怪ノ十七 魔の横断歩道

 小学校から家に帰るまでには大通りがひとつある。

 片側三車線の結構大きな道路で、そこを挟んだ反対側に住宅地があるのだ。

 大通りには当然信号のついた横断歩道があるけれども、小学校に通う生徒はすぐ近くにある歩道橋を使わねばならなかった。もちろん安全のためというのもあるし、そこが通学路になっているので、たいていみんなそこを使う。

 行きも、帰りもだ。

 少し急いでいるからと横断歩道を使おうものなら、それを目撃したクラスメイトに「わ~、先生に言ってやろ」などと歩道橋からはやしたてられる。しかしそれも数年に一度あるかないかのことで、ランドセルを背負っていない時などは普通に使用されている。

 とはいえ、わざわざ遠回りになる歩道橋を使うのには理由がある。


「なんでみんな馬鹿真面目に歩道橋を使うんだろうなあ」

「そりゃ、五年生や六年生の人たちも歩道橋を使ってるからじゃない?」


 もちろんそれは集団登校だから、という理由もある。

 一年生から六年生までが、家の近い数人で固まってグループを作って登校する。それでも帰りはバラバラなのだから、歩道橋を使わなくてもいいはずなのだ。


「それもあるけど、魔の横断歩道って呼ばれてるんだよ、あそこ」

「なんだよ、それ?」

「ああ、木梨君は去年引っ越してきたんだっけ」


 魔の、などとつくと、事故が多いとかそういうことを想像する人が多い。峠なんかに行くと、見えにくいところにある急なカーブが「魔のカーブ」などと名付けられていることもある。

 だがそこはちがう。小学生たちだけが勝手にそう呼んでいる。


「お前ら、そんなん怖がってんの?」


 そうはいわれたものの、一応規則だから歩道橋を使っている子がほとんどだ。それに一年生の頃から集団登校があるわけだから、その頃から刷りこまれた認識は中々抜けない。

 一方、木梨君は転校前には大通りも渡っていたらしく、それほど抵抗はないようだった。


「大体、轢いたら車の責任になるんだぜ。俺たちの責任じゃねえし」


 いかにも子供という発言だ。だがこうまで自信満々に言いきられてしまうと、しぶしぶながらそうかなあ、などといわざるをえないのである。

 木梨君は急に走りだすと、階段を戻って横断歩道で並んだ。


「どうしたの?」

「ここ、渡る。こっちのほうが早いだろ!」


 ええっ、と女子がうろたえたが、こうなってしまうと誰にも止められない。女子はちらちらと気にしながらも、平然と赤信号で待っている木梨君をおいて歩道橋をのぼりはじめた。

 一番上までつくと、木梨君が歩道橋に向かって手を振っているのが見える。

 普段は先生を困らせてばかりの男子ですら、ようやく横断歩道で信号待ちをしている木梨君を、ここぞとばかりに悪者扱いしている。横断歩道の反対側には人がひとり立っていたが、特に気にする様子もない。

 やがて信号が青になり、木梨君は横断歩道を渡り始めた。

 歩道橋を渡る他学年の子たちは気にしていなかったり、関わりたくない風を装っている。同じクラスの子供たちだけが木梨君をはやしたてるなか、ふと横断歩道を見ていた全員が妙なことに気付いた。

 横断歩道の反対側から歩いてくる人影の歩き方が、妙なのである。足が悪いというふうでもなく、くにゃくにゃとした歩き方をしている。全身真っ黒で顔も見えず、何か無理やりに人の形を保とうとしているように見えるのだ。

 明らかに人間ではない――全員が凍りついた。


「木梨、やっぱ戻れっ!」


 木梨君はどこふく風で、そのまま歩き続けている。

 その場にいる全員が、他の子にも「そいつ」が見えているのだと直感した。

 声も虚しく、木梨君は真ん中で黒い人影と一緒になった。人影はおよそ人とは思えぬほど直角に首を傾ぎ、木梨君をじっとりと見つめていた。そいつの顔に目や鼻といったものはなく、木梨君の歩みにあわせて折り返し、連れだって残りを歩き始めた。何もかもが異様だった。人影はじっと木梨君を見つめていた――たぶん見つめていたのだと思う。

 歩道橋にいた何人かが、急いで階段を降り始めた。木梨君を引き戻すために。


 そこから、ドン――という、不吉な音が響くまでに時間はかからなかった。


 横から急に曲がってきた車が、木梨君を撥ね飛ばしたのである。悲鳴があがり、気の弱い男子などは口を抑えてえずいた。

 先ほどまで関わらないようにしていた下学年の子は、放心状態で泣きだしたり、きょろきょろとどうしていいかわからぬまま通りすぎたり。

 黒い人影はくにゃくにゃしながら地面に横たわった木梨君を見ていた。やけに長い黒い腕が、木梨君のランドセルを一、二度撫でたかと思うと、ようやく止まった車から慌てて男が飛びだしてきた。歩道橋の上から見るその光景は、映画かドラマのワンシーンのように現実味がなかった。そしてそのころには、あの黒い人影はもうそこから消え失せていたのである。


 事故死、ということになった。


 子供たちの人影に対する証言は完全に無視され、横断歩道は使わずに歩道橋を使いましょうという指導だけが徹底された。先生たちが何かを隠しているとかいう話が持ち上がったが、やがてそれも沈静化した。

 ――だが。

 今でも、あそこの横断歩道は、子供たちに「魔の横断歩道」と呼ばれている。

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