後悔するなら、せめて後悔しない確率の高い方を選びたいと思った。


「ありがとう、ミーフォン。君の存在をここまでありがたく思った事はないよ」


 感謝を述べながら、ミーフォンの頭をそっと撫でた。


 途端、彼女はさっきまでの引き締まった表情を一転、にへらーと夢見心地に笑いながら、


「えへへー。お姉様ぁ、今でも十分幸せですけど、もう一つご褒美が欲しいです」


「何がいいんだい?」


「チューして欲しいです」


「いや、それはちょっと」


 ふふふっ、と二人顔を見合わせて笑声をもらす。


「――ホン、何やってる!? 朝食セットができたぞ! 早く運べ!」


 そこで、カウンター奥から苛立つような男の声が響いてきた。店主のだろう。


「あ、すみません! ただいま! ……というわけでお姉様、あたしはこれで」


「うん。お仕事頑張って」


「はいですっ」


 元気よく返事すると、ミーフォンはトレイを拾い、店内へ駆け足で向かった。


 が、その足が途中でピタリと止まった。

 

 彼女はボクの方を振り返ると、


「あの、お姉様、言い忘れていた事がありました」


「なんだい?」


 心配そうな顔で言ってくるミーフォンに、ボクの心に何か不穏な感じが生まれる。


「その、昨日、客の話を小耳にはさんで知ったんですけど……最近、この【滄奥市】で「武法士狩り」が横行してるらしいです」


「武法士狩り?」


「はい。なんでも、最近あるデカい【黒幫こくはん】が分裂したみたいで、その結果生まれた新興の組織が、自分たちの名を手っ取り早く上げるために、有名な武法士を潰しまくってるんですって」


 【黒幫】というのは、この国におけるマフィアのような組織のことだ。

 一口にマフィアと言っても、大小様々な組織が存在し、またその性質も組織によって異なる。

 まさしくヤクザの典型と呼べる粗暴な【黒幫】もあれば、仁義を重んじる質実剛健な【黒幫】も存在する。……まあ、ぶっちゃけ前者が大半だが。


「その……お姉様が予選大会の決勝まで勝ち進んだことは、この辺じゃもう知らない人はほとんどいません。もしかしたら、お姉様も狙われるかもしれません。お姉様なら平気だと思いますけど……その、念のため、気をつけてくださいね」


 そこまで言うと、ミーフォンは今度こそスカートを翻し、店内に入っていった。


「武法士狩り、か……」


 思わず呟きをもらす。

 そういえば昨日、衆人の視線の中で、突き刺すような眼光が一つあった気がする。それってまさか……。


 いや、そうとは限らないだろう。ボクの気のせいかもしれないし。


 それより、今はライライの事が優先だ。


 これからの行動のため、たらふく英気を養うとしよう。






 ボクは朝食セットをお腹に収めてから、店を出た。

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