怪ノ十一 人食い桜
桜の季節になると、まことしやかにささやかれる噂話がある。
それは一時期の間に口々にささやかれ、そうしてまた聞かなくなったあと、一年後の同じ時期にまたざわざわとささやかれる。そうして新入生に伝播していくのだ。
その名も人食い桜。
うちの中学校は桜の名所だった。
通りすがる道沿いに植えられた桜は、ご近所に住む人々の格好の散歩ルートだ。
けれども問題はそこではない。金網の向こうからでは見えない、少し奥まったところにある桜が問題だった。そこは桜の植えられた一番端っこで、校舎から一番遠い。隣の建物の影になっている上に、野球用のバックネットの後ろ側になっているので、余計に暗い。
さて肝心の噂だが、どうにも要領をえないのである。
とにかく桜が人を喰うのだと、ただそれだけなのだ。
たとえば昔、ここの生徒がその怪異に遭遇したとか、桜が仲間を増やしてるとか、そういう詳しい事情が一切わからない。ただ恐ろしいから誰も近寄らないのである。
「どう思う?」
ちょうど友人が窓の外を眺めていたので、良い機会だとばかりに声をかけた。
彼女とは中学に入ってからの知り合いだ。うちの中学は、その周りにある三校の小学校の生徒が一緒になっているので、ほとんど知り合いはできない。中学側があまり一緒にならないようにしているのでは、という話まである。
人食い桜の話はそうした初対面の相手との恰好の話題だった。
じっさい、他の子たちがそうして話していることもあるのだ。
「どうって言われても、気になるなら行けばいいんじゃない?」
「それは、そうだけど」
桜の季節は短い。だから今のうちに近くに行ってみるのもいいかもしれない。
彼女はそう続けた。
「なんなら、今日の帰りに寄ってみる?」
彼女はニヤリと笑った。私が怖気づいたのに気付いているのだ。しかし、ここで拒否するのもどうにも怖いと思われているようで癪だった。
中学生にもなって、怖い話で一喜一憂しているなんて馬鹿みたいじゃないか。
「もちろん、行くわよ」
二つ返事だった。
勢いで返事をしてしまったことに、多少の後悔はしていた。だけども、今となってはもう後には戻れない。人食い桜の噂を確かめに、放課後にそこまで行くことになってしまった。
正直に言ってしまうと、不気味で仕方がなかった。
夕暮れ時の光に照らされた桜は感傷的ですらあったが、暗いところにひっそりと咲く人食い桜は、まるでその光景を不気味に睨みつけているようですらあった。
「人食い桜は本当にただの人食い桜だっていう噂らしいの。つまり、文脈的には『あそこに自動販売機がある』っていうのとほぼ同じなのよ」
彼女はそう言い、人食い桜を見上げた。
「……ただの名前ってこと?」
「さあ、どうかな。見てみる?」
彼女は場所を譲った。
人食い桜は目の前にそびえている。幹には大きなうろがあって、それがいっそう不気味さを醸し出していた。
「ほら、この辺りとか口にそっくりじゃない? だからこの桜は人食い桜なんだと思うの」
彼女が指さしたうろに近づいてみる。
なるほど、確かにぽっかりと開いたうろは口のようだし、結構な大きさの穴が開いているわりには、奥のほうが真暗で見えない。
「確かにそうかも」
わかってしまうと急に気が抜ける。
都市伝説でも学校の怪談でもなんでもないらしい。そもそも中学生といったって、小学校を卒業してまだ一か月も経っていないのだから、そういう人たちが流した噂話なのかもしれない。
私は姿勢を正し、息を吐いた。振り返る。
「ねえ、もう」
帰ろう、までいうことができなかった。
彼女の姿が見つからない。
「……あれ?」
さっきまでそこにいたのに。
きょろきょろと見回し、姿を探す。人食い桜が怪談じゃなかったから、もしかしたら私を脅かすつもりなのかもしれない。慎重に彼女の消えたところを見つめたが、それらしき影は近くに見当たらない。
どこにいるのやら、と目線だけで辺りを探ると、サッと人の気配があった気がした。うしろだ。私はニヤリと笑いながら、人食い桜の方を振り向いた。
「そっちに……」
いるの、とは言えなかった。
私の目の前で、人食い桜の穴が迫っていた。悲鳴をあげる暇もなく、どうすることもできずに私は暗闇に飲みこまれた。
翌日には、誰も人食い桜の話をしなくなった。桜が散り、みんな話題に飽きたのだ。
彼女が私のいるはずの席で生徒として授業を受けているのが見える。おそらく一年ぶりの学校生活を満喫しているのだろう。
たぶん私は、どうにかしてここから新たな犠牲者を呼びださねばならないのだ。だけども桜は来年までおあずけだ。
どうか来年も人食い桜の噂があるようにと願いながら。
どうして人食い桜と呼ばれているのか、わからないままに。
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