怪ノ五十三 ドクロ

「ねえ、これなんだろ」

「んー?」


 あたしはふりかえり、ユミの示しているものを見つめる。

 学校の廊下で、掃除のさなかのことだった。

 そこには奇妙な黒い汚れがこびりついている。


「なんだろ、墨でもついたのかな?」


 うちの高校は思いだしたように書道の時間があり、そうすると誰もが墨汁を使う。それにしたって廊下の壁についているのはおかしいけど。

 それにしてはぼんやりとしているし、どちらかいうとシミみたいだ。

 試しに持っていた雑巾で拭いてみたが、一向に落ちる気配はない。


「ダメみたい。前からあったっけ?」

「なんかさあ、これ、人の顔みたいに見えない?」

「ええ?」


 そういわれてみれば、点のようにシミになっていない箇所が目と口のように見える。むしろ、小さな点もあわせればドクロのようだ。

 なんだか気味が悪い。


「そういえばさあ、知ってる? この学校に伝わる怖い話」

「怖い話ィ?」


 あたしが聞き返すと、ユミはニヤニヤしながら続ける。


「そー。この学校って、昔、墓地だったみたいでさあ。しかも、無縁墓地。それを取り壊して建てるときに、工事関係者の人たちが次々に事故死していったんだって。お寺の住職さんが何日もかかってやっと抑えたけど、学校が建った後もその怨念が校舎の色々な所にシミになって……」

「もうっ! やめてよっ!」


 急にぞくぞくと背中が冷たくなり、ユミに怒る。


「あはは! でも、実際シミが多いんだよねー。年数経ってるせいかもしんないけどさ」

「そんなことより、掃除! ほら、掃除が進まないから汚れだって取れないんだよ」


 あたしはそう言ってユミの背中を押したが、ユミはまだ笑っていた。

 たぶん冗談のつもりなのだろうけど、冗談にしては笑えない。

 何しろ気にしてしまうと、ユミのいうとおり、あちこちにシミはあるのだ。

 もちろん、学校は色んなことをする場だから、絵の具だのボールペンだの、泥だの汗だの、色々とついていてもおかしくない。どうしても汚れが取れない箇所もあるし、どうしようもないのも確かだ。


 ――あそこにもシミが。


 掃除場所の廊下だけでも、一つどころか二つ三つ、いやそれ以上にうすぼんやりとした汚れはあるものだ。 

 それでも、先ほど見つけたものよりはまだいくらか普通のシミだ。廊下掃除の当番は一か月続くわけで、出だしから憂鬱だった。


 かといってサボるわけにもいかず、掃除の時間になるとそのシミが妙に気になった。気にしないようにはしていたものの、ふと目をあげるとそのシミが目に入る。


 ――ユミがあんなこと言うから。


 あたしは、シミを最初に見つけ出したユミに対して怒ってもいた。とはいえそんな怒っても仕方のないことだから、どうしようもなかったけれど。

 気にしないようにすればするほど、シミのことが気になってしょうがない。当のユミこそもうなんともないみたいに振る舞っているから、余計に気が立ってしまった。


 数日しても、やっぱりシミが視界に入った。

 もうこれほど気になるんだから、いっそのことしっかり見てやろうと顔をあげた時だった。


「あれ……?」


 ふと違和感に気が付く。


「なんか……シミが大きくなって、る?」


 気のせいだよね?

 そう自分に言い聞かせても、そればかりは気のせいではなかった。


 それから一週間ばかりすると、シミは余計に大きくなっていくようだった。親指の先程度の大きさだったシミは、今や人の頭といっていいほどに成長していた。もはや最初がどんな風だったか忘れてしまっているくらいだ。

 顔はよりドクロに似た風貌へと変化して、そこだけが異様だった。横から見るとぼっこりとかすかに膨らんでいて、今にも壁から飛びだしてきそうだ。それも、一つだけではなく、二つ三つと増えている。


 それでも、あと一週間も掃除当番をすれば違う当番に変われるのだ。それまで気にしないようにすればいい。あたしはそこまで考えて、ふと思った。


「ねえユミ、このシミ大きくなってない?」


 これほど変わっていれば、いくらユミだって気が付かないはずがない。


「ねえユミ。最初に見つけたのはアンタだったわよね?」


 サッサッと箒を動かしているユミは、あたしのほうを見ない。聞こえてないのかもしれないと、もう一度声をかけたが、ユミは無視していた。


「ユミってば!」


 段々と苛々して、ユミの肩を掴んで強引にこちらを向かせる。

 すると、くるりと振り返ったそこには――。


 ユミの顔と重なるように、黒いシミのようなドクロがあたしを見ていた。


 自分の喉から信じられないような悲鳴があがり、あたしの意識は遠のいた。



 ◆




「――、だいじょうぶ? しっかりして!」


 次に目が覚めたときには、あたしはお母さんに手を握られていた。

 白い壁と天井が見え、だんだんとそこが病院なのだということが理解できてきた。どうやらあたしは悲鳴をあげて廊下で倒れたらしい。そこから三日間、ずっと昏睡状態に陥っていたらしい。

 お母さんが先生を呼びに行き、先生がやってきて――そこからはどうにもめまぐるしかった。ようやく落ち着いたのは、先生がお母さんを呼んでから。


 あたしはため息をついた。

 学校から離れたし、ようやくこれで一安心だ。


 コンコンとノックの音がして、ビクリと上半身を起こす。


「すみません。巡回ですー」

「あっ、はい!」


 ピンク色の看護師さんの服が見えた。しっかりしなきゃと顔をあげたその先。


「それじゃあ、まずは……」


 看護師さんの顔に重なり、ドクロがあたしを見据えていた。

 悲鳴が病院に響き渡った。

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