怪ノ五十七 普通列車
学校の外に出ると、薄闇が覆っていた。
「うわっ、もう真暗じゃん」
あたしは滅多に見ない空を眺めて、思わずつぶやいた。
教室の窓から見えてはいたけれど、そのときはまだ夕暮れ時だったはずだ。片付けをするのに時間を食ってしまったせいか、時計を見るのも忘れていた。取り出したスマホの画面は、妙に明るく感じる。
時刻はもうすぐ八時をまわろうとしていた。
「うっそでしょ」
いくら体育大会の準備だからといって、集中してやりすぎた感はある。先生たちがまだ残っているとはいえ、こんな時間まで学校に残っているなんてはじめてだ。もちろん、体育大会の実行委員としてやらなければいけないことは山積みなんだけれど。
少しばかり資料や何やらを散らかし過ぎたのかもしれない。あちこち散らばった資料を一旦片付けるだけでも一苦労だった。カバンをひっつかんで急いで外まで出たのだが、時間は止まってはくれない。
遅くなるということは既に言ってあるが、あまり遅いとお母さんにもどやされるかもしれない。ため息のひとつもつきたくなる。
急いで履いたために後ろを踏んでしまっていた靴を履き直すと、後ろから声が聞こえた。
「おおい、西田ー! 気を付けて帰れよー!」
「あっ、先生ー! はーい! さよならー!」
見知った先生に別れを告げ、あたしは最寄駅までを急いだ。
最寄駅はしんと静まり返っていた。
生徒はおらず、利用客はあたしひとりだった。
高校は中心地から離れたところにある。中央線の沿線上にはあるものの、電車は各駅停車の普通列車しか停まらない。高校の周りはほとんど住宅地で、コンビニは駅の隣にひとつきり。喫茶店のほとんどは地元の人がたむろしているようなところだし、食べるところは回転寿司のチェーン店が近くにひとつあるだけという始末。むしろひとつ隣の駅のほうがまだ、急行も停まるし、周りに色々ある。数年後になりそうだが、再開発が進んで駅前整備の計画もあるらしい。そのころにはあたしはとっくに卒業だ。
授業が終わった直後なら人であふれているのだけど、今は寂しげだった。
ホームのすぐ裏にあるのも民家だけど、古い家だし、雑木林でホームとの間を区切っているから、灯りは駅についているものだけ。虫がたかった古い電灯は、いつもの帰り道で見るより心細い。
――早く電車来ないかなあ。
スマホを片手に時間を潰す。
カンカンカン、と踏切が鳴り、目の前を急行列車が通りすぎていく。顔をあげると、中にいた人々はそれぞれ外の風景など気にもせずに視線を下に落としていた。目線の先にはスマホや小説や、寝ている人だっているだろう。
――いいなあ、あたしもあれに乗りたい。
ふうっとため息をついて待っていると、バチバチと音がして、灯りが明滅した。思わずスマホから顔をあげると、電灯が切れかけているようだ。
余計にため息しか出なかった。
再びスマホに目線を落とし、SNSを落としてアプリゲームを起動した。
制限時間内に可愛くデフォルメされたキャラクターをつなげて消すというパズルゲームだ。しばらく熱中したあと、何度目かのプレイ中にふと目をあげた。ゲームに夢中になって電車に乗り遅れてはいないかと思ったのだ。
だが、その途端に小さな灯りが向こうのほうから近づいてきたかと思うと、目の前に停車した。
――よかった、ちょうどだったのね。
立ち上がり、電車に飛び乗る。
そうして開いていた隅の席に座ると、再びスマホに視線を落とした。ゲームの途中で電車に乗ったから、早いところ今プレイしているゲームをやってしまいたかった。そうしないとスコアが低いままゲームが終了してしまう。とりあえず制限時間いっぱいまでプレイして、なんとか目標スコアに近いところまでたどりつく。そこで、ようやくあたしは一息ついた。
ゲームをするために必要なアイテムがなくなり、ゲームを落として顔をあげる。
この時間に乗ることは少ないが、普通列車ということを差し引いても、ある程度人数はいる。それこそスーツ姿のサラリーマンや、大学生と思しき人、それから髪の白い小奇麗なおばさんまでそこそこいた。
人が少ないからか皆座っているが、一組だけ突っ立っているカップルがいた。男のほうは椅子の手すりに体を預けてスマホを弄っている。その隣で、女は男が操作するスマホを眺めていた。
面白そうな広告も見当たらず、ため息をついたときだった。
目の前の景色のなかで、隣の駅が通過していくのが見えた。
「え?」
急行に乗ってしまったのかと一瞬思う。
けれども学校の最寄駅には普通列車しか停まらないのはダイヤから言っても明白だ。他の乗客たちはそれぞれ気付いていないようで、眠っていたり、スマホを見ていたり、ぼうっと足元を見ている人が多い。
この時間だとよくあることなんだろうか。
そうは思うが、さすがにおかしい。
きょろきょろとあたりを見回すが、外が妙に暗くて、今がどのへんなのかわからない。誰も騒いでいないから、これが普通なのかもしれない。
なんだか落ち着かない気分になりながら、大人しく座って待っていると、また目の前の駅を通過していった。これでわかっているだけでも二つ目。もしかして、どこかの駅で、列車の後ろのほうと前のほうで切り離されてしまったのだろうか――でも、どこで?
さすがにこれは聞いたほうが良いだろうと立ち上がる。
乗客たちが一瞬あたしのほうを見て、ちょっとした恥ずかしさがこみあげる。
進行方向に車掌さんだか運転手さんだかがいたはずじゃないかと思って、とにかく足早に歩きだす。次の車両へと移ろうと、閉じた扉に手をかけた。
「あ、あれ」
開かない。
この扉って確かに開きにくいこともあるけれど、これほど開かないものだったっけ。
窓の向こうを見ても、反対側の扉も閉まっているから見えにくいことこのうえない。何度かチャレンジしても扉は開かない。仕方なく後ろに戻ろうとしたけれど、ふともう一度やってみようと思い立った。
そうして窓のところを見たとき、ぎょっとした。
窓ガラスに反射していたのだが、あたしの後ろに乗客たちが全員そろっているのが見えたのだ。
みんな、どこか無表情のままあたしを見ている。
スーツ姿のサラリーマンも、スマホを見ていたカップルも、全員があたしのすぐ後ろにいて、無言のまま見ているのだ。
声のひとつぐらいかけてもいいものだと思うが、異様に不気味な光景だった。だいたい、移動しようとしているようにしか見えないっていうのに、どうしてこんな近くにいる必要があるの?
見えてないふりをして、そのまま扉に手をかけ続ける。あと一度だけと思ったチャレンジは何度も続いた。
だんだんと体が熱くなってきて、手に汗がにじんでくる。焦っちゃ駄目だと思っても、どうしても開かない。
――おちついて、だいじょうぶ、ぜったい開くから……、開いてよ!
半ば願うようにして扉に手をかけ続ける。
――お願い、開いて!
ぎゅっと目をつぶったその時、急に列車が停まった。
「え……」
顔をあげると、やがて前方から人の気配が近づいてきた。そうして、妙に呆気なく急に目の前の扉が開く。
あたしが思わず後ずさりすると、立っていたひと――運転手さんはニコリと笑った。
「この列車は回送だよ。どこで乗ったんだい?」
「ど、どこって」
あたしは高校の最寄駅を答えたけれど、運転手さんは首をかしげた。
「おかしいな。そこは停まってないはずだけど――」
ハッと思いたち、ようやくそこで後ろを振り向く。
「まだ誰か乗りこんでるのかい? きみのほかには?」
「あ……いえ、……あたし一人です……」
そこには誰もいなかった。
回送に間違って人が乗りこむことは、偶にあることらしい。
結局、あたしの記憶違いだろうということになり、家の近くの駅まで戻る道筋を教えられた。
回送に乗っていたのはわかる。
でも、それならあの人たちはなんだったのだろう。どうして停まるはずのない駅であたしは回送に乗ってしまったのだろう。
もしあの時扉が開かなかったら、あたしはどうなっていたのだろう。
考えてはいけないことなのかもしれない。
ただ、あれ以来どんなに学校の仕事が立て込んでいてもすぐに帰るようになった。
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