怪ノ九 足を引っ張る

 運動会には練習がつきものだ。

 なぜか、運動会は当日にいきなり行われるというイメージがあるのだが、実際のところは前日に入場口の確認やクラスの立ち位置などを確認する。体育の授業の時にも組体操なんかの練習をするし、たいていいきなりはい本番です、という風にはならない。

 けれども、ミサキたちの小学校では、みんなリレーの練習をするのだけは嫌がった。

 それというのも、恐ろしい話があったからだ。


 昔、この小学校にカケル君という、走るのが苦手な男の子がいた。

 当時三年生だったカケル君は特に運動会が憂鬱で仕方なかった。

 自分が一番、学年の中でも足が遅くて、みんなの邪魔になってしまうからだ。

 運動会のリレーの受け渡しの練習をしながら、みんながじとっとした目で見てくるのを、居心地悪く思っていた。

 カケル君は三番レーンの三番目だった。

 みんなの邪魔になっちゃいけない。がんばらなきゃ。そう思っていたのに。


「あっ」


 カケル君は転んでしまった。立ち上がる間に後ろから来ていた人たちにどんどんと追い抜かれ、立ち上がったあとも抜かれてしまった。結局最後にバトンを渡すころには、もう追い抜くこともできなくなっていた。

 もしこれが運動会の当日だったら……。


「カケルが転んだせいだぞ」

「明日は絶対転ばないでよ」

「ただでさえカケルは足が遅いんだから」

「まったく、カケルと同じクラスにならなきゃよかった」


 みんなの責める声が突き刺さる。


「ご、ごめんね。ぼく、がんばるから」


 それからカケル君は、みんなが帰ってしまったあとも、校庭でひとりで練習していた。

 何度転んでも走り続け、とうとう夕方になってしまった。最後にカケル君の姿を見たのは、用務員のおじさんだったそうだ。

 カケル君は校庭の三番レーンで倒れて死んでいる状態で見つかった。

 何度も何度も走り続けてマラソンのような負担を受けたカケル君の体に、限界がきてしまったのだ。

 それからというもの、三年生の練習中に、三番レーンで三番目にバトンを受け取る人は、必ずカケル君に足を掴まれてしまという。


 ――。

 先生は話を聞き終わったあと、ため息をついた。


「なるほど、それがしっかり動かない口実なのね?」


 先生は厳しい口調で言った。


「だけど、去年も三年生が一人、倒れたんだよ」


 クラスの誰かが抗議をするが、先生の態度は変わらなかった。


「そんなの偶然よ。転ぶことなんてよくあることよ。転ばないように気を付けて、フォームをしっかりとって走れば大丈夫。さ、早く位置につきなさい」


 先生に促されて、ミサキたちはしぶしぶ位置についた。やらなきゃいけないことはわかっている。何度かバトンの受け渡しのところだけの練習をしたあと、一度走ることになった。だけども、誰もが三番レーンの三番目をこわがっていた。特にミサキは、真っ青になっていた。


 ――わたし、三番レーンの三番目だ……。


「用意、スタート!」


 一人目がスタートする。

 二人目がすぐさまスタート位置にスタンバイして、一人目が近づいてきたあたりで腕を出して準備体勢に入った。練習は順調に進んだ。バトンを取り落としたり、苦慮する場面はあるものの、おおむね問題はなさそうだ。

 だけども、三年生にとって一番の問題は次だった。

 みんながミサキのことを気の毒そうな、同情的な目で見ているのがわかった。不安になりながら、ミサキは自分に言い聞かせた。


 ――大丈夫、大丈夫。ただの噂なんだから。


 前の走者が走ってきて、ミサキはバトンを受けて走りだした。誰もがミサキを目で追っていた。練習なのだからと軽く走る子もいる中で、もうすぐ隣のレーンの子を抜かせる、というときになって、彼女は急に足に衝撃を受けた。


「きゃあっ!」


 ミサキが転んだ瞬間、みんなの間に悲鳴が起こり、ざわざわと騒ぎが大きくなる。


「みんな、静かに!」


 先生がそう言ったけれども、中々立ち上がらないミサキに、先生と何人かのクラスの友達が心配そうにやってきた。


「大丈夫? どこかくじいた? ここは邪魔だから内側に入って」


 先生がミサキの体を抱きあげて、競技レーンの内側に入れてくれる。もう次の走者がやってきていて、目を見開いてこっちを見ているのがわかる。


「大丈夫……」


 ミサキは答えたが、みんなの表情は冴えなかった。


「誰か保健委員さん、いる? 向こうにいるなら呼んできてちょうだい。あとの子たちは練習に戻ってね」


 けれど、みんな目を見開いて、凍りついたようにその場から動かない。

 先生の声なんて耳に入っていないようだった。


「み、ミサキちゃん、その足……」


 誰かが震える声で言ったあと、悲鳴と混乱が同時に起こった。

 先生も今度こそ顔をゆがめて、どうしたらいいかわからないでいた。


 ミサキの足には何かが力強く掴んだような手の跡が、アザになってついていたからだ。

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