怪ノ七十八 七不思議その六・赤いトイレ

 話が五つも終わったのにも関わらず、相変わらず黄昏の時間が過ぎ去ることはなかった。


「それでは、次の話は――どうしますか?」


 進行役の男の子が、黒縁眼鏡の位置を直しながら言った。

 本当ならば次の話は、横に座っていたはずの三人の誰かが話すはずなのだ。

 そのうちの一人は錯乱し、教壇の隅で泣いていたが、泣き声はもう聞こえなくなっていた。多少落ち着きを取り戻したようだった。

 彼女を囲んだ二人の友人のうちの一人――石田真凛はゆっくりと立ち上がった。


「あ、あの、……私が、します」

「わかりました」


 真凛はきょろきょろと辺りを見回し、席に戻るかどうかを逡巡した。

 進行役の彼はその意図を汲み取ったらしい。


「どこでしても構わないと思いますけど、わかりやすいですから席へどうぞ」

「あ……、うん。はい」


 真凛はそうして、自分の席だった場所に戻った。

 なんだか視線が痛い気がした。



 ――……。



 え……っと、私の名前は石田真凛です。

 あそこにいるこーちゃんと、夏音と……同じクラスの二年生です。

 私が話す七不思議は――トイレの話です。


 ……それで、ええと。

 みなさん、トイレの花子さんって知ってますか。

 有名ですよね、トイレの花子さん。


 私たちが小学生くらいの時からあったし、私たちのお母さんの世代から話はあったって聞きました。すごく全国区なんですよね。今でもゲームとか漫画とかの題材になってるみたい。


 それと有名なのは――……赤マント、かな。

 この学校にもありましたよね。


 あ、でもいまは花子さんの話。


 全国区の花子さんは、色んな話がありますよね。お母さんに聞きました。でもたいていは、三番目のトイレに出てきて、「遊びましょ」っていうと出て来る。当時ってネットもスマホも普及してなかったみたいだけど、どうしてそんなに全国区になったのか不思議ですよね。でも今より子供の数も多くて、兄弟も多かったみたいだから、そういうので伝わっていったんでしょうね。


 だけどこの学校にあるのは独特みたいです。

 みたいっていうか、それを下敷きにしてるっていうか。

 花子さんの怪談そのものは、この学校がまだ旧校舎……木造だったときからあったみたいです。たぶん、今のこの教室みたいな……感じだったんじゃないかな。

 ……たぶん、ですけど。


 そのときには確か、赤マントの話もあったのかな。

 そのころの七不思議みたいなものってそれくらいしか知らないけど……。


 でも、花子さんの七不思議ははっきりしてます。

 ……今回、体験した怖い話とがっちりつながってますから。


 花子さんの話は、こうです。


 この学校がまだ旧校舎だったころ。

 三階にあるトイレの三番目の個室に、トイレの花子さんが出るっていう怪談がありました。トイレの前で「花子さん、遊びましょ」って言うと、赤いスカートのおかっぱの女の子が出てくるらしいです。

 ここ、高校なんだけど、子供みたいです。

 なんでも、昔、この高校がまだ学校じゃなかったときに死んだ子だって話でした。


 遊び好きで。

 でも、出あってしまうと、殺されてしまう。

 割とどこにでもある怪談だったみたいです。


 その話は、学校が建て直されて、今みたいになった当時の女の子たちの間でも噂になっていました。


 あるとき、その噂を確かめようって子たちがいたんです。その子たちは、誰に確かめてもらうかを話し合いました。

 そりゃ、トイレにしばらく籠るなんて誰でもちょっと嫌だから。

 でも、話し合いというより、標的は決まりきってました。中間内で一番大人しい子。やってって言われたら、やってくれそうな子です。逆らわない子ともいうかもしれないけど。

 まあ、その――言ってしまえば、イジメですよね。

 物を隠したり、水をかけたり、突然叩いたり、机に落書きしたりっていうのは日常茶飯事だったみたいです。慌てたりキョロキョロしたりする反応が面白かったから。

 だから、閉じ込めれば絶対に面白い事になるだろうって、放課後にトイレに連れていって閉じ込めたんです。

 でも、家に帰ると、そんなことすっかり忘れてしまいました。


 次の日になると――、学校は大騒ぎになっていました。

 トイレを中心に生徒が野次馬のようにたかり、警察の人と先生たちが教室に帰るように促していました。


「なにかあったの?」

「それがさあ――死体が見つかったんだって」


 あっという間に噂は広まりました。

 実際、トイレの中からビニールシートに包まれた何かが運びだされるのを見た、という人もいました。


「自殺かなあ」

「花子さんに、殺されたんじゃない?」

「いや、遺書があったみたいよ」


 花子さんだ、自殺だ、いや事件だ、と色々と錯綜しました。

 結局、遺書が見つかったことから、自殺ということになりました。

 イジメが原因と思われる自殺でした。

 死因は、持っていた文房具のカッターで、自分の手首や喉を切ったこと。動脈を何度も切りつけたせいで、トイレの中は血で真っ赤に染まっていたみたいです。


 それからしばらくして――。


 トイレには、自殺した女の子の霊が出る、という噂が立ちました。

 誰も入っていないのに泣き声が聞こえて、ふっと見るとトイレの個室が天井まで血で真っ赤に染まっていたりするんです。

 それ以後、彼女こそが新たな「トイレの花子さん」として有名になりました。


 これが、この学校に伝わる七不思議のひとつです。


 ――たぶん、わかりますよね。

 ええ、はい……。

 私たちは、この噂を……、確かめようとしたんです。


 最初は……、暇つぶしくらいの感覚でした。

 怪談と同じように、クラスの中で大人しめの子を選んで――……はい、閉じ込めようとしました。


 わ、私たちは別に、イジメとかしてませんよ。

 ただちょっと、同じような状況にしようと思っただけで。


 それに、次の日まで閉じ込めようなんて気はありませんでした。

 しばらく経ったら出してあげようとは思ってたんです。


 私たちは三人でいたんですけど、私とあともう一人、こーちゃんが……、委員会だったので。夏音ちゃんが監視して、私たちが戻ってきてから出すっていう算段でした。

 それで、私たちは金村という女の子を呼びだしました。

 普通についてきてくれたんですよ。

 ついてきてくれたんです。……そんな、睨まないでください。

 睨んでない?

 ……ならいいんですけど。


 とにかく、その四人でトイレまで行きました。


 委員会は三時半からだから、早くしてね、っていいながら。

 金村も笑ってた気がします。


 たぶん、乗り気だったんじゃ、ないですか。


 ほんとうのところは半信半疑だったし、どちらかというと金村をからかってやりたいってのが先でした。

 でも、実際にトイレに行くと、妙に不気味でした。

 放課後だから誰もいないっていうのもありますけど、ちゃんと窓もあって明るいはずなのに、妙に影になって薄暗かったんです。

 ちょっと黙っちゃいましたよね。


 でも、そんなことで取りやめにはるはずない。

 私たちはそこで、簡単に花子さんの話をしました。


「それで、舞台になったのがこのトイレ」


 そう言うと、金村はちょっとひきつってました。

 明らかに怖がってるのがわかったし、すごく面白かったんです。

 トイレって、人がいてもいなくても扉は閉まるようになってますよね。手元の鍵が赤いか青いかで判断するしかないみたいな。


 扉はすべて青のままでした。

 人の気配なんて微塵もなかった。


 私は、くすくす笑いながら扉に手をかけて、「わっ」て言いながらちょっと開けては閉める、を繰り返しました。トイレの中には誰もいないのに、金村がびくびくしてるのが本当におもしろかった。


「それじゃあ金村、入って」


 そう言って、何度目かに扉を大きく開けた時でした。


 トイレの中は――真っ赤でした。


 直前まで笑っていた私たちは凍りついて、冗談みたいなその個室を食いいるように見ていました。おまけに、ぷんと鉄のにおいというか、血のにおいも充満していました。

 それどころか、――血まみれの女がこっちをじっと見つめていたんです。


 あまりの恐ろしさに、私は声を失いました。

 人って怖いと、声がなくなるんです。その間にも、金村は困惑しながら、トイレの中に入ろうとしました。

 そのまま――金村は、女の子をすり抜けました。


「なにもいないけど……」


 金村はこっちを向いてそんなようなことを言ったと思います。

 だけど、その声はあまりに――普段と違いました。声が小さいのは普段からですけど、まるで、何か壁一枚隔てたような、マスク越しみたいな、くぐもった感じだったんです。

 私たちが硬直していたせいか、金村はまたすぐにトイレから出てきました。それでも何も言わなかったので、金村はちょいちょいと個室を振り向きましたが、困惑している感じでした。


 金村には――女が見えていないみたいでした。


 血だらけの女は、しばらく金村をじっと見つめていました。

 でも、金村はそれにまったく気が付いていないんです!


 血だらけの女は、もう一度金村をすり抜けて、私たちに近寄ってきました。


「ごめんなさい、許してください」


 私たちはそう「花子さん」に言いました。

 「花子さん」の後ろで、金村が困惑気味にトイレから出て行くのが見えました。助けて、とそう言いたかったけれど、声が出ませんでした。代わりに、「花子さん」が物凄い形相で私たちを眺めているのが、段々はっきりとしてきたんです。

 やや透明な感じだったのに、もう触れそうなくらいになっていました。

 足音が遠ざかったいくのを聞きながらも、怖くて、こわくて、動くことができませんでした。

 そして、「花子さん」はゆっくりとこう言ったんです。


「……見えてるんでしょう」

「見てません、ごめんなさい」

「……見えてるんでしょう?」

「ごめんなさい、許してください」

「……見えてるのね……?」


 「花子さん」の形相は次第にもっと恐ろしいものになっていきました。

 白目の部分までが真っ赤になり、血が流れ出し、私たちの足元は既に上履きのスリッパから靴下まで血に染まっていました。


「見えてるな、見えてるな、見えてるんだな……!?」


 「花子さん」は執拗に、自分が見えているかどうかを確かめてきました。

 もう嘘を言っても仕方ない。

 私もそう思ったんです。


「み、見えてます。ほんとうにごめんなさい」


 とうとう、こーちゃんが認めてしましました。

 すると、「花子さん」は急に私たちから離れました。ほっとしたのもつかの間でした。


 耳をつんざくような悲鳴が響き渡り、彼女の髪の毛が四方八方に広がったんです。髪は蜘蛛の巣のように立ちふさがって、口と目が人間ではありえないくらいにぐっと広がっていました。制服は真っ赤に染まっていました。青白い顔で、瞳ももう存在していなくて、口と目の中は深い深い……どこまでも続く暗闇がありました。

 私たちはようやく悲鳴をあげることを許されました。


 ただひたすら壁際で――。

 小さくなって、子供みたいに……。


 「花子さん」の顔がぐっと近づいてきたかと思うと――私は気を失いました。


 気を失う直前、「花子さん」の声が聞こえました。


「ゆるさない、ゆるさない……ゆるさない……おまえたちも、赤マントも……」



 ――……。



「それで、気付いたらここにいたんです」

「赤マント、だって?」


 黙って話を聞いていた男の子の一人が言った。

 確か観月俊哉とかいう、グランドピアノの話をした人だった、と真凛は思った。同じ二年生の、同級生だ。

 鼻で笑うようだった。

 明らかに余計な話を追加した、と言いたげだ。


「なんで赤マントなんだよ」

「ごめんなさい、わかりません。だけど、確かに赤マントって聞こえた気がするんです。ひょっとしたらもっと別の言葉だったのかも」

「……そうよ、嘘ついたってしょうがないでしょ」


 こーちゃんが声をあげた。


「あたしにだってそう聞こえたのよ。なんでなのかは知らない。聞きたきゃ自分で確かめてみればいいでしょ!」

「そうよ。私だって聞こえたの!」


 夏音が横から追撃する。

 女子三人に喚かれたのが気に障ったのか、それとも面倒だと思ったのか、観月は肩を竦めた。


「急に赤マントの話なんか出てきたからそう言っただけだ」


 鼻を鳴らし、それきり黙ってしまった。


「で、でも、さっきも言ったけど、旧校舎の時代には赤マントの話はあったし……花子さんの話も、もともとはそのころの話みたいだし」


 意見を仰ごうと、ちらりと進行役の男の子を見る。

 途端に、真凛はぎょっとした。


 進行役の男の子は、黒縁眼鏡の奥で睨みつけるように恐ろしい表情をしていた。幽霊のようというでもなく、むしろ何かの怒りに触れたようだった。

 花子さんよりも、赤マントという言葉に何か思い当たる節があるのだろうか。


 そういえば、と真凛は思う。

 七不思議は今ので六つ目だ。


 彼はどうやって此処へやってきたのだろう。

 七つ目の話をするはずの男子生徒と、進行役の男の子は知り合いのようには見えなかった。とすると、八つ目の話があるというのか。


 十一、あるいは十二の話がなされるかと思ったこの会合は、奇妙なことに数を減らし、更に七不思議という共通点を持っていた。

 もしも――もしも七つ目の不思議によってここに引きずりこまれたのでなければ、彼はいったいどんな不思議によって、此処に来ることになったのだろう。

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