怪ノ三十七 棺の中には

 玉木沙織の葬儀は、自宅でひっそりと行われていた。

 けして大きくはない一軒家に、僅かばかりの人が集まっていた。誰しもが静まり返っている。家族葬でなく本当に一般葬なのだろうかと疑問に思うくらいだ。

 でも、ここまで隠れるようにしている理由はわかる。


 玉木の死因が自殺だったからだ。


 私だって来たくはなかった。それでも、クラス委員として、代表で行ってくれないか――なんて、先生にいわれてしまうと断れなかった。一応悲しむふりをしておけば学校も休めるし、それに欠席扱いにはしないでおいてくれるらしいからそこだけはありがたい。


 誰も何も言わなかったが、自殺だという噂はすぐに飛び交った。

 けれども、みんなほっとしたことだろう。

 玉木の存在は教室内の空気を悪くするだけだったからだ。


 なにしろ、まず喋らない。ちらちらと人の顔色を伺い、何か言ったかと思えばアワアワとどもりながら小さな声で何か言うだけ。

 足は遅いし、行動は遅いし、オロオロとするばかりで、やることなすこと間抜けだった。あいつのせいで、楽しいはずの教室はいつもどこかが欠けていた。

 おまけにこちらが注意をしようとすればシクシクと声もなく泣きだして、余計に教室の空気は悪くなる一方だった。


 玉木を無視しよう、と誰かが明確に言ったわけではない。ただみんなが玉木の存在を疎ましがっていた。それだけだ。

 みんな、玉木が死ぬことを望んでいた。

 だから、誰かが玉木の机に一輪挿しの花瓶と花を置いたときは本当に面白かった。それ以来みんな遠慮がなくなった。あいつの行動が素早くなるように、色々なものを隠した。耳が良くなるように、こそこそと話をした。ちゃんと喋れるように、いつも話しかけてあげた。

 それだけだ。


 私は小さな和室に通された。

 奥には祭壇があり、玉木の写真を中心にして、両側に花が添えられている。

 親戚らしきおじさんが沈痛な面持ちで座布団に座っているだけ。私はバカバカしい気分でいっぱいだった。なんでこんなところに来てしまったんだろう。見上げると、写真の中の玉木は笑っていた。何を笑ってるんだろう。玉木のくせに、本当にバカみたいだ。


「あのう」


 急に声をかけられ、私はぎょっとした。

 隣に喪服を着た四十代くらいのおばさんが座る。


「来てくれてありがとうね。沙織の顔、見ていってあげて」


 多分、玉木の母親だろう。目を赤くさせて潤ませている。

 私は、はあ、としか返事ができなかった。

 死体の顔など見ても気分が悪くなるだけだが、ここで拒否しても面倒なことになりそうだ。それに、ちゃんと玉木が死んでいることを確認しないといけない。

 母親に連れられ、祭壇に近づく。


「沙織、友達が来てくれたわよ」


 ――私は友達じゃありません。


 その言葉をぐっと飲みこみ、ごくりと喉を鳴らす。いいたくないというよりも、いざ死体を見るとなると、言いようのない恐怖と嫌悪感に襲われたからだ。この恐怖を共有できる誰かがいればよかった。私がクラスの代表に決まったときも、みな同情するだけで、ついて来ようという猛者はいなかったからだ。だいたい、この家の中でセーラー服を着ているのは私だけだ。本当に玉木は友達がいなかったんだと実感する。

 棺桶の顔のところの蓋が開けられる。

 見ないといけないんだろう。


 私はゆっくりと棺桶の中を覗きこんだ。


「えっ……?」


 途端に、思わず声に出てしまった。

 死体がない。


「生きてるみたいに綺麗でしょう?」


 生きてるというか、死体そのものがない。

 私は担がれているんだろうか?

 そろそろとおばさんの顔を確認するものの、その表情は変わらない。


 私はもう一度棺桶の中を覗きこんだ。

 あるのは白い布が敷かれているだけで、そこには何も無いではないか。


「あ、あの……」

「寝ているわけじゃないのよ、これで。本当に綺麗にしてもらって……」


 おばさんはハンカチを取り出し、涙を拭いた。私は何を言えばいいのかわからなくなってしまった。

 それともこれはドッキリなのだろうか?

 でもまさか、これだけの人がいて自分ひとりを騙しているだなんて想像もできない。


「来てくれて本当にありがとう。あの子のぶんも一緒に……」


 おばさんはそれだけ言うと、またハンカチを目に当てた。

 どうしていいかわからなくなり、私はひとまず頭を下げて席に戻った。

 スマホを取り出して何か気が紛れることはないかと色々とタップするが、どうにもそんな気にはなれなくて、何度も鞄にスマホをしまっては再びとりだす、ということを繰り返した。

 葬儀がはじまっても、何を言っているのか耳に入らなかった。

 葬儀は妙に人が少なかった。スーツ姿のおじさんが、


「引き続き、告別式になります」


 おじさんやおばさんたちが静かに涙を流している。


「さあ、あなたも」


 花を手渡され、再びあの棺桶の中を見ることになる。見間違いでもなんでもなく、何も入っていない棺桶の中に戸惑いながら花を入れようとした。

 その途端、急にドンッと背中を押された。


「な、なに? なんなの!」


 混乱する頭で振り返ろうとすると、今度は足を捕まれる。


「きゃっ!」


 体を持ちあげられ、そのまま棺桶の中へと押し込められた。

 木でできたそれにぶつかり、かすかな痛みが走る。私の体は無理やり仰向けに押し込められ、抵抗も虚しく棺桶の蓋を閉じられる。狭い中では腕を動かすこともままならない。


「開けて! 開けてよ! お願い開けて!」


 叫ぶと、蓋の窓からおばさんが顔を出した。表情はまったく変わらない。


「沙織はね」


 と、前置きのように言う。


「学校の先生たちには黙っていたけど、遺書を残していたの。私はあなたたちを許すことができないのよ。だから、沙織と一緒に――」

「やめて……おねがい、やめて」


 イジメていたのは私だけじゃない!

 私は悪くない!


「死んでちょうだいね」


 ぱたんと窓が閉められ、絶叫が棺桶の中に満ちた。

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