怪ノ三十八 放置された花壇
花壇を綺麗にしましょう、と言いだしたのは、畠野先生だった。
畠野先生は今年から赴任してきた女の先生で、あたしたちの担任だった。年齢は四十代くらいで、だいたいあたしたちのお父さんお母さんと同じか、少し上って感じだ。
あたしたちは顔を見合わせた。
「あの、花壇ってどこのですか?」
そろそろと手をあげて質問する。
「運動場の奥の左手側にあるでしょう?」
その言葉に、あたしたちは黙りこんだ。
運動場奥の左手側にある花壇、というのは、何年も前から放置されていた。あたしたちが入学したころに完成したはずだ。コンセプトとしては、小学校が自然とは縁のないところにあるから、自然に近い環境を作ろう、と小さな渓流のようなものを作ったのだ。渓流といっても、岩が大きい方から順に並べられ、その合間を水が流れるというものだ。そしてその先に小さな花壇がある。
でも、はっきりいうと水が流れているところなんて見たことないし、果たして使われているのか誰も知らない。たぶんずっと流しておくには水がもったいないという理由なんだろう。岩場のところだって、休み時間にたまにタカオニやオニゴッコをするときに使うくらいだ。
それでなくとも、花壇一帯は人が近寄らない。
校舎から遠いというだけではない理由がそこにあった。
「私たちであの花壇を再生させましょう! みんなで種を植えて、一班から六班までが一週間交代でお世話をします。みんな、ちゃんとやってね!」
「勝手に植えていいんですか?」
大体、あそこはあたしたちのクラスのものだけじゃない。それなのに学年全体ではなくて、クラスだけで世話をするのもおかしな話だ。他の花壇だって、何も植えてないところもあるけれど、時期になれば他の学年の子たちがキュウリやトマトを栽培したりする。
ちょっとした疑問、のはずだったんだけれど、先生は質問をした子をキッと睨んだ。
「勝手にって、勝手にするはずないでしょう?」
急に機嫌が悪くなり、その子は慌てて黙り込む。けれどももう遅かった。先生はその後三十分にわたってあたしたちに怒鳴り散らしたのだ。
畠野先生はそういう人だった。
先生はクラス担任になって早々に、ヘラヘラしながら「ババァじゃん!」と言い放ったお調子者の男の子をどこかに連れていき、泣かせながら帰ってきた。
クラス全員の前で怒ることをしないだけいいけれど、みんなさすがに静まり返った。それは先生が怖かったというより、引いてしまったからだ。でもそれ以来、従わざるをえなくなった。畠野先生はいつもニコニコ笑っているけれど、その笑顔がなぜか怖い。
他の先生たちはどうかわからないけど、あたしたちは妙に気に入らなかったのだ。
とにかくダメなものはダメと極端に主張するタイプで、職員室でも幅を利かせはじめたらしい。
「ねえ、本当にやるのかなあ……」
「だって、やるって言ったら本当にやるよ、あの先生」
休み時間になってから、あたしたちはコソコソと噂する。
「俺さ、聞いちゃったんだけど」
「なに?」
「職員室に行った時にさ、他の先生と話してたんだ。あの花壇使いますって。他の先生たちは止めてたんだぜ。使わない所は使わないなりの理由があるんですって」
「……じゃあ、あの噂も本当なのかなあ」
あたしたちは憂鬱だった。
使わない所は使わないなりの理由がある。
あそこにはあたしたちの近づかない理由があった。
まず、日当たりが悪いこと。
運動場の隅っこは隣の建物と隣接していて、すこぶる暗い。隣の建物だってそれほど大きくはないけれど、やっぱり日陰になってしまうからだ。
だから、花壇なんて作ってもそもそも場所自体が悪かったのだ。
それから、もうひとつ。
「ああ、幽霊の話だろ?」
あそこは昔、大きな桜の木があった。
少し奥まったところにあるせいか、そこで首を吊る人が絶えなかったという噂だ。それも先生たちや生徒だけじゃなくて、全然関係ない人たちまで入ってきて首を吊ったらしく、そのせいで桜の木を撤去してしまったという話だ。
だからあそこで植物を育てると、男の人の怨念が根に絡みついて育たない……そういう怪談話だ。
花壇に作りかえられてからというもの、実際に植物が育たないからか、怪談話も信じている子が多い。
ほんとうのところは日当たりが悪いせいなのだろうけど、それなのに花壇を再生しようというのにも無理がある。
けれども反対しようという子はひとりもいなかった。
果敢にもそれを言いに行った子は、泣きながら帰ってきた。反抗でも屁理屈でも嫌がっているわけでもなく、ただ自然と植物が育たないだけなのに。
みんなどこか諦めたような表情で、一人だけウキウキと準備を進める畠野先生を見つめていた。
それから先生の指示で、あたしたちは種を植えた。
たぶん、数年ぶりだろう。
土を耕したり、肥料を入れたりしなくていいんだろうかと少し思ったけれど、誰も先生に逆らう子はいなかった。ちらりと種の名前を見ると、ヒマワリと書かれていた。
――こんなところで。
他のクラスの子たちは、あたしたちのことをなにか珍しいものを見るような――あるいは、どこか同情するような――目で見ていた。
一週間経っても、二週間経っても、芽はなかなか出てこなかった。
「水やりをサボッてるんじゃないでしょうね」
先生はそう言ってあたしたちを睨んだが、三週間目になってようやく芽が出てきたときには、そんなことどうでもよくなったというように機嫌がよくなった。
「ほら、私の指導が良かったのよ」
先生はそう言って、自分でも水やりに向かった。
雨が降るころには、光がまったくささないのにも関わらず、すくすくと育っていく植物は不気味だった。少しくらい背が短いくらいならまだわかるが、ヒマワリはどこかから光が当たっているかのように背を伸ばした。
あたしたちにはそれが不気味で仕方なかった。
「あのヒマワリ……私、あんま好きじゃないな」
「あたしもだよ。なんでだろうね」
「綺麗ではあるけど、僕もあんまり」
ヒマワリは好きだからいいか、と最初は言っていた子も、やがて近づかなくなった。
「なんでかわからないけど、あそこにいるとヒマワリから睨まれてるような気分になって……」
そのころには、他のクラスからも「あそこのヒマワリは不気味だ」という声があがっていた。
先生は憤慨して朝の朝礼で何か言おうとしたが、「ただの噂ですから」と校長先生に止められたらしく、その日は妙にピリピリとした空気がクラス中に漂った。
「最近、あの花壇を悪くいう子たちがたくさんいます! これはどういうことでしょうか? 私たちが再生した花壇を悪くいう子は覚悟してください。いいですね!」
あたしたちは何も言えなかった。
この空気から一刻も早く逃れたかった。
もう誰でもいいから、あのヒマワリを引っこ抜いてほしかった。
そんな風に学校の授業よりもヒマワリに執着する様子に、保護者からも疑問の声が出て来るのは、時間の問題だった。
その日、あたしたちが帰ったあとに、何人かの保護者が先生への抗議というか話し合いをするに至ったらしい。
あたしたちは何もないことを祈った。
結局のところ、お母さんやお父さんたちが何を言おうが、直接先生と関わり合いになるのはあたしたちなのだ。
余計なことをして刺激しないでほしいと思ったし、学校という場が憂鬱で仕方なかった。
その次の日のことだ。
朝の教室にやってきたのは、畠野先生ではなかった。
学年主任として偶に教室に来る先生が、荷物を持ってやってきたのだ。
「畠野先生がまだいらっしゃっていないので、今朝は僕が出席をとります」
「どうかしたんですか?」
「きみたちは心配しなくても大丈夫ですよ」
先生は宥めるように言って、出席をとった。
「えーっとそれじゃあ、一時間目は国語ということなので、このプリントをやってもらいます」
主任の先生はしばらくあたしたちを見ていてくれたが、慌ててやってきた他の先生に何かを言われて、真っ青になって出ていった。
畠野先生が見つかったらしい。
畠野先生は家でもなく、学校にいた。
あの花壇の真ん中、ヒマワリ畑の中で、あんぐりと口を開けたまま突っ立っていた。目線を土に向けて、頭をゆらゆらと左右に揺らしている。その様子はまるで、首に紐でもかけられて揺れてるみたいだった。
畠野先生が何を見たのか、それとも何かに憑かれてしまったのかは定かではない。先生はその後二度と教壇に立つことはなかったし、主任の先生があたしたちの担任を兼任するようになってからは、クラスの雰囲気は多少なりとも和らいだ。
唯一つ、あの花壇は手を入れるべきではなかったのだ。
それ以来、二度と使用されなくなったのは確かだ。
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