怪ノ十四 お化け傘
小学校の傘立てには、いつも黄色い傘が置いてある。
布のところに、太いペンで学校名と何年何組って書かれてるやつだ。生徒なら自由に使える傘だが、誰かが使っているところは見たことがなかった。せいぜい一年生が偶に使っているくらいで、たいていは自前の傘を持ってくる生徒がほとんどだったし、急に降ってきてもやんちゃな子供は雨の中を走って帰っていく。
前田が教師になってからも当然のように傘はあったが、やはり誰かが使っているところは見たことがなかった。
「お化け傘があるんだよ」
そんなことを言う子供もいたが、その子供も自前の傘を使っていたので、いつの間にか広がった怪談の類だろうと思っていた。
その日も、雨のことだった。
曇りだといっていた天気予報が大幅に外れたものの、みんなわかったもので、あらかじめ傘を持ってきていた生徒が大半だった。どうもテレビの中の人間より、常に洗濯物と戦う主婦のほうが天気を察知する能力が高いのではないか。
普通の傘でなくとも、最近は小学生でも折りたたみ傘を持っている。
「みんな、雨が降ってるから気を付けて帰れよ」
適当に促したが、タケシだけがぐずぐずと外を眺めていた。
どうやら家に傘を忘れてきたようで、下駄箱の入口でうろうろと彷徨っている。他の友人たちにもおいて行かれたらしい。残っているのは女子だけだが、さすがに女子の傘の中に入れてもらおうという男子はそうそういない。
「やまなさそうだなあ。学校の傘を持っていくか?」
「嫌だよ。それ使うんだったら、濡れて帰る」
前田は思わず笑った。
怪談があるとはいっても、本当のところは違うと前田は思っていた。単に、学校の傘を使うのは格好悪いのだ。前田も小学生の頃はそうだった。黄色一色で、先が丸くなったデザインの傘はどこか幼稚だ。おまけに小さくて、高学年になればなるほど子供用の小さな傘では体が入らない。それだけでなく、学校名とクラスの書かれた傘など使いづらいうえ、最近では不審者もいるから、難しいところなのだ。
それでも仕方ないときもある。
「ほら」
前田が傘を差し出すと、タケシはしぶしぶといった風に受け取った。学校名の書かれた傘は、やはりタケシには小さかった。だが、無いよりはマシだろう。
それに学校側としても、教師が見ていたにも関わらず傘無しで帰らせると、その家はよくてもまったくの他人が口を出してくることもある。最近はやりにくいものだと前田は思う。
時間が経てば経つほど、雨は勢力を増していった。教室で書類を片付けて鍵を閉め、職員室へと行く途中に、再び下駄箱の前を通りがかる。
すると、玄関のところに子供がひとり立っていた。
なんだ、まだ帰ってなかったのか。
後ろ姿には見覚えはなく、他にも残っていた生徒がいたのかもしれない。
「傘がないなら、学校のを使いなさい」
声をかけたが、その子供はじっと立ち竦んだまま動かなかった。ランドセルも背負っておらず、見回してもそれらしき物は見当たらない。
「どうかしたのか? 早く帰ったほうがいいぞ」
だらりと伸びた手が目に入る。
ふっと振り返った少年は、無言のまま前田を見上げた。
ひ、と小さな悲鳴を出しそうになる。そこにあるはずの顔はなく、ぽっかりと穴が開いたように真暗な闇があったのである。
次の日、タケシは学校を休んだ。
なかなか熱が下がらず、一週間もしたころには、タケシの親が連絡がてら借り物の傘を持ってきた。このまま熱が下がらなければ病院に入院させようかと思っている、と乾いた傘を先に返しにきたようだ。
だが、不思議なことにそれを境にタケシの熱はけろりと下がったのである。
それからというもの、前田はできるだけ自前の傘を持ってくるように指導するようになった。
誰も使っていない黄色い傘は、それでもまだ傘立てに置いてある。
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