怪ノ五十五 屋上のひと

 ふと気が付くと、屋上にその人はいた。

 教室から見える、向こう側の校舎の屋上の隅に立っていた。うちの学校のセーラー服を着ていて、ぼんやりとどこかを眺めている。

 今は授業中だ。

 だから、授業をサボッてそこにいるということになる。


 あそこの屋上はよく授業をサボッた男子がたむろしていることがある。ただ、今いる校舎から見えるのは端のほうだけで、たいていは複数人でじゃれあっているときに、うっかり端のほうに出てきたりしたときにしか見えない。

 とはいえそれも一瞬のこと。

 すぐさま屋上の見えない位置に消えてしまうことが多い。

 あんまりそこに居ると、生真面目な生徒や先生に見つかったときにすぐさま飛んでこられるからだ。


 だから、そんな場所に――特に女子が一人でずっといるというのは珍しかった。


 ――何やってんだろう。


 ぼんやりと窓の外、彼女の姿を見つめる。

 いつまでもあんなところにいたら、誰かに見つかるに決まっている。窓際の他の子も気付いたらしく、窓際に座る子たちはほぼ全員が向かい側の校舎を見ることになった。


「おい。お前ら、何見てるんだ?」


 先生の言葉にはっとして前を向く。

 注意をしながらもつられるように窓の外を向いた先生の目も、すぐに彼女の存在に気が付いたらしい。


「んん? あんなところで堂々とサボッてる奴がいるなあ?」


 その言葉に教室も和みかけたが、先生の顔はすぐさま真っ青になった。


「いかん、あれは!」

「きゃっ!」


 先生が叫ぶのと、悲鳴は同時だった。

 彼女は意を決したように一歩踏みだし、そのまま飛び降りたのだ。

 同じクラスや他の教室からも見ていた人がいたらしく、あっという間に教室は阿鼻叫喚になった。悲鳴をあげる子、声を失う子、トイレに駆け込む子、よく見えないかと窓から覗きこむ子。おっかなびっくりながら後ろのほうから興味津々に見つめる子。地面に横たわったそれはぴくりとも動くことなく、奇妙に四肢をゆがめたままだった。地面に広がる赤い染みがゆっくりと広がっていく。


 後々の警察の調査によると、屋上には、きちんとそろえられた靴がひとつあったらしい。その中には遺書が突っ込んであり、彼女の筆跡であることが確認されたという。

 とうぜんニュースにもなり、数日の間、校門前にはコメントを求めるマスコミの姿が目撃された。ニュース番組には、うちの学校の制服を着た子が顔の映らないままコメントしている映像が流れた。。

 後になってイジメの調査アンケートがあり、何となく彼女の死の理由を察した。


「なんかさあ、どっと疲れたよね」


 クラスメイトでもないのに、同じ学校の生徒というだけでマスコミに目をつけられるというのもどうかと思う。

 大体、彼女の名前を出されたところで知らないのだから。


「まあ、そのうち向こうも飽きるでしょ」


 じっさい、その通りになった。

 マスコミは来ているものの、三日もすればニュースには片隅でその後の調査の様子が小さく載るだけになった。


 そんな、徐々に普段の生活を取り戻しつつあった頃のことだ。

 隣のクラスから突然悲鳴が聞こえたかと思うと、再び騒ぎが起きた。


「あそこから女子が飛び降りたんです!」


 そんな言葉が聞こえ、先生を含めた全員が窓の外を見た。

 再び教室中どころか廊下じゅうを戦慄が走った。


「ウソでしょ、二人目とか」

「マジかよお……」


 だが、どれだけ外を見ても飛び降りた女子は発見されなかった。この間のように、校舎と校舎のちょうどあいまに落ちていったということもないようだ。

 するうちに外に先生たちが現れて、飛び降りたという女子をあちこち探していた。だが、最終的に見に行った先生は首を振って戻ってきた。何も見つからなかったらしい。


 何度探してもいないので、隣のクラスの子の見間違いだろうということになった。

 前回のことから時間が経っているとはいえ、直接見てしまった者たちの心の傷はそう癒えないだろう――幻覚を見てしまうのも仕方ない。今回は全校集会こそなかったが、スクールカウンセラーの設置期間が増えたらしいというのは聞いた。


 しかし、それは日に日に多くなっていった。

 騒ぎは毎回隣の教室からで、ほぼ全員が同じ時間にそれを見るらしい。


「あれ、絶対幽霊だよね」


 私たちは噂した。


「死んだあの子のクラスって隣のクラスなんだけどさ、あれから見てるの隣のクラスオンリーなんだよね」


 よくよく考えれば、ほぼ同じ時間に彼女は現れている。

 それは私たちが彼女の死を目撃したのと同じ時間で、更に不思議なことに、幽霊を見ているのは隣のクラス――要は彼女のいた教室の生徒だけらしい。


「イジメが原因だって言われてるけどさ、たぶん認めれば止むんじゃない?」


 友人は呆れたように言った。

 学校側はイジメを断固として否定していたが、遺書にはイジメの主犯が書いてあったというのは遺族側の主張として思いだしたようにニュースになった。


 結局、夏休みが終わったタイミングで、隣のクラスでは二人の生徒が転校し、先生が担任を外され、学校をやめた。

 その途端、騒ぎは嘘のようにぴたりとやんだということだ。


 あれが集団幻覚だったのか幽霊だったのか定かではないが、不思議なことも世の中にはあるのだと私は思うことにした。

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