怪ノ六十一 合宿所の怪

「はーい、それじゃみんな聞いてー!」


 その声に、講堂に散らばっていたあたしたちは顔をあげた。


「今日の練習はこれで終わりです。この後はお夕飯になるけど、その前に楽器を別の部屋に運びます。今からそれぞれの担当楽器を持って、私についてきてー」

「はーい」


 あたしたちは楽器をしまって講堂の外に出ると、部長のあとについていった。

 吹奏楽の合宿の一日目は、順調に終わろうとしていた。ひとつのことを除けば。


「きゃあっ!」


 声をあげたあたしに、みんな慌てて振り向く。


「どうしたの?」

「ごめん、蜘蛛の巣が顔にっ……」

「なあんだ。なんかここ蜘蛛の巣多いから気を付けなよ」

「あと段差も多いよねえ」


 あたしたちが泊まる合宿所は、古さに加えて相当ガタがきていた。頭を振り、楽器を抱え直す。


「あーあ。去年の所のほうが良かったなあ」


 誰かがぼやく。


「そうだよねえ」


 去年までの合宿所も古かったが、ここよりもずっと良かった。

 閉校した小学校をリノベーションして、学生用の合宿所として使えるようにしたところだったのだが、壁は綺麗に塗り直されていたし、入ってすぐにあるホールも広くて、本当に小学校なのかと不思議に思えるところだった。朝には施設の人がストレッチ体操を指導してくれたりと、随分と良心的だった。

 合宿所と聞いたときのあたしのイメージを打ち壊してくれるくらいには。


「まあ、そういわないでよ。直前になって予約したみたいだからさ」


 その去年までの合宿所が、ミスで予約できなくなっていたのがわかったのが一か月前。先生のミスだからと謝られたのだが、先生に任せきりにしていたあたしたちにも多分非がある。比較的近場で、且つ安いところ……と探して、ようやく見つかったのが此処だったのだ。

 去年と比べて、合宿所というには古くて汚い。汚いというのはゴミが多いというわけじゃなくて、壁のコンクリートがひび割れていたり、錆びている箇所が多くてどうにもできないって意味だ。おまけに裏は山だからかすぐに蜘蛛の巣が張る。施設の管理をする人も受付に一人いるくらいで、挨拶をしても妙にそっけない態度で鼻白んだ。

 どうせ数日のことなのだが、気になるのは気になる。


「ね、知ってる? ここどんなとこなんだろうって調べたらさあ。……出るんだってえ、ここ!」

「なにが?」

「なにって、これよ、これ!」


 友人は片手をだらんと下げた。


「それって……」

「幽霊の目撃談! なんかあるらしいよ~~」

「もう、またそんなこと言って!」


 あたしが怒ると、他の子も話に入ってくる。


「でも確かに、幽霊はおいといても怖いよね、ここ」

「あっちの東側のトイレ、見た? ほとんど和式だよ? しかもあれ、学校みたいに幾つもあるわけじゃないし、階段があってその上に乗ってるって、かなり昔のやつじゃない?」

「見た見た。改築する前のおばあちゃんの家があんな感じだったなー」


 他の子が反応してうなずく。


「アンタのおばあちゃんの家ってどこにあるの?」

「田んぼの真ん中みたいなとこ。何年か前に改築して、洋式にしたんだけど」

「和式でもいいから、せめて綺麗なとこが良かったよね」


 そんなことを言いながら、あたしたちは楽器置き場として借りた部屋へと向かった。そのあとは夕飯になったが、どうしても去年と比べてしまった。

 ご飯だけが温かかったのが救いだった。

 けれどもせめてみんながいることだけが楽しみで、それだけで何とかやっていけそうだった。消灯時間が決まっているからと夜の九時には廊下の電気が消されたが、ミーティングのために部屋の灯りはしばらく点けたままだった。それでも、テレビもないし、明日も練習があるからと早々に消灯がなされた。


 でもそういうときに限って、トイレに行きたくなったりするものだ。


 夜中にふと目を覚ましたときは、二時をすぎた頃だった。普段だってそれくらいまで起きていることはあるけれど、時々だし、そもそもここは家じゃない。明日のことを思うと、そうそうは起きていられない。


 そのまま眠ってしまおうかとも思ったが、結局起き上がってトイレまで行くことにした。しかも、隣で眠る友人を起こそうとしたが、ぐっすりと眠ってしまってらちが明かなかった。

 結局ひとりで行くことになるのだ。


 廊下がギシリと音を立てる。せめて灯りが欲しいところだが、消灯の時間が決まっているので、非常口やトイレを示す緑色の灯りを頼りに進むしかない。こそこそと昼間向かったほうへと歩いていく。東側はさすがに嫌なので、西側の比較的新しいほうのトイレへと急ぐ。


 道中も不気味で、廊下も古い病院のようで歩いていて気持ちのいいものじゃない。硝子に映った自分の姿にすらぎょっとしながら、あたしは歩みを進めた。

 トイレまでたどりつくと、素早く電気のスイッチを探して点ける。昼間は暗いと思ったトイレの電気も、こう暗いとそこそこ頼りになる。窓の外からは、向こうのほうに町の灯りが見えていて、どことなくほっとした。


 個室に入って用を足し、早々に出て手を洗っていると、後ろの個室からジャーッと水の流れる音がした。少しだけビクリとしたが、やがて個室が開いて出て来た女の子は、あたしに軽く会釈をした。

 見たことがない子だったから、たぶん他の学校の利用者だろう。

 ハンカチで手をふきながら、あたしも会釈を返して外へ出る。

 むしろ廊下のほうが不気味なのもあって、あたしは早々に部屋へと戻った。こんなところでも他に利用者がいるんだなあと、いっそその人数に安心できるくらいだった。


 翌日の練習は変わらず厳しかった。

 少しだけ興味が湧いて、あたしは廊下に出るタイミングできょろきょろとあたりを見回してみたが、他の学生さんがどこで何を練習してるのかさっぱりわからなかった。

 うちの部も帰りは午前中になっているし、午前に帰るスケジュールだともういない可能性もある。特に会ってどうしたいということもなかったが、あまりにも見つからないので何となく気になっただけだ。


 トイレに入りに廊下に出たときに、管理人さんに呼び止められた。


「ああ、あんた」

「はい?」

「朝、トイレの電気が点いてた。電気は消せよ、まったく……」

「あ、それはすいません。後で皆にも言っておきます」


 そういわれて、ふと気が付いた。


「そういえば、他の学生さんはもう帰っちゃったんですか?」

「は? 今日はあんたがた以外には……」


 管理人さんはそこまで言うと、急に黙り込んだ。

 あたしのことを上から下まで眺めると、舌打ちをひとつして、くるりと背を向けて歩きだす。


「……なに、いまの?」


 相手に聞こえるかもしれないという気遣いが起こらないほど、思わず言いたくなった。

 それほどまでに露骨だったからだ。


 数日後になって帰る時に挨拶をしても、管理人は早く帰れといわんばかりの愛想と態度でこちらを睨んできた。部員に友達がいなければ本当に我慢できなかったくらいだった。

 さすがの部長も、帰りの電車の中で「来年はいつもの所にしようね。私はいないけど」というくらいだった。


 家に戻ってから気になってインターネットを探すと、確かにあの合宿所と思しき場所の怖い話が見つかった。なんでも女性の霊がトイレに出るとか、廊下で奇妙な影を見たとか言われていた。

 いずれにせよ来年はいつもの所で合宿をすることを、今から願っている。

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