怪ノ三十四 七不思議その三・赤いボール
「それでは、次の話をお願いします」
真原かずさは、ちらりと隣に座った宇野真理亜を見た。
夕日で赤く染まった教室の黒板にちらりと目をやる。そこには綺麗な字で、「怖い話会」と書かれている。
その下に、この学校で経験した恐ろしい話を語りましょう――と続くが、望むと望まないとに関わらず、この会合の参加者は十二人。無理やり進行役を押し付けてしまった黒縁眼鏡の男子生徒を除いても十一人だ。
だから、一人ひとつずつ、のはずだ。
考えあぐねていると、進行役の男子生徒がついとかずさのほうを見た。
「どうかされましたか?」
たぶん先輩ではないだろうに、敬語で話しかけてくる。
全員の目線があがり、かずさに集中する。
「えっと、私の番なのはわかってるの。だけど、真理亜と……隣のこの子と一緒に体験したものだから、どうしようかなって」
「かずさちゃん」
「いいから」
こそこそと言い合う二人に、進行役の男子生徒が助け舟を出した。
「――前のお二人と同じなんですよね?」
かずさはぎくりとしつつも、うなずいた。
真理亜もぎこちなくうなずく。
「ええ、そう――です。私たちの話は、体育館の……七不思議……です」
すべて語る前に、誰ともなく息を飲んだ。
かずさは急に不安になる。
また、七不思議だ。この会合で前に話した二人が七不思議だったから偶然だろうと思ったが、偶然がそんなに続くものなのだろうか。
かずさは、大丈夫だと自分に言い聞かせた。だってここには、十二人の人間がいる。今ここで二人分をあわせても十一話語られることになるだろう。
七不思議にしては人数が多いのだ。
だから、大丈夫だ。
「わかりました。それなら、代表であなたが語るというのはどうでしょう」
かずさは真理亜を見た。
「……かずさちゃん、大丈夫?」
「大丈夫。……じゃあ、私が語るね」
かずさはいうと、再び前を向いた。申し訳なさそうな顔をしていた真理亜が、隣で少しうつむくのを感じていた。
――……。
私は、真原かずさ。
一年二組の生徒です。こっちは宇野真理亜。
私たちが一緒に体験した怖い話は、体育館の話――、……七不思議の、ひとつです。
この話は、バスケ部に代々伝わる話だそうです。一年生がはいってくると、いつも二年生がおどろおどろしく語るのが習わしになっているそうで……。お決まりのようなものらしくて、バスケ部の人間なら全員が知っていると思います。
もしかして、この中で知っている人は……、そうですか、いないんですね。
それじゃあ。ええと。
昔、バスケ部員に、Мという部員がいたそうです。
このМっていうのは、私が略したんじゃなくて、元からそう伝わってます。この理由は後で関わってくるので、後で話しますね。
当時のバスケ部というのは、今よりもずっと厳しくて、上下関係がきつかったそうです。
ここの学校って、一年生のうちに、絶対に一度は部活に入る必要がありますよね。それで、あとで辞めてもいいっていう感じの。そういう、「とりあえず入った組」の人たちって、入ってすぐ辞める時もあれば、そこそこ続いてく人もいるらしいって聞きました。だけど当時のバスケ部は、そういう人たちだけじゃない、本当に部活に入りたくて入った人たちも、次第についていけなくなったり、体や心を壊して辞めていったりすることが多かったそうです。
そんな中で、Mも、バスケ部に入りたくて入った一年生でした。
一人、また一人と辞めていくなか、Mはバスケ部に居続けました。朝早くから、先輩たちよりも早く学校に来て、部活の用意から始める。授業が終わったあとは遅くまで練習があって、一年生はその片付けもしないといけません。
特に、三年生は夏休みに最後の大会をひかえていたせいで、練習に熱が入っていたみたいですね。だから、一年生の指導にあたるのは二年生になります。だけど、その年の二年生は特別にひどかったみたいです。
もともと三年生からの指導もきつかったみたいで、二年生はそのストレスを一年生に向けていました。とにかくイジメみたいなしごきが日常的に続けられていたんです。
体育会系の部活だと、昔ならよくあったことだと思います。
だけどそれは、次第に暴力と遜色ないところまで続けられていきました。特に、真面目で、どんなに無茶な要求でも最後までこなそうとするMは、絶好の標的だったそうです。
何かと理由をつけて、一人で走らせたり、ボール拾いをさせたり、っていうのは毎日のことで、気に入らないことがあれば自分たちから練習から外しておいて、サボるなと言って蹴ったり……。
彼はMのつく名前でもあったんですけど、エムというあだ名でもあったんです。名前の由来は、そう、SとかMとかの、M。サディストとかマゾヒストとかいいますよね。そのMです。どれだけひどいしごきでも黙々と耐えるMのことを、先輩たちはそう呼んだんです。
真面目にやってる人を笑うって、なんか間違ってる気がするんですけどね……。
Mは授業中にも居眠りをするようになったりして、まだ一年生の最初だっていうのに、どんどん成績は落ちていったそうです。
それどころか、生傷も絶えなくなって、毎日随分ときつそうでした。
見かねた元部員の同級生が、「部活辞めるつもりはないのか?」って聞いても、Mは「僕がへぼかったりするのが悪いから」と言いました。「やりたくて入ったんだし、辞めるつもりはない」って。
だけど、夏休みが近づくにつれて、しごきは更にきつくなっていきました。
……そして、事件は起こったんです。
コートの真ん中くらいから、パスされたボールをドリブルしてゴールに入れる、っていう練習があるんですけど、体育のバスケの授業でやった人、いますか?
授業だと生徒が並んで交代でやりますよね。あれを一人で延々繰り返すっていう練習です。
先輩が複数人でボールを持って、決まったサイクルでボールを投げるので、それをうまく受け取ってやるんです。
Mは最後まで残らされて、一人でそれをやらされました。
へとへとになって、倒れると、先輩たちはすぐに彼を罵倒しました。
「何やってんだ! 早くやれ!」
ボールを投げ続けながら先輩たちは叫びました。Mはふらふらと立ち上がって、なんとかボールを手にしてゴールに入れ続けようとしました。でも、もう走っても間に会わないし、ボールも入らない。
とうとう、投げられたボールが当たった瞬間に倒れてしまったんです。
先輩たちは、そのままボールを投げ続けました。
「おら、立て!」
何度もボールを投げ続けられても、Mは倒れたままでした。呻き声をあげながら、投げられるボールを体で受け止め続けるしかありませんでした。
しまいには、先輩たちは何度も何度もボールを当て続けて、立ち上がらないMを蹴りあげ、リンチまがいのことまで始めました。
彼の頭は、ボールを受け続けて真っ赤になっていました。鼻血が飛び散り、服が次第に赤く染まっていきました。
さすがに先輩たちもまずいと思ったんでしょう。
彼をひっつかみ、ずるずるとコートから引きだし、壁に寄りかからせました。
「今日の練習は終わりだ。さっさと片付けておけよ」
そのうち目を覚ますだろうと思って、先輩たちは行ってしまいました。それでも、さすがに心配になったんでしょう。後からこっそりと体育館を見に行くと、Mの姿はまだそこにありました。体育館は同じままでした。
「おい、何やってんだ。さっさと片付けろよ」
何度小突いても彼はまったく動きませんでした。
「おい!」
強く揺さぶると、彼はそのままばたりと横に倒れました。目は見開いたままで、体は冷たくなっていたんです。
Mは――死んでいました。
先輩たちは真っ青になりました。だって、自分たちが殺してしまったんですから!
恐れ慄いた先輩たちは、すぐさまどうしようかと話し合いました。見つかったらただではすまないでしょう。部活の中のしごきじゃ説明できないんですから。
先輩たちは彼を着替えさせ、学校の隅に捨て置いたそうです。それから慎重に彼のサイフを取り、中身を抜きとっておきました。
不良からのリンチ――そういう風に見せたかったんだと思います。
翌日、学校は騒然としました。
学校で死者が出てしまった。じっさい、嫌疑は学校の不良たちにいきました。お金が抜きとられていましたからね。
警察がやってきて事情を聞かれていく人たち。もちろんバスケ部の人たちもその中に入っていました。だけど、最終的に何もかもがうやむやになってしまったそうです。
バスケ部の先輩たち、事情を知っている二年生たちは、絶対に言ってはならないこととして黙っていました。
その日からのことでした。
Mが、体育館に現れるようになったのは。
あるときは、一年生がいつものように夜遅く、ボールの片付けをしていたとき。
またあるときは、二年生が遅くまで残って練習していたとき。三年生のときもありました。ふと自分とは違うボールの音に気付いて振りかえると、コートの真ん中にMが立っていたそうです。
ぎょっとして見ていると、真っ赤に染まったボールをべちゃべちゃと音をさせながらドリブルして、そのままゴールに入れたそうです。
そうして、こっちを見てにぃっと笑うんだそうです。
彼を見たひとは、みんな部活を辞めてしまう。
ついに二年生のひとりが良心の呵責に耐えられなくなり、自分たちが殺したのだと白状しました。そこから、芋づる式にバスケ部のしごきが問題になり、一度は廃部にまで追いこまれました。
……これが、バスケ部に伝わっている七不思議です。
この話を聞いたあと、毎年何人かは体育館に確かめに行く人たちがいるそうです。二年生もそうだったし、その前の三年生の中にも、もちろん。
だけどその人たちはきまって、バスケ部を辞めてしまう……、そういう話でした。
問題はここからです。
そもそも、昔のこととはいえ、人ひとりが死ぬようなイジメがあったことを一年生に語ることなんてありえませんよね。少なくとも私たちはそう思ってたんです。
部活の交流というか、今はそんなのないよっていうか……、まあ、いわゆる嘘の話だと。
……その日、私たちは、偶々遅くまで学校に残ってました。
部活じゃないです。二人とも委員会が遅くなって、本当に偶然です。
委員会で決めることがたくさんある日って、だいたい決まってるらしくて。その日だけは、どこの部活もあんまり人が来ないらしいんです。
わかりますよね?
私たちもその話を聞いてたんですけど、まだやってるかな、ぐらいの気持ちで体育館まで行きました。
辺りはすっかり日が落ちて、夕日で真っ赤になっていました。
体育館に近づくと、ドンッ、ドンッ、というボールの跳ねる音が小さく聞こえてきていました。
ドリブルの音だってすぐにわかりました。真理亜と一緒に顔を見合わせました。たぶん、二人とも同じことを思っていたと思います。
まだやってるんだ、って。
部活に出るのはやめておくにしても、ちょっとぐらい顔を出したほうがいいかもしれないって話になって、私たちは体育館に急ぎました。
だけど、体育館の扉の前まで来ると、音は聞こえなくなっていたんです。
「あれ、さっきまで音がしてたよね」
「もう帰るのかな」
私たちは特に疑問に思うこともなく、扉を開けました。
誰もいないかと思ったんですけど、コートの真ん中に、ぽつんと一人、生徒が突っ立っていました。ボールを手にして、ゴールポストを見上げてるんです。
なんだ、一人やってるんじゃない、って。
「かずさ、なんか変じゃない……?」
真理亜がそう言ってくれたときに、気づけばよかった。
私は気付かなかったんです。
「なにが?」
私は気にせずに中に入っていきました。
相手が誰かわからなかったので、どう声をかけていいかわかりませんでしたけど。
「すいません、まだやってらっしゃるんですか?」
私は声をかけました。
そのとき、彼がまたドリブルをしはじめたんです。
――べちゃっ、べちゃ……。
そういう音がしていました。
私は思わずボールを凝視しました。赤い血が、体育館の床のボールの当たった場所に点々とついていました。
本当に恐ろしいときっていうのは、声も出ないものなんです。
真理亜が後ろから走ってきて、腕を掴んでくれました。
「だめっ、かずさちゃん、見ちゃだめ!」
今思うと――私はその時、逃げるべきでした。
情けないことに、腰が抜けてしまったんです。
「あ、あ……」
そんな声しか出ませんでした。
だって、そんなの――そんなの、信じられないじゃないですか!
「かずさちゃん!」
真理亜の声で、一瞬我に返りました。
でも、そのときでした。ぽーんとボールが転がってきて、私たちの前でバウンドしたそれが、にたにたと笑いました。
それはボールじゃなくて――真っ赤にそまった頭だったんです。
私たちは悲鳴をあげて、それで……。
――……。
「あとは……お二方と同じです」
かずさはおずおずと、前に話した二人を見た。
沈黙が辺りを支配している。
「ねえ……、あのあとどうしたか、覚えてる?」
かずさは真理亜に尋ねた。
じっと黙って聞いていた真理亜は、ぎくりとしたように顔をあげる。おずおずと口を開く。
「ボールは……というか、その頭が私たちに近づいて、当たったような気がします。そのあとの記憶は、ありません。……すいません」
「……私も同じです」
かずさは付け加え、進行役の彼を見る。
「わかりました。ありがとうございました……」
彼はゆっくりとうなずいた。
かずさは、真理亜が話さない事に誰か異議があるのではないかと思ったが、誰も何も言わなかった。
もしかすると、みなうすうす不安に思っているのかもしれない――かずさはそう感じた。この会合はもしかすると、人数に関わらず、全員が七不思議に関わっているのではないかと。
「それでは、次の方。――お願いします」
会合はまだ、続くのだ。
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