怪ノ八十 放課後の殺人鬼

 うちの小学校には、開かずの部屋、という怪談がある。

 授業が終わって誰もいなくなった学校では、開かずの部屋が開くというのだ。その部屋には殺人鬼が隠れ住んでいて、夜な夜な学校に迷いこんだ犠牲者を探している。

 そういう怪談だった。


 とはいえ、現実的ではない。

 幽霊や妖怪のような噂はともかく、殺人鬼に関してはそういうことになっていた。


 それというのも、用務員さんが「開かずの部屋」の場所を知っていたからだ。


「へえ、どこどこ?」


 定期的に聞きにくる子供は絶えなかった。

 何しろ「隠し部屋」は子供でなくともわくわくさせてくれるものだ。大人でもそうなのだから、子供だったらなおさらだろう。


「階段下の倉庫の中にあるんだよ。当時この奥にもう一つ作る予定だったみたいなんだけど、色々あってね。それで扉だけつけたんだ。この向こう側はすぐ壁になってるから、部屋は無いよ」


 そう言って子供たちにみせてくれた「扉の中」は、確かにすぐ前に壁があって、部屋というよりも、小さなロッカーのようだった。

 壁に直接ついているので収納スペースになりそうだが、狭すぎて無茶がある。

 倉庫はただでさえ危ないからとそれ以上は見せてくれなかったが、冷たい質感の壁の向こうには、「何かある」というようには見えなかった。


「いつもご苦労様です」


 子供たちを教室に帰す彼に、私はそう頭を下げた。


「やあ、中村先生」


 用務員さんは人の良さそうな笑顔で、いつもそう返してくれるのだった。


 用務員の多田さんは、いつもニコニコとしていて、子供たちから慕われていた。

 話も面白くて、子供たちの興味を引くような色々なことを知っている。教師に対してあまりいい顔をしない子供たちも、多田さんの言うことなら聞く、という場面がいくつもあった。

 引っ込み思案な子も、隅のほうで多田さんと話したそうにしていることが何度もあった。恥ずかしそうに隠れているのを引っ張りだそうとしてみたこともあるが、それでもいいのだと多田さんは言ってくれた。

 誰かに無理やりやらされるより、自分から話そうと努力してくれていることが重要なんですと言ってくれたときは、本当に感心した。


 同じように、私たち教師に対しても気配りを忘れなかった。

 遅くまで仕事をする私たちを「学校側の規則だから」と帰しつつ、缶コーヒーを差し入れてくれるような人だった。


 私はその日も、遅くまで職員室で仕事を片付けていた。

 学校のイベントが重なれば当然仕事は増えるし、普段の授業の用意もしないといけない。授業をしている時だけが教師の仕事ではない、というのはこの仕事についてから嫌というほど常識となっていた。


 自分のノートパソコンに向かって集中していると、不意に後ろからぽんと肩を叩かれる。


「せーんせえ!」


 思わず振り向くと、担任をしているクラスの男の子がにやにやしながら立っていた。


「びっくりしたー! どうしたのこんな時間に!」

「宿題忘れちゃってさー、鍵、借りていい?」


 辺りを見ると、既に日はとっぷりと暮れていた。時計も十時をまわっていて、夕飯代わりに軽い菓子を口にしてから、だいぶ時間が経っている。

 それだというのに、男の子はまったく悪びれる様子もない。


「もう。今日は先生が残ってたからいいけど、こんな時間まで遊んでちゃ駄目よ」


 つい口から出たお小言を、男の子はハイハイ、という感じで聞いていた。


「これから宿題やるんだからさ。鍵貸してよ」


 私はため息をつき、立ち上がって鍵の保管場所まで行った。


「一人で大丈夫?」

「平気、平気」


 私は彼を送りだしてから、もう一度席についた。

 資料を確かめ、再びノートパソコンに目をやったとき、またガラリと職員室の扉が開く音がした。まだ何かあるのかと振り返ると、そこには多田さんが立っていた。


「そろそろ施錠したいんですが、よろしいですか?」

「あ、そっか。もう時間ですよね」


 学校側は、警備の関係で十時半までしか学校に居させてくれない。現金も保管してあるし、何かあったら大変だということなんだろう。

 とはいえ警備会社とも契約しているし、本当に何かあればその人たちが駆けつけることになる。

 とはいえ教師陣としては、結局、家に持ちかえって仕事の続きをやることになるのだが。


「集中しちゃったほうが早いと思うんだけどねえ」

「あ、いいです。ひと段落ついたんで。……あ、でも、うちのクラスの子がひとり、宿題を取りに行ってるんです」

「へえ?」


 多田さんはちょっと廊下に出ると、教室のある校舎のほうを覗きこんだ。


「ああ! あそこですね。廊下に電気がついてるし、すぐわかりましたよ。僕が見ておきますから心配ないですよ」

「でも……」


 私は迷ったが、彼も多田さんに懐いている。

 自分の仕事でもあると思ったのだが、多田さんのニコニコした笑顔を見ていると、ちょっとした甘えが湧きおこったのだ。


「それじゃあ、よろしくお願いします」

「ええ。ちゃんと見ておきますからね」


 私は多田さんに生徒のことを任せると、急いで荷物をまとめて職員室から出た。

 多田さんに軽く頭を下げて、駐車場へと急ぐ。


 車に入って動かす前に、ふとスマホを手に取ると、会話アプリのLIMEやメールが何件かきていた。それを一件ずつ返し、それからメールも返信しておく。友達との馬鹿話や、真面目な仕事の連絡をそれぞれのテンションで返すのはひと苦労だ。

 ついでにSNSやアプリゲームもチェックして、さて帰ろうと車を動かし、道路に出たそのときだった。


「……あ、しまった。USBメモリー置いてきちゃった!」


 家に仕事を持ちかえる、というのが前提なのに。

 既に学校から出てしまっているのに、なんという失態だろう。道は一方通行だし、バックで戻ることもできない。もしかしたらできたのかもしれないけれど、誰も見ていなくても通行違反をするのは気が咎めた。

 仕方なく、あたりを一周して再び学校に戻ってきた。

 車に乗ってから既に二十分は経過している。


 もう一度駐車場に車をとめて、いそいで飛びだした。

 ちらりと見ると、既に電気は消えて、真暗になっている。職員室のある棟も同じだった。


 ――もう多田さんも帰っちゃったのかしら。


 職員室も電気が消えているなら、多田さんにお願いしないといけなかった。

 生徒を叱っておいて、自分も忘れるなんてちょっと恥ずかしい。


 もうあの子が帰ってるといいけど、と思いながら校舎のほうに戻る。

 やっぱり職員室も電気が消えていたが、代わりに倉庫が開いていた。


「多田さん?」


 ガサゴソと中から灯りと音が漏れている。


 ――よかった。多田さん、まだ残ってるみたい。


 ひょいと覗いてみると、倉庫そのものに灯りはついていないようだった。

 懐中電灯でもつけているのかと思って中に入りこむ。

 だが、多田さんの姿はなく、奥から灯りが漏れるばかりだった。


「……多田さん?」


 いくらなんでも、こんな小さな倉庫で姿が見えないなんてことがあるはずない。

 妙な胸騒ぎを覚えながら、奥へと入りこんでいく。


 普段は開かない、というより本当は開けられないはずの奥の扉が開いているのが見えた。


 あそこにいるのかしら、とまっすぐそこへと向かう。

 その先は壁があるだけのはずなのに、そんなところから光が漏れているのも不思議だった。とうとう奥を覗きこむと、思わず息を飲んだ。


 開けられた「開かずの扉」の向こうには、あるはずの壁がなかった。

 代わりに部屋のような空間があり、虚ろな光が漏れている。そこからはカビ臭いような生臭いようなにおいが漂ってきて、真ん中に置かれた台の上には、虚ろな表情の男の子がぐったりと横たわっていた。


「うっ!」


 男の子の腹は真っ二つに裂かれていて、中身が飛びだしていた。いや、勝手に飛びだしたというよりも引きずりだされたようだった。

 空っぽのはずの胃の中から、胃液がこみあげてくる。


「……ああ、見ちゃいましたね?」


 うしろからの声に振り向くと、多田さんがそこに立っていた。


「仕方ありませんね。僕の趣味を見られてしまったからには、あなたも……」


 彼はにこにこといつものような笑顔で笑いながら、片手に持った斧を振り下ろした。

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