怪ノ七十九 落ちていく
ある月曜日の朝。
教室の窓の外に、足がぶらさがっていた。
――えっ、なんで足? っていうかなんでこんなところに?
人は混乱すると、声を失うしかない。
しかも俺の他に誰も気付いていないのならば尚更だ。
足は窓の上のほうからすらりと、というよりだらりと二つ伸びていた。
窓からでは足首までしか見えないし、何より靴を履いていない。白い靴下を履いた足だけが見えているのだ。
上の階から誰か足を投げだしているのかとも思ったが、ここは三階だ。足をかける場所もない。そもそも、たとえば上の階の窓に腰かけるかなにかしても、まちがいなくこの距離だと落ちている。
「な、なあ。あれ……」
と(おそらく物凄く青白い顔で)クラスメイトにそれとなく訴えてみたが。
「え? なに? なんかあんの?」
というような微妙な反応だった。
生きている人間の足であるならばそれなりの反応が返ってくるはずだ。ということは、上から伸びてきている足に気づいているのは明らかに俺だけなのだ。
――変なもん見ちゃったなあ。
足は授業中だろうが放課後だろうが、ずっとぶらさがっていた。
しかも、少しずつ下に下がってきている。
三日もすれば慣れてくるもので、次第に足の上のほうが見えてくるたびに、(そういえば女の子なのか)と思うくらいにはなっていた。
男であるならばズボンを履いているはずだが、靴下は途中で終わっていて、そこから白い生足が続いていたからだ。
こうなってくるとちょっとしたスケベ心が湧いてきて、幽霊でもいいからスカートの中が見えないかと思うようになっていた。
もちろん怖くないわけではない。
人並みに怖いし気味が悪い。
そんなことでも思わないとやってられないというのが正直なところだ。
だから、窓の外を直接覗いて、上で「彼女」がどうなっているのかをしっかりと見るつもりはなかった。
金曜日くらいになると、もうちょっとで彼女の顔が見られる、というところまできていた。足の形や手の位置なんかも少しずつ変わっていて、少しずつ落ちている様子がわかった。
しかしその日はいつまでたっても顔までは見られず、とうとう放課後になり、いつまでも残っていては迷惑だというところまできてしまった。
土日を挟んで、いったい彼女はどうなるのだろう。
普段はゲームかだらだらしているかぐらいなのだが、その間もずっと教室の外で落ち続けている彼女が気になった。
土曜日は早く日曜日がこないかとずっと考えていた。
親に何かを頼まれても生返事しかできずにいると、ゲームのせいかと思われて文句を言われた。
日曜日になった時には、あと一日が妙に長く感じられた。
スマホを触る気にもなれず、会話アプリも既読スルーのままぼんやりと過ごしてしまった。
そして、とうとうまちにまった月曜日。
もうすぐ彼女の顔が見られる、と思うと少し緊張した。
ブサイクだと嫌だなあとか、美人だといいなあとか。
いずれにしろあのスピードだと一週間くらいはこの窓を落ちていくはずだし、その間くらいはいい表情を見ていたい。
自分でも悪趣味だとは思うが、しょうがない。
「おはよう!」
下駄箱のところで友人が声をかけてくる。
「おう、おはよう」
「そういえばさあ、昨日すげーことがあったんだよ、ちょっと聞いてくれ」
「な、なに?」
――なんだよ、邪魔すんなよ。
教室に行ってもこれだと、彼女の顔をまじまじと見られる機会はないかもしれない。
そもそも授業中にだって窓の外をぼんやり見ることがあれば、教師にちょっと指摘されるに決まっているからだ。
自分の教室のある廊下を歩くころには、隣でぺらぺらとくっちゃべる友人の話など聞いちゃあいなかった。
教室が近づくにつれて、次第に期待が高まっていく。どこかうつろに胸を膨らませて。
とうとう教室の前にくると、緊張感は最大限に高まった。
ぴんと張り詰めた自分とは裏腹に、閉まっている教室の扉を友人が無造作に開く。
息を飲んだ。
ぱっと目をあげたそこには、そよそよと揺れるカーテンが飛びこんできた。
鼓動が高鳴る。
「あれっ、カーテン閉めてんだ」
友人が、既に教室に来ていた外のクラスメイトたちに声をかける。
「あー。今日まぶしいから閉めた」
「ふーん」
なんてことを。
このままじゃあ彼女の顔が見れないじゃないか。
そもそも彼女はこの教室の窓からじゃないと見れないのだ。俺はかすかに震える手をなんとか抑えた。
この薄布の向こうはどうなっているのだろう。
「そ……そんなにまぶしいか?」
「結構日が当たってんだよ」
そんなことを答えるクラスメイトたちに、ふうん、となんでもない風を装う。
俺は思わずカーテンを掴んだ。
大丈夫だ、話の流れとはうまくかみ合っている。
日の当たり具合を確認するだけさ。
これでどんな顔か見れるに違いない。
俺は意気揚々とカーテンを開けた。
今度こそと思ったそこに、本来あるはずのものはなかった。
「ん?」
彼女の姿がない。
――ひょっとして、もう下の階まで到達しちまったのか?
眩しいというよりも、明るいのだがどこか陰鬱で薄暗いように思う。
俺はそれとなく鍵を開け、横開きの窓を開いた。
上を覗いてみてもそこに何者かの姿はない。
となると、下か。
期待とほんの少しの怖さと半々ながら、俺は身を乗り出してぐっと覗きこんだ。
途端、頭の潰れた血まみれの青白い顔が目の前にあった。両頬にひやりとした感覚があったと思う間もなく、俺の体は引き寄せられるように窓から真っ逆さまに落ちていった。
コンクリートとぶつかる音が耳を通りこして脳髄から響き渡る。
感覚を思いだすまでもなく、冷たい笑い声を最後に、俺の意識は遠のいた。
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