怪ノ十二 七不思議その一・赤い鏡
「不本意ながら――それじゃあ、はじめようか」
黒縁眼鏡のブリッジを中指で押し、彼は言った。
不本意ながら、などと前置きしたのは、この奇妙な会合の進行役を押し付けられたからに他ならない。彼以外の十一人の人間は、みなそう思っていたし、じっさい彼もそう思っていた。
「最初の話は、先ほど決めたとおり。俺から見て右回り。それでよろしいですね?」
同意を求めるように、左隣にいた女生徒へと目を向ける。
ウェーブをつけ、茶髪に染めた髪をくるくると弄っていた彼女は、一瞬びくりと肩を跳ねさせた。だが、不安気ではあっても不満はなさそうだった。他の生徒もおおむね話を聞く体勢に入っていた。彼女はそんな周りの人間を一度見回すと、大きく息を吐いた。
「……あたしの名前は北野百合。二年三組の生徒よ。あたしの話は、この学校の七不思議のひとつ。鏡の話よ」
彼女はもう一度深呼吸をすると、窓の外の赤い夕焼けをちらりと見てから口を開いた。
――……。
あたしが鏡の話を知ったのは、本当に偶然。
そもそもあたしは学校の七不思議なんてものに興味なんてなかった。ただ、どうしようもなく毎日がつまらなかったのは本当ね。だから、暇が潰せるならなんでもいいやってカンジだったの。
それは二年になったくらいの頃よ。
「ねえ、この学校の七不思議でさ、鏡の話知ってる?」
「七不思議ィ?」
「そうそう。なんかさ、コワイ話っつーの? なんか不思議な話のこと、七不思議とかいうんだって」
同じクラスになったエリがその話をしてきた。
そのときは、ふーん、この学校にも七不思議なんてあるんだ、って思った。
思わず聞き返しちゃったけど、七不思議って言葉そのものは知ってたんだよね。小学生の頃に聞いたことあったから。つっても、小学校に七不思議があったわけじゃなくて、そういう怖い話のシリーズ本が図書館に新しく入ってさ。女子の間で流行ったんだよ。図書の時間があって、絶対に週に一度は図書館で何か借りないといけなかったからさ。
だけど説明もめんどくさいし、そのまま聞いてた。
「東棟の踊り場に鏡あんじゃん。夜中にさあ、あそこが真っ赤になってる時あるんだって。その時に覗くとさァ、なんかヤバイ事が起こるらしいよ」
ヤバイことってなんだよ、って感じだよね。
大体、夜中に学校に忍び込んでる時点でもそうだし、真っ赤になってるとかいう時点でだいぶヤバいじゃんね?
最初も言ったけどさ、あたしはそーいうのって興味なかったんだよね。七不思議って言葉もしばらく思いだせなかったくらいだし。
でも、なんでもよかった。本当になんでもよかったんだよ。夜の学校に潜んで何かやるっていうだけでぞくぞくしたんだよね。面白そうでさ。まあ怖いモノ見たさっていうの?
「何の話してんのー?」
ちょうどそこに男子の奴らが来たのは、まあ、本当に偶然っていうか、なんていうかさ。そういうのって男子のほうがノリやすいよね。あっという間に人数が集まった。最終的には五、六人かな。
特に、タダシって奴がエリを狙ってるのはバレバレだったからさー。
ある程度のとこまで時間潰して、んで、用務員さんが回る時間を見計らってトイレに隠れるんだよ。それでやり過ごして、
んでさ、その話があったのが確か午前中なのに。いざ行こうって時になって、こんな話がもちあがった。
「そうそう、俺さあ、あそこの鏡の怖い話、聞いてきたんだよ」
「うっそ。私も聞いてきたのに」
「マジで?」
みんなどんだけマジなの? と思ったよね。
つっても、肝試しするのに直前に怖い話するって、定番もいいとこだけどさ。
「昔、この学校でめっちゃ頭がいい女子がいたんだと。昔って、塾に行ける奴なんてほんの一握りだったんだけど、そういう女子だよ。で、そいつがある時遅くまで学校に残ってて、塾に遅れそうになった。教室は一番上の階だったから、急いで駆けおりた。いつもは廊下すら走らないような奴だったのに、だぜ。ところが、そうして走ったせいなんだろうな。途中で足首をくじいたんだ。なんとかバランスを保とうとしたんだけど……踊り場に到達した時に、近くにあった鏡に頭からぶつかった」
いやもう、思ったよね。既にめっちゃ怖いじゃん。って。
「辺りは血で真っ赤に染まった。それ以来、鏡には夜になるとその女子生徒が映るっていうんだ」
いったいどこからそんな噂拾ってくるのか知らないけど、もうドン引きだよね。だけどみんなそのときは浮かれてて、キャッキャしてたよ。
「えー? 私が聞いてきた話と違うなあ」
「ええっ? じゃあ、なんだよ?」
「私が聞いたのはー、忘れ物して学校に戻ったらー、鏡の前でイタイ、イタイって聞こえたっつー話だよ」
「それさあ、俺の聞いてきた話があった後の話じゃねえの」
「あれっ、そうなのかな?」
そんなことを話しながら、全員で移動してきた。もう辺りは電気も消されて真暗だった。よくよく見ると、誰もいない学校ですっごい不気味なんだよな。スマホの灯りもあるし、何人か固まってたから全然わからなかった。ふっと後ろを振り向いたら、めちゃくちゃ怖かったよ。
それにあんまり話してると先生たちに見つかると思ったから。
例の鏡の場所には問題なく着いた。この学校の生徒ならさ、たぶん知ってるんじゃない? 一度や二度は見たことくらいあると思う。でかいよね、あの鏡。あたしも百六十は越えてんだけど、それ以上あるし。
だけどさ、話の女子が血まみれだったなら、同じ鏡じゃないでしょ。たぶん、血まみれになるくらいだったら普通に割れてんじゃんね。だから、怖いと思いながらも余裕はあった。
「ここだ」
タダシがスマホで鏡を照らした。
「やだ、ちょっと、マジ怖いんだけど」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
タダシはまあ、エリしか眼中になかったよね。というか、そういうのを狙ってたんじゃないかな。だけどいつまで待っても、それらしいものはなかった。肝試しみたいに何か取ってこいってわけでもなかったし。
だけど、気圧されたっていうんだっけ、こういうの。
本当に怖かった。
雰囲気っていうのかな。
スマホの光を頼りに、真暗な中にあたしたちの姿だけが鏡に映りこんでて。誰か一人増えててもわからないんじゃないかって。
さっきまでのキャアキャアいうのが急におさまって、みんな黙りこくってた。
もしかして、誰か何か得体の知れないものを見てるんじゃないかって。おそらくみんながそう思ってた。
「なんかさ、すげー不気味だよね……」
誰も何も言わないのもどうかと思って、言ったんだけどさ。
結局、誰も何も答えてくれなかった。
だって、事実だったからね。
スマホの灯りがあって、自分以外にもちゃんと人がいるのに、妙に不気味なの。まだ初夏にも関わらず、じっとりとした嫌な汗が出てきた。どこからともなく吹いてくる風は生ぬるくて、汗ばんだ体を冷やしていく。
ぽたっと汗が落ちたときだ。
「ね、ねえ、もう帰ろうよお」
誰かがようやく言って、みんな我に返った。
「そ、そうだな」
「何もなかったよな……」
どうしてこんなに不安なのかわからない。でも、一刻も早くここから立ち去らないといけない気がした。
先生に見つかるとか、夜の学校が不気味だとか、そういうことじゃない。
恐怖を感じていたんだと思う。
我先に下の階に向かうみんなを見て、あたしは一度だけ鏡を見た。なんの変哲もない鏡だった。さっきまでのあれはなんだったんだろうって思うくらいにね。
「ユリ、行くよ」
「今行く」
適当に返事をして、もう一度鏡を振り返った、そのときだった。
……赤かったんだ。
鏡が。
めちゃくちゃ驚いたって、こういうこと言うんだよね。光が当たってるわけでもなく、本当に一瞬のうちに鏡が真っ赤に染まってた。
夕焼けが映ってるみたいだって言えば、わかる?
だいたい、暗い中で鏡なんか見てもよく見えないじゃん。いくら灯り持ってても。でも、そのときははっきりとわかるくらいに鏡が真っ赤だった。
エリたちの声が、だんだん遠ざかっていくのが聞こえた。でも、とても……すごく遠く感じた。ここからじゃ声なんか届かないんじゃないかってくらいに。助けてって言ってみんなを呼びたかったのに、ああいう時って本当に声が出ないんだな。
あたしの足はそこから動かなかった。
赤い、鏡が……目の前にある。
誰の言ってることが正しかったんだろうって、頭の中でぐるぐる回ってた。金縛りにあったみたいにそこから動けなかった。
けど、ようやく足が一歩、前に出た。
良かった、動けた。
もう一歩。
一歩……。
だけど、あたしはそこで妙なことに気付いた。
あたしが動いてるんじゃなくて、鏡の中のあたしが、段々と本当のあたしに近づいてるんだってことに。
鏡の中のあたしはスマホを持ってなかった。スカートの丈も長くて、髪の毛も茶髪じゃなくて、もっと黒に近い色。
こいつはあたしじゃない。あたしじゃない奴が映ってる。
段々と鏡の境界に近づいてくると、そいつは頭から血を流してることに気付いた。
笑ってたんだ。そいつは。
怯えるあたしを見ながらあたしに手を伸ばして……。
「きゃあああああーーッ!!」
血まみれの冷たい手の感触と、血まみれの笑い顔は今でもはっきり焼き付いてる。
あたしは覗いてはいけないものを覗いてしまったんだ。
奴があたしの……あたしの腕を掴んで……。
そうして気が付いたらあたしは……。
――……。
「……なァ、思うんだけどさ」
北野は顔をあげて全員を見回した。
無意識なのか、左腕のあたりを摩っている。
「こん中で、昔、鏡にぶつかって死んだーってヤツ、いる?」
誰も何も答えなかった。ひどくぶしつけで、人を馬鹿にしたような質問だっただろう。こんな状態でなければ。ただ、全員の中に不安が波紋のように広がった。男子は女子を疑うような目で見回し、女子はお互いを不安気に見回した。
唯一人、進行役を引き受けた彼だけがその光景を見ていたが、手を挙げる者はいなかった。
北野はしばらく様子を見て黙り込んでから、まるで自嘲でもするように肩を竦めて笑った。
「そうだよな。あたし、ここに来た時全員の顔見てまわったんだけどさ、どうも違うんだよ」
北野は背もたれに体を預け、足を組んだ。
「いねえんだよ、あたしを引っ張りこんだ奴は……」
セーラー服の左腕の部分をかすかにめくる。
そこには、指のあとのようなものが確かについていた。何者かにぐいと掴まれて引っ張られたような跡が。
「だとすると、あたしを引っ張りこんだ奴はいったい誰だったんだろうな」
遠いところを見るように、窓の外を見る。
相変わらず、外は赤い光があふれている。
「さ、これであたしの話は終わりだ。さっさと次にいってくれ」
どうしようもないとばかりに、北野は進行役に目を向けた。
彼は静かにうなずいた。
「ありがとうございました。……それじゃあ、次の話にいきましょう」
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