怪ノ五十六 七不思議の怪・赤い少女の噂

「それでね、それ以来、夜にその鏡を覗きこむと真っ赤になってるんだって」


 ごくりと唾を飲みこむ。


「そうするとね、鏡の中から、死んだはずの女の子がニターッて笑いかけるの。じっと見てると……腕をぐっと引っ張りこまれて、そのまま鏡の中に!」


 脅すような様子に、寄り集まっていた女子はみんなきゃあきゃあ騒いだ。

 まだ夏前ではあるものの、怪談は暑さを吹き飛ばしてくれるようだった。


 私が入学した高校には、七不思議があった。

 高校にもなって七不思議があるなんてと思ったが、それは県外や市内問わず、色々な所から集まってきた一年生が、ある程度お互い傷つかずに話題にあげるには充分な魔力を持っていた。

 クラスの中は当然ギャル系やオタク寄りの子が混然一体となっているし、緩やかな組み分けはあるものの、まだお互いを探り合っているような状態だった。そんな中で、学校の七不思議は共通の話題として作用したのだ。

 話は部活に入って先輩を持った者や、既にこの学校に兄弟や姉妹がいるという者、それから卒業生の身内や知人を持つ者たちによって、まことしやかにささやかれているらしかった。


「他には何があるの?」


 私は興味本位で尋ねた。


「ほか? うーん。私は知らないかなあ」


 首を傾げるクラスメイトに、私は瞬きをする。


「ええ? こういうのって大体有名なんじゃないの? ほら、花子さんとか走る像とか……」


 たいてい七不思議って、私のイメージではそういうものだ。

 七つそろってみんな知っている。


「花子さんくらいなら私も知ってるけど、この学校のはまだ聞いたことないなあ。私が聞いたのは、これひとつきりなんだよねえ」


 そりゃあ、今聞いた話だってなかなかに長かったけど。

 名前をつけるとするなら、「引きこまれる鏡」とか「踊り場の赤い鏡」とかそんなところだろうか。


「あ、でも。直接七不思議ってわけじゃないみたいなんだけど」

「なになに?」

「七不思議を全部集めると、開かずの教室の扉が開くって聞いたことあるよ」

「へえー?」


 ――八番目の不思議ってやつかな。


 七不思議じゃなくて八不思議になっている学校がある、というのは、小学校くらいの時に読んだ記憶がある。学校の怪談を題材にした小説だった気がするけど。それでなくても、七不思議を知ると危ないとか、死んでしまうとか、色々言われていたようだ。

 当時の本は小学生向けだからか全国から投稿もあって、それが隅に書かれていたり、ものによっては特集ページがあったのだ。それが面白くて読んでいた記憶がおぼろげにだがある。


「もしかして、それがあるからバラバラなのかな」

「そうかもね。あ、それで思いだしたんだけどさぁ……!」


 友人は急に身を乗り出し、声を潜めるように言った。


「今、実際に誰かが七不思議を集めてるって噂、知ってる?」







 ――赤い人形かあ。


 それは七不思議に絡んだ新たな噂のようだった。女子生徒のひとりが、七不思議を集めて開かずの扉を開けようとしている、という話だ。女子生徒の名前については何もわからないけれど、カバンには赤い人形がついていて、それが目印ということだった。


 でも、カバンに何かつけている子は普通にいる。

 むしろ何もつけてない子のほうが珍しい。小さなキーホルダーだけついていたり、そうかと思えばじゃらじゃらと気に入ったものを鈴なりにしている子もいる。ゲーセンでとったようなぬいぐるみも、サイズはまちまちながら動物からゲームのマスコットまで様々。


 それよりも私は、七不思議を集めている、という噂に興味が湧いた。

 七不思議を知りたいからという理由で色々尋ね歩くくらいなら、誰だってやりそうなものだ。でも、どうしてそれが噂になるのだろう。クラスメイトに聞いてみたけれど、「やっぱり七不思議を集めるのがどうこうってのがあるからかなあ。」という感じで、いまいちはっきりしなかった。


 確かに話としては怖いと思う。怖い話が苦手な子だっているから、七不思議が存在するだけで気持ち悪いのはわからないでもない。


 ――だからみんな、避けてるのかな。


 くだんの鏡の話だが、実は七不思議の話を聞く前からちょっと怖かった。

 鏡の七不思議の話は、東棟の踊り場の鏡が夜中になると真っ赤になる、というものだ。

 むかし、この学校に優秀な女子生徒がいた。塾に通うのも一握りの生徒だけだった時代。ある時遅くまで残っていて、塾に遅れそうになった。急いで走った彼女は階段から足を踏み外して――。

 そうして、踊り場にあった鏡にぶつかって、死んでしまった……。


 東棟の踊り場に鏡があるのは知っていた。たまたま通った時に驚いたことがある。そのときは他の生徒がいたから怖くはなかった。ただ、不思議とみんな鏡を避けている気がした。まるで、異様なものを見ないようにしているみたいに。


 それから鏡に本格的に向かい合うことになったのは、しばらく経った頃だった。

 提出物をすっかり忘れていて、宿題として別の課題を出されてしまったのだ。家に持って帰るのも面倒で、放課後に学校でやることにした。終わった頃にはすっかり日も傾いていた。

 私の足は東棟の踊り場へと向かった。


 ――あ……ここって。


 誰もいない校舎はどこか不気味だ。空は既に紫色に染まりかけている。綺麗だけども不安を感じさせる色だった。自分以外に誰もいないことを自覚してしまうと、急にぞくりとする。階段を降りていくと、やがて踊り場の鏡に映った自分が見えた。


 ぎょっとした。

 鏡が赤く見えたからだ。


「ひっ……」


 悲鳴をあげかけたとき、それが夕闇に照らされたせいだと気付いた。すぐに我に返った。ほっとしたが、それでも気持ち悪さは拭えない。


 ――……早く帰ろ。


 あんな話を真に受けているわけじゃない。鏡から幽霊は出てこないし、赤い人形をぶら下げた少女なんてのもきっといるはずないのだ。しょせんは噂。

 自分にそう言い聞かせて、私は鏡の中の自分に向かってぎこちなく笑いかけた、自分が思うよりもにたにたと笑って見える。怖くなって、階段の方へと目を逸らす。

 途端、急に首根っこを掴まれて、私の体は引き倒された。


「きゃっ……!?」


 誰、と思う間もなく、相手は物凄い力で私を抱きしめた。

 私はその腕を振り払おうと体をよじったが、背後へと引きずられていく。


「なにっ、なんなの!? 誰!」


 後ろを確認しようとしても、何か妙に嫌な予感がそれを拒否する。


「……い、……たい、痛いいいいい……」


 地の底から響いてくるような不気味な声が耳に届く。


「いやっ! 誰かっ! たすけっ……」


 振り払おうと相手の腕に触れたとき、そのあまりの冷たさにぞっとした。人の手ではない。後ろにいる者の姿を思うと、腕よりも冷たい悪寒が走る。

 喉の奥から助けを呼ぶ悲鳴をあげ、必死にもがいた。


 そのとき、視界の隅に何者かの姿が入った。


 階段の上に誰かがいる。

 腕を伸ばして思わず思わず見上げたそのとき、そのカバンで揺れる赤い色が目に入った。


「あ……」


 まるで首を吊った人形のようだと思った。

 夕闇の中から抜け出てきたような彼女は、逆光のごとく暗い気配に彩られていた。もがく私をじっと見下ろす赤黒い瞳は、ことのなりゆきを観察しているようだった。カバンにつけられた赤い人形は血にまみれてぶら下がっている。

 まるで死んでいるようだ。

 私もああなるのだ。

 七不思議を集めるというのは、そういうことではないか。

 冷たい腕に抱かれながら、悲鳴が喉からあふれ出た。

 頭の中が真っ白になる。


 殺される。


 助けを呼ぶ悲鳴は私の喉を裂き、背後の腕から抜けだそうとした。それでも、冷たく血にまみれた腕が私を引きずりこんでいく。きっと階段上の彼女が笑っているのだ。


 意識が遠のきかけたとき、急にボゴンという音が耳の近くから響き、体が自由になった。隣でドサリと音がする。音のほうを見ると、赤い人形のついた鞄が落ちている。腰が抜けそうになったところで、腕を掴まれて鏡から引き離された。


「大丈夫!?」


 その声に、私は目を見開いた。

 急に現実に引き戻されたように我に返る。


「な、なんで……」

「え。なんでって、なんか掴まれてたし、助けてって言われたし」


 私はもう一度彼女の姿を見つめた。

 どこにでもいるうちの学校の生徒だった。近くで見る彼女はキョトンとしたように私を見下ろしていた。髪はポニーテールにされていて、表情は焦りが見えるものの色は明るい。

 思わずぽかんとしてしまった。

 それでもまだ脅威は去っていなかった。呻き声が聞こえ、ハッと息を飲んで振りかえると、鏡の中から血まみれの女子生徒が出ようとしていた。


「み、見えるの? 何なのあれ? 何か知ってるの!?」

「知らないし怖いけど、本当に何あれ!?」


 彼女はそう言うと、私の前に立った。

 そのまま何をするのかと見ていたが、一向に何もする気配はない。


「あ、あれって七不思議のひとつでしょう? 塾に遅れそうなところをかけおりて、階段で転んで――」


 それで、鏡に激突して死んだ。

 そういう話だった。


「それならもう時間が過ぎてるし、廊下を走るのもよくないよね!」


 彼女は私に語りかけながらも、幽霊にも叫んでいた。

 私が意図をつかみかねていると、彼女は冷静に言った。


「必要以上に怖がっちゃ駄目だ」

「え?」

「あのね。前に聞いたんだけど。ああいうモノって、『信じる』と力が増すらしいんだ。なんでもないものでも怖く見えるし、実際に形が歪んで見える。その恐怖心があいつらを実体化させて、強くするんだって」

「信じる……?」


 私は彼女をまじまじと見た。

 それなら、さっき彼女の姿が恐ろしく見えたのは――「赤い人形を持った少女」の話を信じた、私の恐怖心からなのか。そんなことがあるのだろうか。


「だからどうにかするには、逆に心から信じればいいんだよ! 対処方法を!」


 あまりに自信たっぷりに言うものだから、あっけにとられた。

 それでいいのか。

 でも自信満々に言い放つ様子に、私も信じたくなってくる。


 心臓が高鳴るのを感じながら、震える手で鞄の中を漁る。

 頭の中は真っ白になったままだ。鏡のほうをちらりと見ると、血で染まった手が踊り場の床に触れた。べちゃりと嫌な音がする。まるでカエルのように体を地面にこすりつけ、私たちを見上げた。そのままゆっくりと這いだしてくる。

 長い髪に隠れたその向こう側を見てはいけない気がした。

 おびただしい量の汗が流れるのを感じた。その汗の向こうで、手が堅いものに触れた。

 取り出すと、鏡だった。蓋を開くようになっているタイプで、蓋の部分には百均で買ったネイル用素材を張りつけてデコってある。


「ねえ、これ――鏡から出てきたんだから、鏡でどうにかならない?」


 できるかどうかはわからないけど、私は鏡を開いて彼女に見せた。


「わかんないけど、イケるって信じる!」


 彼女は鏡を受け取ると、再び幽霊のほうを向いた。

 幽霊の顔は、もうすぐ目の前にあった。


「ひっ!」


 硝子片が顔のあちこちに突き刺さり、血にまみれた顔がこちらを向いた。でろりと出された舌からも破片が突き刺さっているのが見えた。骨折したようにねじれた体は右側だけが奇妙に下がっていて、バランスが取れていない。にも関わらず、そのまま奇妙な方向に曲がった足を引きずるように歩いてきている。

 幽霊はにたりと笑いかけると、一気に走り寄ってきた。

 うおおう、とひとこえ吼え、両手が彼女に届くかどうかいうところで掴みかけたそのとき、手に持った鏡がかざされた。


 ――お願い、何とかして!


 誰にかわからないが、強く祈る。

 もうそれしか私にできることはなかった。

 彼女は両手で持った鏡を、殴打でもするように振り下ろす。鏡面が見上げた幽霊と接近し、その顔がずるりと鏡の中に入っていった。


「よっしゃ!」


 彼女は勢いのまま、前につんのめった。衝撃がこなかったのだから当たり前だろう。

 バランスを失って床を転がりながらも、鏡は壊さないように腕はあげたままだった。


 鏡が彼女の手の中で勢いよく跳ねる。

 押さえこむように、蓋を思いきり閉めた。急に静かになった。


 あたりは静寂に包まれ、私は目を見張った。

 だが、その途端に鏡がまたガタガタと揺れ出した。彼女の手はそれにあわせて上下に動く。


「まだ動いてる!」

「廊下は静かに!」


 叫びとともに、彼女はぐっと鏡を抑えつけた。

 それでいいのかと一瞬思ったけど、鏡は今度こそ静かになったようだ。たぶん、抑えつけたことに意味があったのだと思う。

 静かになると、彼女はふあ、と一息ついて、起き上がった。ぼさぼさになった髪の毛を、頭をぶんぶんとふって整えた。余計にぼさぼさになった気がする。


「……あ、あの……」


 恐る恐る声をかけると、彼女はこっちを勢いよく振り向いた。


「すごい!! はあー、もう、ドキドキしたったら!」


 それから、投げつけたままだった鞄を拾い上げる。そして、鞄の人形を見つめてにんまりした。


「でもどうにかなるって信じて良かった。さすがレッド」

「何? その人形……」

「レッドだよ! ヒーロー戦記って深夜アニメに出てくる、イチ押し! 学ラン戦隊ガクセイファイブのレッド!」


 そうまくしたてると、カバンについていた人形を掲げてきた。

 ゲーセンにあるような、単なるキャラクターのヌイグルミでしかなかった。名前からして赤い色の服装で、一瞥しただけでも熱血的なキャラだとわかる。首を吊っているわけでも、血で染まっているわけでもない。怖いとか恐ろしいという感情とは程遠いところにいる。

 あれは、本当に私の恐怖心がそう見せただけだったのだ。呆然と言葉を失う。


「自分の中の恐怖心に喰われる、っていうらしいよ。どう見えてたのかわかんないけどさ」


 何も言わなくなった私に、彼女が手を差し伸べてくれる。


「……ごめん」


 その手をとると、彼女は瞬きをしながら言った。


「怖いものなんて、忘れたほうがいいよ。お薦めはガクセイファイブの話だね」


 アニメなんて小学校から見てないし、興味もない。けれど、今はなんでもいいから話をしたかった。他愛のない、どうでもいい話を。


「あ、でもその前に、この鏡の中身を外で出したほうがいいと思うんだ。学校の外だから塾に行くためにあの世に行くかもしれないし?」

「さすがにお祓いとかのほうがいいんじゃないの?」


 あんな目にあったというのに、気が抜けるような扱いだ。


「じゃあ、日羽神宮が近いかな。一緒に行こうよ」

「うん。ええと――あの、あなたの名前……」

「高瀬だよ。高瀬詩希。一年生」


 私たちは互いに自己紹介をして、鏡を持ったまま歩き出した。

 早く忘れてしまいたかった。鏡の中にあるものも、彼女を「開かずの扉を開けようとする赤い少女」と幻視したような恐怖も。


 そうして忘れたころに、ふと気付くのだ。


 鏡の七不思議を、とんと聞かなくなったことに。

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