怪ノ四十四 使わない机

 四年二組には、ただひとつの掟がある。

 それは、一つだけ隅に置かれた机を使ってはいけない、というものだ。


「あれはむかし、事故で死んだこのクラスの男の子のものなんだって」


 そういう噂が立ち上っていた。

 実際そんなみょうちきりんな噂があったにも関わらず、学校側は無視していた。子供の噂なんてそんなものだと軽んじられていたのかもしれない。

 ただ、おそらく何度となく「使わないなら移動させましょう」とかいう話もあってもいいはずだ。それなのに、どうしてか四年二組の机はいつも余った。

 いずれにせよ置くところがないからといわれればそれまでだが、そんな小さな偶然を拡大解釈するのも子供の常。


 噂は学校の怪談のひとつとなっていた。


 その年に四年二組となった子供たちもまた、件の机を見て言いだした。


「あの机は事故で死んだ男子のものらしいよ」

「事故って、どんな?」

「何年か前に、車にはねられたんだって」

「じゃあ、あの机は供養かなにかなの?」

「――それがね」


 子供たちは声を顰めるように噂する。


「あの机はその男の子のものだから、移動させてはいけないんだって。まだこのクラスにいるみたいだから、休み時間に座ったりするのはいいけれど、よそにやったりすると祟りがあるんだって。先生たちもそれをわかってるから、一つ余らせたままにしてるらしいよ」


 それが偶然、担任の先生の耳に入った。

 この先生は去年赴任してきた先生で、噂のことは知っていた。去年は別のクラスを担当していたから、どうせ学校の怪談のひとつだろうくらいにしか思っていなかった。

 だがじっさい、噂をして不安がる子供たちを前に、先生は苦笑しながら言った。


「そんなの、迷信ですよ」


 先生は本気で怖がっている子たちを慰めながらも、心の中では困り果てていた。

 噂が意外に子供たちの心の中を占めていることに、である。


 先生は職員室に帰ると、他の先生たちに「あの机を移動させたいから、どこか場所はないか」と相談してみた。


「あの机って、あの怪談のですか」


 職員室で尋ね返され、先生はうなずいた。


「ええ。あの机のせいで集中できないと困りますし」


 他の先生たちは何年かここの学校にいる人たちだった。

 顔を見合わせる。


「ですがねえ、先生……」


 困ったように見返される。


「あの机を動かそうとすると、それはそれで子供たちは落ち着かないみたいなんですよ。以前も動かそうとしたんですが、逆に子供たちが幽霊に呪われるって騒いでしまって」

「実際、気分が悪くなって休んだ子が何人もいましてね」

「ま、ただのよくある怪談なんですから。特に問題はないでしょう」


 返ってきたのはそんな返事ばかりだった。


「それはそうですが……」


 先生は納得がいかなかった。


 確かに、他の先生に言われたように授業に支障はなかった。

 教室に余った机があるぶんには生徒たちは気にしなかったし、むしろ動かすほうが気にするというのは正しいのだろう。

 だが、ただでさえ狭い教室に余分な机があるというのも考えものだ。加えて、妙な噂がついているともなれば、今は良くてもそのうちに学業の邪魔になるのではと危惧しても仕方ない。

 そもそも幽霊など信じているわけではないが、えてして気分がいいものではない。


 ――視聴覚室なら、ひとつぐらい増えても問題ないだろう。


 先生はある日の放課後に、誰もいないことを確認して机を持ちあげた。

 他の先生方ならともかく、生徒がいれば絶対に文句を言われるのは目に見えている。だからこそ、誰もいない間に片付けてしまわねばならなかった。

 明日の朝になれば気付かれるだろうが、数日もすれば騒ぎもおさまるに違いない。だいたい、怪談なんてばかばかしかった。


 机を持ちあげて廊下まで出たとき、斜めになった机の中から何かがドサドサと飛びだしてきた。


「うわっ」


 驚いたが、それが教科書やノートの類だとわかると、思わずため息をついた。

 誰かが教科書でも入れていたのだろうか。それとも、以前から入っていたのか。


 そうはいっても、誰も使っていない机に何かはいっているというのもおかしなものだ。

 誰かが入れたに決まっている。

 やれやれと思いながら教科書を拾い上げた。


 その瞬間、予想外にべたつく感触に思わず教科書を取り落とす。

 本が乱暴な音をあげて、床に再び叩きつけられた。


「なんだっ?」


 指先を見ると、べっとりと赤い色がついていた。

 急に背筋に冷たいものが走り、目線を教科書に落とす。そこには確かに、開かれた教科書とノートが落ちている。

 赤く真新しい血に濡れた教科書が。


 頭の中が真っ白になり、言葉を無くす。自分は幻を見ているのか。

 子供たちから聞いた恐ろしい噂が頭の中を駆け巡る。今すぐに机を戻したほうがいいのではないか。

 机に再び指をかけたそのときだった。


「ぼくの机、どうして持ってっちゃうの……?」


 真後ろからの声と、首にかかる小さな冷たい手の主を振り返ることはできなかった。

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