怪ノ五十 わたしの学校
わたしの母校である私立中学が潰れて一年になる。
つまるところ、閉校したのだ。
潰れたといったのは、表向きの理由が経済的な事情に基づくものだからだ。たいてい、近年の学校――特に市立のもの――は、生徒数の減少による統廃合のほうが多いのだが、私立であった私の母校はあっという間に畳まれてしまった。
表向きの理由があれば真の理由もある。
というのも、もともと中学を建てた会長兼校長であった男性が急死した後、その娘という人間が校長に就任したのだが、これがてんで駄目だった。
今まで学校教育になど携わってこなかった素人で、何不自由なくやっていたお姫様(といっても五十をとうに越えている)が、急に学校なんか任されたものだから、舞い上がったのがはじまりだった。学校や生徒を自分の持ち物か奴隷のように扱い、学校の金を使いこんで高い車や家具を買いこんだり、修学旅行中に自分だけカジノで豪遊したり、そうかと思えばホストに入れこんで色々なものを買い与えていた始末。
教育面においては更に最悪で、生徒に与えられていた自主性を奪い取り、校則やルールの改革と称した改悪を行って、学校の理念はあっという間に崩壊した。その違いに生徒たちは急速に戸惑い、自慢の学校は後進へお薦めできない学校へと転落した。
このネット全盛期にむちゃくちゃやるのが間違いなのだ。私立であったことも災いして、学校は生徒の獲得に苦慮するようになった。
大体、高校ならともかく中学なんて大多数の人間がエスカレーター式に市立に行くに決まっている。他に私立中学が無いというならまだしも、評判が悪いとなれば即座に選択肢から外れるのだ。
どんどんと悪くなっていく生徒の質を、校長が更に縛りつける悪循環で、崩壊は止まらなかった。
教師のほうも暴走する校長を止められず、ついには経済的事情からの閉校とまであいなったのである。
使いこみで校長が逮捕されなかったこと事態が奇跡のようなものだ、と元生徒たちは噂したが、なんと、その校長自体も行方不明になってしまったのだ。
借金もかさみ、お姫様だった彼女自身も生活の質が転がり落ちてくると、次第にその現状に耐えられなくなったのだろう。
校舎を撤去する費用もなかったのか、それでもまだいくらかやりようはあっただろうに、彼女は現実から逃げだしたのだ。
そんな噂を聞きつけて、何となく足を伸ばした母校はひどく荒れていた。
まだ新しめの校舎から人の声が消えて久しく、「建物は人がいないとすぐにダメになる」というのを体現するかのようだった。
草木の手入れをしないものだから伸び放題で、フェンスが一部壊れていた。
ふと興味が湧いて、わたしはこれ幸いとフェンスから学校の中へと忍びこんだ。
今考えると、馬鹿なことをしたものだ。
スマホの灯りを懐中電灯がわりにし、かつて見慣れたはずの母校を歩いていく。さすがに見つかる可能性も高かったので悠々とはいかなかったが、かつての母校がこうして廃れていくのは何とも言えない気分だった。
中には入れないかと汚くなった扉に手をかけると、意外にも鍵は開いていた。
楽しさと、虚しさ。
僅かな恐怖心は好奇心が押し殺し、わたしは教室棟の中へと進んだ。
ぴかぴかにされていた場所は今やヒビが入り、その合間は植物がわが物顔で占拠していた。まるで知らない場所のようである。
掲示物などはほとんどそのまま残されていた。
教室の黒板も、卒業生のものと思われる落書きが残されたままだ。だが、そこに静謐さは微塵もなかった。
教室の中を照らしてなんとなく見ていると、急にコツンと音がした。
思わずびくりとして振り返る。
こつ、こつ、こつ、こつ。
明らかに、廊下を靴で歩く音だった。
目を凝らしたが、光などは見えてこない。
見回りの人に見つかったわけではないらしい。
かといってこの暗闇の中を一人で歩いてくるなんて、いったいどんな神経の持ち主であるかのかと震えが走る。
「誰かいるんですか?」
恐怖を振り払うように、こちらに悪意はないというように、わたしは尋ねた。
つんとするきつい臭いが鼻をつく。何かが腐ったような、糞尿の入り混じったような何とも言えぬ臭いだった。
廃墟の中には稀にホームレスが住みついているというが、まさかこんなところにも?
そう思った矢先に、暗闇の向こうから呻き声が聞こえた。
はっとして立ち竦む。
スマホの光をそっと、廊下から当ててみる。
その光に照らされたのは、枯れ木のような足だった。冷たいものが背中を伝ったが、わたしの手はそれとは裏腹にその体を浮かび上がらせた。
暗闇にぼんやりと浮かびあがる、怒りに燃えた赤い瞳。白と黒の入り混じった髪はざんばらに散らされ、やせ細った体に不似合いの高そうなワンピース。
ぎょっとして後ずさりしたものの、足が竦んで動けなかった。
極めつけに、その表情は醜く歪んだ老婆、いや、鬼婆そのものであった。
そいつは、ああ、ああー、と威嚇するように喚くと、両手を振り回しながら叫んだ。
「ここはあ、わたしの……ものだあああああ!」
声とともに両手を伸ばして追いかけてくる鬼婆に、わたしは慌てて踵を返した。
叫びをあげる声も掠れながら、一目散に出口目掛けて駆けていく。後ろからは老婆が奇声を発しながら追いかけてくる。
わたしは老婆にかすかな見覚えがあった。
あんな異様な姿になり果ててなお、衣服やネックレスなどはそのままだったからだ。
あの老婆こそ、中学を閉校に追いこんだ校長じゃないか。
恐ろしいことに、あの校長、こんなところに隠れ住んでいたのだ!
いつあの狂人に捕まるかという恐怖を原動力に、がくがくと震える足に鞭打って走り続ける。何度も何度も道を曲がり、ようやく最初に入りこんだ場所が見えてきたとき、わたしは滑りこむように穴の中に身を押し込んだ。
そうして見慣れた道路に放り出されたとき、まるで異界から現実に戻ってきたかのような安心感に、汗がどっと噴きだした。
安堵はわたしを包みこんだが、それでも動悸はしばらくおさまらず、わたしは翌日高熱を出した。
その数日後のこと。
悶々と日々を過ごしていたわたしに、また別の情報がもたらされた。
わたしが中学校に忍び込んだ翌日、見回りに来ていた警察が死体を見つけたらしい。
もともと中学校から異臭がするという話はちょくちょくあがり、ホームレスでも住みついているのでは、という話はあった。
だが踏みこんだ警察が見たものは、それよりもひどい有様だったらしい。
臭いは元校長室だった一室からで、コンビニかどこかで買ったのだろうスナックや弁当が捨てられもしないまま放置され、腐ってひどい臭いをまき散らしていたそうだ。辺りには虫がこれでもかと巣食い、校長室を中心に渦を巻くようだったという。
渦高く詰まれたゴミの中心には毛布がひとつきりあり、元校長はそこで息絶えていたらしい。それも、膝を抱えたまま亡くなっていたそうだ。どれもこれも高そうな、けれども薄汚れた服に囲まれ、スマホは充電が切れていた。髪の毛は梳かれてもおらずざんばらで、衣服はやせ細った体とは不釣り合いで、凄惨のひとことだったという。
死因は餓死。
金を使いこんだ女の末路としては、これ以上ない皮肉なものだったという。
だが不思議なことに、その死体は死後数週間はたっていたらしい。
――それなら、わたしが見たあれは何だったのか。
後になって、中学校の土地が競売にかけられると聞いた。
その土地にはあの校長の執念もついてくるのだろうかと、わたしは不安でならなかった。
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