羅森嵐と心意盤陽把

その後、ボクは決死の思いでなんとかミーフォンを大人しくさせた。


 ……大人しい、といっても、「比較的」という言葉を前置する必要があるが。


 ミーフォンはその後も「お姉様」呼びと、ボクに対する甘ったるい声と態度をやめてくれることはなかった。


 気に入られて悪い気はしないけど、彼女のはなんだか度が過ぎている気がする。


 ――まあ、それはひとまず置いておくことにする。


 ミーフォンと思わぬ形で和解した後、ボクらは選手用の観客席へと足を運んだ。のんびりするのもいいが、敵状視察もアリかなと思ったのだ。

 というか、そもそも選手用の観客席は、これから戦う相手の戦力分析のために用意されたものでもあるのだ。


 選手用の席にやって来た時には、すでに眼下の円形闘技場で第二試合が行われていた。


 いかつい大柄の男と、ボクらと歳が近い少女。その二人が闘技場で激しくぶつかり合っていた。


 ボクはその二人のうち、少女の方に目をつけた。


 円形レンズの眼鏡。オールバックにして後頭部で一本の三つ編みに纏められたチョコレート色の長い髪。名工の彫った彫刻を思わせる華やかな顔立ちは、賢人のような知性と戦士のごとき鋭い気迫を同時に感じさせる。

 着物のように袖の余った長袖と、袴をベースにしたとしか思えないデザインのワイドパンツ。ゆったりとした部位の多い服装だが、形良く盛り上がった胸ときついカーブを描いた腰の曲線美が、内側に秘められたプロポーションの良さを示していた。


 トーナメント表に書かれた名前は「于戒ユー・ジエ」と「羅森嵐ルオ・センラン」の二つ。


「彼女の名前はどっちだろう?」


 ボクが二人のうちのどちらかにそう問うと、片腕にしがみついていたミーフォンが答えてくれた。


「――羅森嵐ルオ・センランの方ですわ、お姉様。あたし『試験』の最中、あの女がそう名乗って『鈴』を奪う所を目撃してましたもん」


「そっか。ありがとう、ミーフォン」


 そう感謝を告げると、ミーフォンは期待に満ちた眼差しで頭を突き出してきて、


「ご褒美に頭を撫でてくれると嬉しいですわ」


「え……あ、うん……」 


 ボクは若干気後れしながらも、ミーフォンの頭を優しく撫でてあげる。彼女は気持ちよさそうに目を細めた。まるで猫みたいだ。


 隣のライライが「ご愁傷様」的な目でボクを見ていた。


 ほんと、すっかり懐かれちゃったなぁ……。


 それは頭の隅っこに置いておいて、まず試合を見るのに集中しよう。


 ボクたちは適当な席を見つけ、そこへ腰掛けた。


 そして、眼下の試合を見つめる。


 その少女――センランは素手であるのに対し、相手の男は武器持ちだった。全長約1まい半の、薙刀に似てなくもない形の長物。柄の割合が六割ほどで、残りの四割は片刃の刀身である。「双手帯そうしゅたい」という武器だ。


 男は双手帯の刃をものすごい速度で横薙ぎに走らせた。いぶし銀の閃きが鋭く曲線を描く。


 センランは【硬気功こうきこう】をかけた掌でそれを受け止める。ガギィン! という金属の激突音とともに、彼女は大きく後ろへ滑った。


 彼女と男との間に、大きな間隔ができていた。その距離が、今のひと振りの威力をものがたっていた。


 しかし、眼鏡の奥にあるセンランの目から戦意は消えていない。いや、むしろ、楽しんでいるような色すら見えた気がした。


 センランは小さく動き出したかと思うと――疾走した。


「――!?」


 それを見て、ボクは驚かずにはいられなかった。


 ただ走っただけならいい。


 だが、その速度が――尋常ではなかった。


 センランは大きく開いた男との距離を、ほぼ一瞬と言っていい時間で縮めたのだ。


 高速移動なら、ミーフォンの【鼠歩そほ】で見た。しかし、今のセンランの速度はそれ以上だった。


 その尋常外の速度によって、男は反応が遅れる。


 その隙をついて、センランは踏み込みと同時に【硬気功】をかけた拳を双手帯の刃に叩き込んだ。


 【硬気功】をかけた拳は、まさしく鉄製の鈍器と一緒だ。双手帯の刃は甲高い金属音を立てて砕け散った。


 余った勢いによって、男は後ろへ滑らされる。


 だがセンランは、またあの高速移動で接近。追い打ちとばかりに爪先を男の腹部へ叩き込んだ。


 男は苦悶の表情を浮かべるが、倒れるのを我慢しつつ、残った双手帯の柄の部分でセンランに殴りかかった。


 しかしセンランは深く腰を落として回避。そのまま一歩踏み込み、正拳で突く。


 宙に浮き、派手に吹っ飛ぶ男。後ろには壁。


 しかし壁にぶつかる前に、センランが男の後ろへ素早く先回り。背中に回し蹴りを叩き込んだ。慣性の方向が変わり、男は元来た道を戻るように流される。


 センランは男の右に移動。肩口から体当たり。

 今度は左に回り込み、回し蹴り。

 正面に入り、正拳。


 あらゆる位置から、めまぐるしく攻撃を加えるセンラン。


 その一挙手一投足に、ボクは視線を集中させていた。


 重心位置が曖昧ではない。自重の乗った足がどちらかはっきり分かる足さばき。

 特徴的な動きや姿勢が少ない。シンプルな形の技が多い。

 そして、高速移動。


 それらの判断材料から、ボクは答えを導き出した。


「あれは――【心意盤陽把しんいばんようは】」


 ボクの記憶が正しければ、ほぼ間違いなく正解のはずだ。


 【心意盤陽把】――『陰陽』という理論を最大限に活かした武法。


 『陰陽』という二分割法は、様々なものに置き換えて考えることができる。武術に関しては『防御と攻撃』、『柔と剛』、『虚と実』などがそれにあたる。

 【心意盤陽把】は、これらの武術的な『陰陽』を明確に二分割することで、非常にスピーディーな動作を可能にする武法なのだ。


 例えば、先ほどの高速移動。あれだけ速いのは、別に優れた瞬発力があるからではない。"軸足を入れ替えるスピード"が速いから、あの速度が出せるのだ。

 重心の乗った足を『陽』として、重心の乗ってないもう片足を『陰』として認識し、それを何度も入れ替える足運びを行う。

 その『陰陽の転換』の速度は、練度の高さに比例する。センランのあの速度は、その『陰陽の転換』がとてつもなく速い証拠なのだ。


 このように【心意盤陽把】は、『陰陽を入れ替える』速度を養成することで、常識ハズレに疾く、鋭い動作を行なえるようになる。


 この流派は動きや姿勢、構えに虚飾が全く無い。素早く敵を打倒、制圧することに長けている。まさしく実戦本位の武法だ。そのため、実戦性を重んじる宮廷護衛官の間で積極的に採用されている。


 というより、そもそもこの武法を創始したのは、とある宮廷護衛官なのだ。


 【心意盤陽把】は、不文律的に御留おとめ流派のような扱いを受けている。ゆえにその伝承は、ほとんど宮廷護衛官の間にのみ集中しているのだ。


 そのような伝承事情ゆえに、ボクはあの武法をほとんど見たことがない。


 それを思うと、心が踊るのを感じた。 


 眼下では、センランが【炸丹さくたん】を使った正拳を相手に叩き込んでいた。

 女の細腕が、大の男を軽々と吹っ飛ばす。

 背中から落下し、静止。

 仰向けになったまま、微動だにしなくなる男。

 審判はそんな彼に近づき、数秒確認すると、




于戒ユー・ジエ、意識喪失を確認!! ――勝者、羅森嵐ルオ・センラン!!」




 センランの一回戦突破を宣言したのだった。











 一回戦が終わった。

 めでたく勝ち進んだ者、惜しくも敗退した者、両方とも等しく八人出た。もともと一六人だった人数を半分こにする形で。

 ちなみに、ライライも無事に勝ち進むことができた。

 蹴り技主体の武法士もたくさん見てきたが、彼女はその中でも破格の実力を持っていた。相手はライライの迅速かつ重々しい蹴りの連続に手も足も出せぬまま、敗北へと追い込まれた。対してライライは相手に一度も触れられていないので、もはや完全試合だった。


 そして翌日。

 ボクとライライを含む一回戦勝者八人は、再び円形闘技場という名のふるいにかけられる。


 ――ことはなかった。


 今日は、お休みである。

 この予選大会は、もともとの選手の数である一六を二で割っていく形で、合計四回戦行う。

 一日に一回戦やるので、戦う日にちは全部で四日。

 しかし、四日連続で戦わされるわけじゃない。試合の日と試合の日の間に、一日の休日を挟むのだ。


 この休日の目的は、主に二つ。

 一つ。選手に怪我の療養や休息のための猶予を与えること。

 二つ。選手含む外からの来場者にその町を観光させ、お金を使わせること。


 ボクは別に怪我をしているわけではないし、別段疲れたってわけでもない。ライライも同じだった。


 なのでボクたち"三人"は、この【滄奥市そうおうし】をのんびり観光することにした。


 ……ちなみに"三人"と言ったとおり、メンバーはボクとライライの他にもう一人いる。


「うふふ、シンスイお姉様……♡」


 その三人目――紅蜜楓ホン・ミーフォンは、ボクの片腕に嬉しそうにしがみついていた。

 これが漫画だったら、彼女の頭上からは無数のハートマークが湧き出ているだろう。そんな幸福感あふれる顔だった。


 この娘は昨日の一回戦に敗退した。選手用の宿である『巡天大酒店じゅんてんだいしゅてん』を出なくてはならなくなったことも含め、もうこの町にいる理由もないはずだ。


 だがミーフォンはいまだにこの町にとどまっている。わざわざ宿をとって泊まっているのだという。理由は「お姉様ともっと一緒にいたいです! もう二度と忘れないくらいその姿を瞳に焼き付け、匂いを鼻の奥に刻み込みたいですわ!」だそうだ。


 元男の自分としては、こんな可愛い娘に気に入られて悪い気はしない。が、それ以上に戸惑っている。ここまでストレートな好意を寄せられたことは、前世でも現世でも無かったのだ。


「あ、あのさミーフォン、少し離れて歩かない……?」


「どうしてですかお姉様?」


「や、だって、歩きにくいでしょ?」


「あたしはそんなことありませんもんっ。それとも、ご迷惑ですか?」


「あー、いや……別にそういうわけじゃないけど……」


「じゃあいいじゃないですかっ。ああっ、お姉様ったら今日もいい匂いがしますぅ!」


 恍惚の表情で、ボクの肋骨辺りにゴリゴリ頬ずりしてくるミーフォン。


 隣を歩くライライが「弱いわねぇ」と言いたげに苦笑を浮かべる。うん、ボクも我ながらそう思うよ。


 現在ボクらが歩いているのは、『商業区』の目抜き通りだ。

 横幅の大きな街道が伸びており、その端にはたくさんの店や、細い脇道がある。

 ちなみにこの『商業区』で人気なのは、なにも表で軒を連ねる店ばかりではない。

 目抜き通りの端にある脇道から裏通りに入ることができ、その辺りには少しマニアックで面白い店が多いのだ。

 変わった武器がたくさん売っているお店や、不味いが非常に健康に良い事で人気の飯店など、目抜き通り顔負けのバリエーションを誇っている。


「そういえばシンスイ、あなたの次の相手ってあの羅森嵐ルオ・センランなのよね? 勝てそうかしら?」


 不意に、ライライがそう訊いてきた。


 明日に行われる二回戦、ボクは羅森嵐ルオ・センランと対戦することになっている。

 昨日の一回戦では、第一試合でボクが勝ち、第二試合ではセンランが勝った。トーナメント形式であるため、次にボクと彼女が当たるのは必然だった。


 ボクはミーフォンに捕まってない方の手を顎に当てながら、


「うーん、どうだろ。【心意盤陽把】の使い手とは戦った事がないからなあ。まだ分からないや」


「お姉様は最強です! あたしの時みたいにワンパンで勝てますよ!」


「ははは……ありがと、ミーフォン」


 ミーフォンの頭を軽く撫でる。彼女は「うにゅぅ」と心地よさそうな声をもらした。


 ボクの思考は明日の試合ではなく、センランの使う流派に向いた。ボクはワクワクした表情で、


「でもさ! 凄いよね【心意盤陽把】! あれボクあんまり見たことないんだよ! もし機会があるなら、センランに話を伺いたいなぁ」


「次はあんな強敵が相手だっていうのに、あなたったら呑気ねぇ…………あら?」


 ライライはそこで言葉を止める。


 かと思うと、ボクの肩を叩き、耳打ちするような小さめの声で、


「……シンスイ、噂をすれば影、よ」


「え?」


 ボクが反応すると、ライライは前方のある位置を指差した。


 そこは、年季の入った小さな木造の建物だった。入口である引き戸の横には、煌国語で「お菓子」と大きく書かれた縦長の旗がはためいている。駄菓子屋だ。


 そして、その駄菓子屋の入口の前に棒立ちしている一人の少女。

 上品さと意思の強さを感じさせる美貌。円いレンズの眼鏡。オールバックにして後頭部で一本の三つ編みに纏められたチョコレート色の長髪。

 それは誰あろう、羅森嵐ルオ・センランだった。

 昨日の試合を戦っている時の顔からは、まさしく戦士といった気迫を感じた。しかし今の彼女の顔はまるで迷子になった子供のようで、駄菓子屋の入口をただジッと見つめている。


 しかし、彼女の考えている事を読む余裕はなかった。


 もし機会があるなら話をうかがいたい――そう口にした矢先、願いがかなったのだ。


 つくづく、ボクは武法に縁があると思う。


 ボクは我知らず、小走りでセンランに近づいていた。


「ちょっ、お姉様っ?」


 突然スピードアップしたためにミーフォンの拘束から外れてしまうが、それすら気に留められなかった。


 センランの傍に着いたボクは、


「あ、あのっ! 羅森嵐ルオ・センラン、だよねっ?」


 少し緊張しながら、声をかけた。


 彼女はピクっと反応し、ボクの方を向く。そして、少し驚いた顔をした。


「キミは確か……李星穂リー・シンスイだったか。わら、私に何か用か?」


 つややかな紅梅色の唇から、二胡の音色のように美しく、気品ある声が紡がれた。


「う、うんっ、そうだよ。その、君の使ってる流派って、【心意盤陽把】だよね!?」


「いかにも。それが何か?」


 やっぱり!!!


「君の武法【心意盤陽把】について、何か聞かせて欲しいんだ!! 宮廷護衛官「韓亮ハン・リャン」が、目にも止まらぬ速さの連続突きを得意とする流派【番閃把ばんせんは】を改良して創始した武法! 他の流派に比べると歴史はちょっと浅いけど、【番閃把】の美点を連続突きだけじゃなくていろんな種類の技に組み込んだその技術体系は非常に素晴らしく、風のような速度で敵に近づき、そして迅速に打倒、制圧することに長けている。まさに要人警護の要である護衛官に相応しい流派ってわけだね! でも警護手段の漏洩を心配してか、【心意盤陽把】は宮廷護衛官の間で秘伝状態になっている。一応民間でも伝承はあるにはあるけど、めちゃくちゃ少ない。護衛官ってのは非常に高い武法の腕前が必須条件で、おまけに募集人数もごくわずかな狭き門。その護衛官になれる人そのものが圧倒的に少ないから、引退後に教えられる人も必然的に少数なんだ。これじゃ民間に広まりにくいわけだよ。おかげでボクもこの武法だけはあんまり見たことがなくてフムグッ――!?」


 ボクは延々とまくし立てる口を慌てて塞いだ。

 またやっちまった! 

 いい加減進歩しろよ、ボク!


 ボクは先ほどまでの生き生きした表情をすっかり曇らせ、控えめな上目遣いでセンランを見る。


 彼女は案の定、ぽかんとした顔。「え? いきなり何なのこの娘?」という考えが読めなくもない表情だ。


 ……だが突然、センランは表情を崩して呵呵大笑した。


「あっはははははは! 尋ねてきたかと思えば突然高速でまくし立て、かと思えば自分でその口を塞ぐなんて、面白いなキミは!」


 今度はボクがぽかんとする番だった。


 センランはひとしきり大笑いすると、少し前かがみになってボクの顔を覗き込む。彼女はボクより背が高かった。ライライよりかは少し低いくらいか。


 円い眼鏡の奥にある瞳は、宝石のような強い輝きと威厳に満ちていた。その意味不明な圧力に、ボクは射すくめられたような気分になる。


 センランは面白げに口端を吊り上げて、


「しかし、【心意盤陽把】に関する先ほどのセリフを聞いて少し驚いたぞ。熱心に調べていなければ、あそこまでは語れまいよ。私には分かるぞ。キミは大層武法に惚れ込んでいるな? キミからは私と同じ匂いがして仕方がない」


「匂い?」


 妙な言い回しに、ボクは小首をかしげる。


 センランは腰に手を当てると、意気衝天に鼻を鳴らし、


「いいだろう、気に入った。話をしても構わんぞ。だが……その、条件として、一つだけ私の頼みを聞いてもらえないだろうか?」


「うんっ、何でも言って!」


 話が聞けると分かった途端、ボクはゲンキンにも一気にテンションを最高潮に上げた。


 センランはちょっぴり頬を赤くすると、もじもじ指を絡ませながら、


「……その、ここに入りたいのだ。一緒に来てはくれないか?」


 ――駄菓子屋を、目で示したのだった。

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