怪ノ四十 カタツムリ
虫が嫌いな子って、今じゃ普通なのかな。
ほら、小学校の頃って、ダンゴムシとかアリとか意外に触れたりしたじゃない。
私も小学生の時は、ダンゴムシとかアリとか平気で触ってたなあ。
あとは、カタツムリ。
貝の部分なら触れたからね。ただ、体の部分はやっぱり気持ち悪かったけど。
それに、今じゃもうカタツムリは見るだけで駄目なの。
うちの学校にはアジサイが植えてあってね、雨の時期になると、そこにカタツムリが繁殖してた。
そうすると、クラスの男子が集まって探したりするわけ。
カタツムリって小さいうちはカワイイから、女子もよく立ち止まって見てたりした。もちろん大きいやつはナメクジみたいで気持ち悪いって言う子も当然いたけど。
そんな中で、ひときわ目立ってたのがクラスの松本君。
松本君はやんちゃなグループの一員でね。一人際立ってっていうより、グループのなかの一人って感じだった。
それで、その松本君。
虫が大嫌いだった。
だけど当時の小学生って、室内でゲームする以外にも、ちゃんとセミとったりアリ触ったりって結構普通のことだったのね。そんなことでビビッてたら、当然馬鹿にされるわけ。
「お前、虫も触れねーの?」
……って。
松本君は馬鹿にされるのが悔しいわけでしょ。
「そんなわけあるかよ!」
ムッとして、どうにか恐ろしいのを振り払って探し始めた。
季節はちょうど梅雨。
アジサイのところを見れば、カタツムリがうじゃうじゃいた。松本君は何とか殻を触って持ちあげてみたけど、ぬめりとした体にどうしても拒否反応が出たのね。
「うわーっ、気持ち悪ぃ」
そこまでならまあ、普通の反応。
だけど松本君は、焦るあまりに何をしたと思う?
カタツムを地面に落として、……足で踏みつけて、殻を割ったのよ。
松本君にとって不幸だったのが、それが仲間内じゃなくて、みんなが見ているところだったってこと。
他のクラスの生徒もいる下校時間ってことね。
みんな一瞬息を飲んだ。
そりゃまあ、田舎や御父さんたちが子供の世代って、トンボの羽根をむしったりカエルを爆発させたりって、ごく当たり前な遊びだったみたいだけど。
あたしたちの小学校って結構都会に近くて、やることといえばアリの頭と胴体を分離させるくらい。しかも、それだってふざけて仲間内でやるくらいで、わざわざ他の人たちに見せつけたりはしないわけよ。
でもね、下校時間の子たちだって、そんなのは無視してるはず。
「あの人なんかやだなあ」ぐらいで早足で帰って気にしなくなるくらいよね。
だけどどうしてか、松本君は引っ込みがつかなくなった。
自分が本当は虫に怯えているっていうのを悟られたくなかったんでしょうね。
彼はアジサイのところにいるカタツムリを見つけては、踏みつけて割っていった。
まるでこの遊びが面白いからやっているんだってばかりにね。
それは次第に登下校中だけにとどまらなくなった。学校の外でも発生しているカタツムリをわざわざ探しに行って、踏みつぶしはじめたの。
理由はわからない。
学校のアジサイからカタツムリが消えるころには、松本君に関わる子はいなくなった。
とんでもなく短い間だった。
それほどまでに執着が半端なかったの。
誰ももう松本君に関わろうとしなかったけど、彼はそんなことには一向に気が付かないで、カタツムリを割っていた。
あっという間に、アジサイについてたカタツムリはいなくなってしまった。代わりにできたのは殻を割られた可哀想なカタツムリの山。
カタツムリってね、あれただ貝を背負ってるだけじゃないのよ。
あの中にはちゃんと器官が存在してるの。だから、しばらくは動いてても、そのうちに死んでしまう。
ただの悪戯っ子だった松本君は、その事件を境に、なんだかおかしくなってしまったの。
やんちゃな子だったのに、猫背になってぶつぶつと何かつぶやきながらずっと何かを潰す仕草をしているような子になってしまった。……まあ、正直いって関わりたくないよね。
それだけじゃない。
異変に最初に気付いたのは、たまたま松本君の机に触った子だった。なにかネットリとした粘液のようなものが付着していたの。
「うわっ、なんだこれ?」
その時は慌てて手を洗いに行ったけども、その子はずっと手を気にしていた。やっぱり気持ち悪かったんでしょう。
それは、松本君の体から分泌されてるみたいだった。だって、松本君の周りだけじっとりと湿っていたからね。
松本君の猫背も治ることなく、どんどんひどくなって背中は弓なりになっていった。ノートルダムの鐘に出てくる醜い男みたいな、ああいう感じ。だけどそれよりももっとひどくなっていったと思う。ランドセルすら背負えなくなって、こんもりと何かを背負ったみたいになった。
そのころから、松本君は学校に来なくなって、ひっそりと引っ越していった。
噂によると、病院に入院したという話もある。
ただ、――ただ、一度だけ。
私が、彼の家で見たものがある。
学校に来なくなった最初の日に、プリントを持って行った時。
ほんとうに嫌だったけれど、私は彼の住む家へと向かった。チャイムを何度鳴らしても出てこなくて、五回か六回くらいにようやく扉が少しだけ開いた。
対応してくれたのはおばさん――松本君のお母さんだったんだけれど、憔悴しきってた。顔を見ただけで、疲れてるんだなってわかる顔。ぎょっとして後ずさってしまったけど、その時に不意に見てしまったのよ。
扉の中をね。
松本君は、何かぬちゃぬちゃいいながら、床の上を這うように移動していた。
辺りはバスタオルが散乱していて、その合間を縫うように這っていたの。
服はパンツしか穿いてなかったみたいで、背中にはバスタオルをかけられていた。その背中は……そう、巨大なコブでもあるみたいに盛り上がってた。
私がそれに気付いた瞬間、おばさんは勢いよく扉を閉めた。
すぐにガチャンという音も聞こえたから、鍵もかけられたんでしょうね。
あれは何だったのかよくわからないし、考えたくもない。
ただ、あれ以来私はカタツムリをどうにもできないのは事実ね。
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