怪ノ四十三 海

 臨海学校の写真が貼りだされた掲示板には、既に人垣ができていた。


 みんな写真を買うのだ。

 写真にそれぞれふられた番号をメモして、後でその分のお金を一緒に提出すると、番号の写真を買うことができる。そういう形式。

 もとい、ただ単に写真を見て楽しむっていうのもあるけど。


 実際、既にメモをしてる真面目な子を除けば、みんなこの写真はヤダとか、この時は面白かったとか話している。

 カレーをこぼしてるとか、砂浜で思いきり転んでるとか、海に飛びこむ瞬間に目をつぶってるとか、キャンプファイヤーで思ったより真剣な表情で躍ってるとか……。


 臨海学校というだけあって、昼間に海で泳いだ写真はいっぱいあった。


 自分の知らないところで、別のメンバーが砂の城を作ってたり、男子が砂だらけになってたり、貝拾いをしてたり。驚きもたくさん。

 普段は厳しめの先生が、少しふざけた顔で男子とピースしている写真なんか、自分が写っていないのにメモに追加する子もいる。


 写真を貼りだしたカメラマン役の先生も加わって、時系列で並んだ写真を見てああだこうだ言うのに時間を費やす。

 手に持ったメモ用紙はむしろ邪魔になっているくらいだ。


 そんな中で、きょろきょろとしていたヨシキが叫んだ。


「アレッ? 俺の写真ないじゃん!」


 憮然とした表情をしている。


「写真あるじゃん。何言ってんの?」


 クラスメイトが不思議そうに言った。

 ヨシキの写っている写真はたくさんある。


「ちげえよ。俺が海に飛びこんだ時の写真。ちょうどカメラマンの先生がいたから、はりきって跳んだのに!」


 抗議するようにヨシキは先生に言う。

 水泳を習っていたヨシキは、泳ぎには自信があったのだ。だから余計に覚えていたのだろう。

 一方、先生は一瞬ドキリとしたように表情をかたくした。


「ああ、ごめんな、あの写真はぶれてたから、貼りだせなかったんだ」


 先生は申し訳なさそうに言った。


「ひょっとして、崖の上からピースしてたやつ? 俺、見てたぜ」

「先生、決定的瞬間逃した?」


 他の子たちが先生をはやしたてる。


「あの写真欲しかったのによー。絶対かっこよく撮れてたのに!」


 ヨシキはぶつぶつ言っていた。先生がそれを苦笑しながらなだめたところで、チャイムが鳴った。

 ほとんどの子は番号をメモれず、おそらく後からまだ人垣ができることが予想できた。


 その二日後のことだった。


 街が記録的な豪雨に襲われた日、ヨシキはあっけなく決壊した川の餌食になった。海のほうまで流されたらしく、数日後に死体は随分と離れたところで見つかった。

 昔はよく氾濫した雨竜川ではなく、今まで一度も氾濫したことがないような、名前も知らないような川だったことから、整備の見直しも検討されるとニュースでは言っていた。


 クラスメイトが死んだという事実もそうだが、泳ぎの得意だったヨシキが川に流されたことは、ショックを与えた。

 体育館で黙祷が行われたあと、クラスメイトたちは浮かない顔で先生に言った。


「先生、ヨシキの写真、見せてよ。ぶれててもいいからさ。一枚でも多く欲しいんだ」


 ごく当たり前の訴えだった。

 特にヨシキと仲の良かった男子たちは、写真が欲しいと訴えた。


 だが、先生の返事は色よいものではなかった。さすがにそこまで拒否されると、子供の頭でも勘ぐってくる。


「先生、何か隠してる?」


 クラスメイトは先生に詰め寄り、とうとう先生は折れた。

 クラスメイトたちを職員室に連れていくと、客室として使われている部屋に通した。


「……内緒にしてくれよ。先生もこれをどうしたらいいかわからなかったんだ」


 先生は一枚の写真をとりだした。

 みんながそれを一斉に覗くと、小さな悲鳴とどよめきがあがった。


「しっ!」


 先生は声を潜めた。


「早いところ処分すればよかったんだ……こんなもの」


 小声だったが、苦悩するような色があった。

 クラスメイトたちはその理由をすぐに理解したし、すぐに黙りこんだ。


 そこには確かにヨシキが写っていたが、ぶれてなどいなかった。

 勢いよく飛びこもうとする瞬間を撮影した、本当に最高の一枚だった。綺麗なフォームのまま、下の海へと放物線を描くのが今にも見えるようだった。


 不自然なほどに暗い海の底から、彼を迎え入れるように伸びた青白い一対の腕さえなければ。


 先生はその後、写真をネガごと処分し、写真を撮ったカメラも処分したらしい。そしてクラスメイトたちも、その事実を二度と口にすることはなかった。

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