怪ノ三十三 壁の影(後)

「今日、これから手が空いてる奴!」


 新藤会長の唐突な発言に、手をあげたのは私だけだった。

 生徒会室には、会長である新藤先輩と、会計の私、それから書記の一年生が二人。副会長は休みだ。一年生二人はどちらも塾があるらしく、申し訳なさそうにしていた。ただ、私が手をあげたので、ややほっとしたような空気もある。


「そうか。それならこの後少し付き合ってくれないか? 一年生の二人はもう帰っていいから。」


 今日の生徒会は三十分たらずで終わっていた。会長は書記の一年生二人を先に帰らせると、その後の処理と簡単な雑務を終わらせたあと、私に向きなおった。


「それじゃあ、行こうか」

「は? ど、どこへですか?」


 まるで当然と言わんばかりの態度の会長に、私はわけもわからぬままついていくしかなかった。廊下に出ながら、私はもう一度同じことを尋ねる。


「先日あった旧校舎の荷物出しを覚えているか?」

「……はい。覚えてますけど」


 私のなかに、不気味な記憶がよみがえってきた。

 この高校の旧校舎は、もうすぐ取り壊される予定の巨大な物置だ。新校舎設立のときに少し改装したので、使わなくなった今も物置として利用されていたのだ。取り壊すにあたって、私たち生徒会が中の物を少しずつ移動させたり、破棄したりしてきた。


「そうだ。そして、ある部屋の掃除を境に、氷室が来なくなったな」


 私はずきずきとした頭痛を覚える。

 ある教室の中で見つけた、人のようなシミ。まるで両手をついて、べったりと壁に密着してこちら側を覗きこんでいるような人影。

 それは、人型をしているというだけでも不気味なのに、その頭と思しき部分には、目と口のようなものがあった。たまたまそこだけシミになっていないというだけなのだけれど、いくらなんでも限度がある。

 氷室先輩は、偶々そこに背中からぶつかってしまった。


「聞いたところによると、氷室はもう十日以上熱にうなされ、背中には奇妙なアザがあるという話だ。病院に行くのも拒んでいるらしい。いずれにせよ、彼女は生徒であり生徒会の一員だ。心労にしろ何にしろ一度見舞いに行かなければならないとは思っていた」

「はあ……、それで私も一緒に? というか、だったら最初から言ってくださいよ!」


 何もわからず連れ出されたこっちの身にもなってほしい。


「言えば拒否される可能性も考えた」


 私は絶句する。

 そりゃあ、ここまで重なると単なる偶然とも考えがたくなる。心配ではあるけれど、そら恐ろしくなる。おまけに、噂によると――。


「それに、あの壁のシミ。実際なくなっているらしいからな」


 考えられることはひとつ。

 氷室先輩は幽霊に憑かれている。

 だけどそんな非現実的なことがありえるのか、私の心は恐怖との間で揺れていた。

 悶々としながら、会長の後ろをついていく。結局、校門を出て、氷室先輩の家だという場所までついていってしまった。

 氷室先輩の家は一軒家で、外から見た感じ、特段変わったところはない。二階建てで小さな庭のある、少し古い家。庭は小さいながらも木が植えられている。ついつい物珍し気に眺めていると、二階の部屋の窓が目に入った。カーテンがひかれている。

 会長がチャイムを押して、中から出てきた親御さんに説明している間、私は何か得体の知れない不安を覚えてそわそわしてしまった。


「ええ、あの子……、何かおかしいのよ」


 彼女のお母さんも困惑していた。

 そんな彼女につれられて、二階の部屋へと通される。どうも落ち着かないが、他人の家だからというわけでもないだろう。そう感じてしまうほどには、私は緊張していた。

 ノックをして、部屋に通される。

 部屋の中はカーテンがひかれているのもあって、やや暗かった。部屋の中は綺麗に整っている。勉強机が隅にあって、開いていないノートパソコンが置いてある。本棚には本と一緒にCDやぬいぐるみが飾ってあり、随分と見た目にこだわっているらしい。そんな部屋の奥、窓辺にベッドがあり、布団が膨らんでいた。


「そうそう、変に思わないでね。背中が痛いって言い張って……ずっとあんな調子なの」


 そう言うと、お母さんはそっと部屋を出ていく。


「えっ?」


 私はどういうことかと、ベッドを見て、理由に気付いた。


「ひ、氷室先輩……」


 病人としては奇妙な寝方だ。

 風邪やインフルエンザで寝こんだ時って、うつ伏せになったりはしない。少なくとも私はしない。布団をすっぽりとかぶって、その隙間からじっとこっちを伺っている。

 学校に来ていた時のあの姿が嘘のようだ。病気になると元気がないのは確かだけど、病院にいないのが不思議なくらいだ。頬はこけ、熱にうなされるようにぶつぶつと何かを言っている。うまく聞きとれないけれども、来てくれたことに対してお礼を言っているのはなんとなくわかる。


「それで、氷室。どうしたんだ?」


 会長が単刀直入に尋ねた。硬直している私にかわり、布団の合間まで耳を近づけてなんとか聞きとろうとしている。


「会長……氷室先輩、なんて?」

「背中に憑かれたと言ってる。……布団をのけてくれとも」


 会長はそれだけ言うと、少しためらってから布団を掴んでのけた。

 ぎょっとしたが、それ以上にうつ伏せになった氷室先輩の寝方にもぞっとした。何しろ、貼りつくようなその体勢は、あのシミそっくりだったからだ。偶然なんだろうか。

 無言で会長を見る。

 このパジャマの下に壁のシミと同じものがあるのだろうか。氷室先輩は起き上がろうともぞもぞと動いた。それが、シミが動いているようにも見えるのだ。


「大丈夫なんですか?」


 私は慌てて彼女を寝かせようとした。怖かったからかもしれない。それに、熱で朦朧としているだろうに、わざわざ起き上がる必要なんてない。


「……せなかに……」

「え?」


 彼女はそう言うと、パジャマを掴んだ。下に着たキャミソールごとまくりあげる。

 私は会長の目を逸らせようとしたが、それ以上に呆気にとられた。


「嘘でしょう?」


 壁にあったシミとまったく同じ黒いアザが、先輩の背中に浮き出ている。まるで先輩の背中にしがみついているようだ。先輩が苦しそうに息をするごとに、アザも生きているように上下する。しかも、何か生臭いにおいが立ち上っている。いくらお風呂に入れないとしても、唐突にこんなにおいはしない。むしろ、腐った魚のようなにおいだ。

 胃の方から何かがこみあげてきて、思わず口をふさぐ。


「なんで、どうして」


 横を見ると、会長も無言のまま眉を顰めている。

 偶然にしては出来過ぎだ。カビにアレルギーがあるにしても、そのときはジャージを着ていたのだから、こんな風になるはずがない。

 アザの、腕と思しき部分がもぞもぞと動いた。


「ひっ」


 見間違いではなかった。会長もまた一歩下がる。


「せ、先輩、本当に――憑かれて――なんで? 背中を打ったからですか?」


 私は混乱のまま言った。

 ありえない。ありえない。だってこんなの――。


「……それだ!」


 会長が急にひらめいたように叫んだので、私はそっちの方に驚いてしまった。


「それだ、それでいこう」

「なん……なにをですか?」


 会長は言うが早いか、目の前で蠢いている背中のアザに向かって、あろうことか――そこに背中からダイブした。


「はああ?」


 思わず変な声が出る。ダイブというにはゆっくりだったけど、勢いでそう見えた。はっきりいうと、変な声も出るというものだ。

 何をしているのかさっぱりわからず、私の頭の中は途端にハテナマークで埋め尽くされる。

 会長はベッドに一旦座って立ち上がると、氷室先輩の服を戻し、布団を戻して、鞄を持った。あまりにも素早い行動に、私は会長の行動についていけなくなる。


「よし、これでいいぞ。氷室、これでいいはずだ!」

「はあ? なにが? なにがですか?」

「ようし、俺たちは学校に戻るぞ」

「待って、待ってください! 何がなんだかわかりません」


 私はすがりついたが、会長はずかずかと部屋を出ていく。仕方なくその後を追うと、会長は挨拶もそこそこに玄関を出て、まっすぐに来た道を戻り始める。


「なんですか? いったい何をしたんですか?」

「いいか? お前は適当な理由をでっちあげて、鍵を借りてくるんだ」

「どこのですか?」

「旧校舎だ! 鍵は借りてくるだけでいい、すぐに終わるから先生の手を煩わすことはないってな!」


 会長はそれだけ言うと、先に行ってしまう。足の早い会長の後をついて行くだけで精いっぱいだったが、学校に着く頃には息があがっていた。校門のところで門に手をついて腰を曲げている会長の姿が目に入る。


「だ、大丈夫ですか?」

「いいから」


 ぎょっとした。会長は息があがっているどころか、明らかに顔色は白く、吐く息は熱っぽい。私は泣きそうになった。

 これでは、先ほどの氷室先輩と同じではないか。

 会長とは正反対に、私の背中に冷たいものが走る。


「早く!」


 会長の声に促され、私は混乱しながらも職員室に走った。なんとか鍵を借りてきて旧校舎まで行くと、ふらふらと会長がやってきた。

 鍵を開け、件の教室まで潜入する。

 教室はあの日のままだった。片付けかけた跡があり、段ボールが数個積み上げられ、使っていた道具は隅の机の上できちんと整理されている。私はすぐさま、壁を確認した。いや、確認しようとした。


「……本当にここでしたよね?」


 影がなくなっているのだ。

 見間違いなどではない。

 あんなシミがなくなってたまるものか。だいたい、ここはもう取り壊す予定で、直す意味なんてない。むしろ直す必要もなくなって良かったねとか、そういう話だ。


「この辺だったよな……」


 会長は確認するように言った。

 絶句していた私は、固まったまま何も言えなかった。目頭に涙がたまりかけ、今にも叫びだしそうだった。

 けれども、会長にじっと見つめられ、ようやく頭を縦に振る。


「そうか……」


 会長は熱にうなされたように壁へ近づくと、思いきり背中をぶつけた。倒れたのかと思ったが、違うらしい。擦りつけるように背を動かすと、今度こそばったりと目の前に倒れた。


「か、会長。大丈夫ですか!」

「……大丈夫だ」

「い、いったい、どういうことなんですか。何をしたんですか?」

「……影は、氷室がぶつかることで憑いてきた。だったら、もう一度同じことをして元に戻してやればいい」


 一瞬、会長が何を言っているのかわからなかった。

 時間をかけてかみ砕き、会長の言っている意味をようやく理解する。

 メチャクチャではないか。


「そんなので本当にうまくいくんですか?」

「だって最初はここにいただろう!」


 会長は当然だと言わんばかりの反応をした。

 けれども、妙に納得してしまった。ぶつかったことで背中に移って――「背負って」しまったのなら、もう一度元に戻せばいい。単純ながら妙な説得力がある。そのうえ、会長があまりにも当たり前のことのように言うからだ。


「あの、ところで、熱は……」


 私の問いかけに、会長は答えなかった。

 会長はあろうことか、その場で気を失っていたのだ。


 ――。


 数日後、氷室先輩はおずおずと生徒会室までやってきた。


「御心配、おかけしました」

「うん、大丈夫だったか」


 会長はけろりとした顔で迎え入れた。


「たぶん、気にしすぎとか、アレルギーであんな風になったんじゃないかって今は思って――ああもう、ホント恥ずかしい!」


 顔を覆ってぶちまける氷室先輩。

 みんなはどこか困ったように笑っていた。

 だけど、私だけは引きつった笑い顔になっていたに違いない。

 一緒にいた私は知っている。

 あのあと、旧校舎のあの人影が再び姿を現したこと。会長は物凄い熱で丸一日寝こんだが、無事に登校しはじめたこと。


 会長は私のほうを見ると、にやりと笑った。

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