怪ノ五十四 三年生の噂
私の通っていた高校は、いわゆる進学校ではなかった。
それでも大半の生徒は大学か専門学校に行くのが普通だった。何かやりたいことでもないかぎり、上の学校を出ておくのがとりあえずいい、というのが今の時代の風潮でもあるから、秋くらいになると三年生は部活に出なくなる。
文化祭は参加しているけれど、部活については野球部やサッカー部なんかのキツめの部活からいなくなっていった。のんびりやっているような部活でも、一旦離れると一年生やらと交流できずにいなくなる人も多かった。
そんな三年生の間に流れる不思議な噂があった。
三年生になったら、三年の空き教室を覗いてはいけない。
これだけ聞くとまったく理解不能な噂だ。
三年の空き教室というのは、昔、この学校にもっと生徒が多かったころに使われていた教室のことだ。各階、つまりは学年ごとに二つか三つほど存在していて、たいていは体育の着替えや、文化祭なんかでの出しものに使われている。もちろん部の出しものとかぶることもあるから、年によっては抽選が行われたりするらしい。扉の部分をうまくつなげて長めのお化け屋敷を作ったりと、なかなかさまになっていることもあった。
そんな空き教室だが、三年生の空き教室のうち一つには幽霊が出るという噂があったのだ。
特に、夕暮れ時や夜、それから昼間でも誰もいない時に、カーテンの影に隠れるようにして幽霊は出現するらしかった。
生徒の中には、学年問わず、「確かにあの教室には幽霊がいる」と言う者がいた。それらのなかには自称霊感持ちのような変人だけでなく、偶然見てしまう者も多かった。
噂のことを知らない生徒が通りすがりに「なんでこの教室に人がいるんだ」と首を傾げていたとか、数人で遊び半分で見に来たら全員が見ていたとか、同じパターンでも一人だけ見ていない生徒がいて、からかわれていると思っていたとか。
とにかく幽霊は存在するのだということになっていた。
だが。
「それだけならまだいい」
――それがおおかたの反応だった。
おかしなものだ。
幽霊が出るというだけでも恐ろしいのに、それ以上のものがまだあるというのか。
それでも深くは考えず、肝試し感覚で友人たちと空き教室まで見に行ったことがある。放課後の誰もいない教室は、部活で時々入るから見慣れているはずなのに、目的が幽霊の出る教室となった途端に急にぞくぞくとしてくる。
私たちもきゃあきゃあいいながら、そっと空き教室に近寄っていった。
何かが見えるかもしれない。
視た人が大勢いるにも関わらず、そういうものは自分には見えないんじゃないかとたかをくくっていたのも事実。けれども、実際に見てしまったらどうしよう。そういう不安も心の中にわずかながらに渦巻き、それで余計にわいわい騒いでしまった。
決して自分ひとりでなく、友達が数人いるっていうのに。みんながみんな、同じことを思っていたのだと思う。
教室の近くまで来ると、みんな一瞬黙り込んで、お互いを見つめた。
不安を払うようにプッと笑うと、そろそろと教室へと近寄る。
笑っても隠し切れない何かを、みんな感じていた。
教室までが妙に遠く感じる。
一歩、二歩、掌に汗がにじむのを感じながら、教室の前に立ったそのときだった。
「三年生か? 見ないほうがいいぞ」
「きゃあっ!」
ビクッとして、私たちは声のほうを向いた。
そこにいたのは、作業服を着ているおじさんだった。
「用務員さん?」
「なんだあ、おどかさないでよ」
用務員さんはずかずかと私たちのほうへとやってきた。
「あんまり見ないほうがいいぞ」
そう言うと、わざとらしく私たちの前に立った。扉につけられた窓が隠されて、私たちからは教室の様子が見えなくなってしまった。
「幽霊を見るだけならまだいい、けれども幽霊がこっちを見てしまったら――影響されるんだ。あの子たちに」
ちらりと用務員さんが教室の中を見る。まるで本当にそこに幽霊がいるみたいに。
「影響されるって……?」
「ここは三年生の教室だろう。どうしてあの子たちがあんなに机に向かってるか、わかるか? 受験勉強の途中なんだよ」
私たちは黙りこんだ。
「彼らは受験に失敗して首を吊ったり、受験前に死んでしまったり……そういう子たちだ。目をつけられれば面倒なことになる。つまり、受験に失敗したり、受験することができないまま死んでしまう。そういうことを知っていて、見られたことを悲観して自殺することもあった。だから三年生は彼らを極力見ない」
「そんなことあったの?」
用務員さんは眉間に皺を寄せた。無言のまま。
「……たまに、増えるんだよ。人数が。でも、減ることはけっしてない」
用務員さんの語り口に、私たちはごくりと唾を飲んだ。
一瞬の沈黙が妙に長く感じる。
「や、やだーっ、用務員さん、やめてよーっ」
わざと怖がる風にして私たちは笑いあう。
でも実際のところ、誰も教室を見ようとはしなかった。もう帰ろうっかー、見つかっちゃったしぃ、などとわざとらしい声をあげて、私たちは退散した。
「それじゃあ、さよならー」
「気を付けて」
ただ――ただ、私は見てしまった。
あれは気の迷いだったのだと思いたい。
挨拶をして振り向く一瞬、扉の小窓の向こうに青白い手があったのが。
もし用務員さんがそこに立っていなければ、窓にべったりと張りつくその顔が窓から見えたのだろうか。
私たちをじっと見つめる幽霊の姿が。
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