怪ノ六十五 図書準備室の霊
その日私は、図書委員の当番で図書室にいた。
「それじゃあ先輩、すいません!」
両手を合わせて謝る一年生に、私は手を振る。
「いいよいいよ、気を付けて帰りなよ」
「はい、ありがとうございますー!」
私は図書室から出て行く一年生を見送り、ふう、と一息ついた。このあとに外せない用事があるからと、作業を途中で中断して抜けていったのだ。
これで、図書室の中は私ひとりだ。先生も一度会議で職員室に戻ってしまったから、しばらく自分ひとりでの作業になる。
図書委員の主な作業は、貸し出し作業や返却された本の整頓などだが、人がいないときはもうひとつ作業がある。
図書準備室からの本の入れ替えだ。
といっても一気にやるわけではなく、月末に一度くらいに、十数冊程度の本を入れ替えるという感じだ。そうすることで図書館への新鮮さを保とうとはじめたことらしい。
私はチェックされた用紙と本を数冊手に、図書準備室の中で本棚に本を差し込んでいた。しばらく作業を続けていると、ふと出入り口のほうから声が聞こえる。
「あのうー」
「あっ、はい!」
思わず振り向くと、セーラー服姿の女子生徒が立っていた。
「すいません。貸し出しですか、返却ですか?」
「あー、違うの。人がいないからどうしたのかなと思って」
ぱたぱたと手を振る。
向こうの意図がわからず瞬きをしていると、彼女は私の足元に置かれた段ボール箱を見てフッと笑った。
「手伝おうか? 私、三年生の池村ね」
「えっ!? そ、そんな。でも図書委員でもない人に悪いですよ!」
「いいよいいよ、私も図書委員やったことあるの。それに、図書準備室って怖いでしょ」
池村先輩はそう言いながら図書準備室の中に入ってきた。
「怖い?」
私は図書準備室の中を見回した。
確かに、校舎の少し影になったところにあるせいで、昼間でも電気をつけないと暗い。もちろん本の長期保存ということもあるから、教室ほどに光が入ってきても困るわけだけど。そのうえ、学校とは思えないほど鉄の本棚が整然と並んでいるさまは確かに不気味だ。
怖いといえば怖いかもしれない。
私がそんなようなことを告げると、先輩はにやりと意味ありげに笑った。
「それもそうだけどね」
そう言って、声を潜める。
「この図書準備室って、怖い噂があるのよ」
「えっ?」
初耳だ。
驚きで思わず先輩を見ると、彼女は段ボールに入った本を手にとって番号を確認しながら語り始めた。
「むかしね、図書委員だった女の子が、夏休み中に、あなたみたい一人で作業してたの。それで、図書準備室の奥のほうに入って作業してたんだけど、先生が誰もいないと思って鍵を閉めちゃったのね。気が付いたときにはもう遅くて、女の子は一人で暑い図書準備室に閉じ込められることになった。最初のうちは扉を叩いたり声をあげたりしてたんだけど、夏の暑い盛りでしょ。いくら影になった場所っていったって限度があったのね。図書準備室の中で熱中症になって、そのまま倒れてしまったの。二週間くらい経って、発見された時には重度の熱中症で死んでしまっていたのよ」
「もしかして、それ……」
「そう。その女の子の幽霊が出るって噂があるの。怖いでしょ?」
「ええ……、今その話します?」
「あはは。だから手伝ってあげるって言ったのよ」
とはいえ私は知らなかった話であって、知らなければ知らないでひとりで作業できていたのだ。今はいいが、今後ひとりで図書準備室に入る時には嫌な感じと戦わなくてはならない。
だいたい、初対面の後輩にわざわざこんな話をしてくるなんて。
私の気持ちに気付いているのかいないのか、先輩はさっさと本を片付けている。
「早く片付けましょ」
たぶんこの反応は、普通に気付いていないのだ。
とにかくその好意には素直に甘えて、二人で本を戻し終わった。これで仕事は終了だ。あとは先生が戻ってくるか、時間になるまでここにいればいい。
いればいいけれど、やっぱりさっきの話は気になってしまう。
何か面白い本でも読んで気を紛れさせないと、割にあわない。
二人で図書準備室から出ると、いつものように扉が閉まらないように固定してからカウンターに戻る。
「そういえば先輩は、図書室に何を?」
「ん? ああ、そうだったわね。私は……」
言いかけたところで、急にばたん、と物凄い音を立てて扉が閉まった。
驚いてそっちを見ると、図書準備室の扉が閉まっている。
「いま……」
勝手に閉まるはずがない。
いや、扉の構造からして閉まることはあるけども、ちゃんと閉まらないようにしたはずだ。
お互いを見つめて、無言になる。他に誰もいない図書館の中は奇妙に不気味だが、それでも自分のほかに一人いるというだけで安心できる。
「まさかね」
先輩は言うと、もう一度図書準備室の中を見た。
そうして、意を決したように図書準備室に近づくと、扉の小窓から中を覗きこむ。
「誰もいないみたいだけど……、もしかして幽霊かもね」
「ちょっと、やめてくださいよ!」
「あはは、冗談冗談」
自分をからかおうとしたのだと気付くと、私はホッと胸をなでおろす。
先輩はごく普通に図書準備室の扉を開けて、中を覗きこんだ。
「きゃっ……」
その途端、先輩は小さな悲鳴をあげて中へと滑りこんだ。
ばたんと扉が閉じる。
「先輩!?」
今度こそ驚いて図書準備室に入ろうとしたが、なぜかノブが回らない。
ぎょっとして小窓から覗くと、中には人が倒れている姿が見える。
「先輩、先輩!?」
どんどんと扉を叩くが、先輩はぐったりと床にうつ伏せになったままぴくりとも動かない。何度ノブを回そうとしても動かず、扉を何度叩いても反応すらしなかった。
まさか本当に幽霊に?
私を脅かそうとして?
それとも何か持病が?
様々な可能性がぐるぐると頭を駆け巡る。
「冗談ならやめてください、先輩、先輩ってば!」
何度も扉を叩いていると、やがて急に扉が開いた。
勢いのまま私は図書準備室の中に足をもつれさせながら入り、床に体を打ち付けた。
しばらくしたあと、私は名前を呼ぶ声で起こされた。
目の前には見慣れた先生がいて、私は軽く頬を叩かれていた。
「目を覚ましたぞ!」
「良かったあ!」
「良かった、倒れてたから心配したんだぞ! おい、誰か水持ってないか?」
先生が扉のほうに向けて指示をしている。ばたばたと走っていく音が妙に遠くに聞こえる。段々と意識がはっきりしてくると、私は急に我に返った。
「先輩は!?」
思わず周りを見回したが、そこに倒れている影は見当たらない。
「どうした?」
「あの、ここにもう一人倒れてませんでした? 池村先輩って女の人で、あの」
「ちょっと待て、落ち着け! お前の他には誰もいなかったぞ。お前を発見したのも違う名前の生徒だ」
「……ええ? そ、そんな」
どういうことなのかがさっぱりわからず、思わず黙りこむ。
「……まだちょっと混乱してるのかもな。とりあえずこっちへ。立てるか?」
「は……、はい……」
私は先生の肩を借りながら、図書準備室から図書室へとなんとか歩いた。
本当に悪戯だったのだろうか。先輩は先に私を放置して帰ってしまったのだろうか?
いまだ混乱の渦にあるただなかで、ふと後ろを振り返った。
他の生徒の手によって図書準備室の扉が閉められる直前、池村先輩が図書準備室の中で突っ立っているのが見えた。その表情は無いに等しく、まるで私が救出されたのを惜しむようだった。
扉が閉められたあと、その小窓からは何も見えなかった。
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