怪ノ八 身代わり

 私は毎年、正月になると、必ず日羽神宮にお参りにいくことにしている。

 子供の頃は単なる恒例行事のひとつに過ぎず、近所にあるでかい神社、というだけの印象だったのだが、だんだんとものがわかるようになると、全国的に知られた神社であるということがわかってきた。

 とはいえ、やっぱり子供の頃から近くにありすぎたせいか、急に印象が変わることはない。

 見どころといえばカラスの多さとニワトリがいるぐらい。


 恒例行事といえば、日羽神宮では毎年お守りを買い替え、それを通学鞄のどこかにくっつけていた。小学校の頃はランドセルに、中学の頃は指定のボストンバッグに、高校に入ってからも同じく。有名所の物であるせいか、それほど奇異に見られることはなかった。そんなものつけてるの、といわれても、日羽神宮のものだと言えばすぐさま納得された。

 それにも特に理由があったわけではない。

 特に信心深いわけでもなく、ただ単に親が「一年ごとにお参りしたときに替えるのがいい」といったのでそうしていたぐらいだ。


 つまりは私と日羽神宮の関係というのはその程度のものなのだ。

 それでも、私は日羽神宮とは切っては切れない関係にある。


 それは高校二年の初夏のことだった。

 偶然によって、私の帰りは普段よりも遅くなった。

 その日は元から委員会の会議もあって遅くなったのだが、用事のある先生が職員室におらず、教えられた場所にもいなかったとか、その間に別の用事で捕まってしまったとか、そういうことの小さな積み重ねだ。

 帰ろうとしたときにはすっかり日は沈みかけて、校舎の中に生徒は誰も残っていなかった。窓から入るオレンジ色の光に目を細める。

 そもそもこの日は朝からツイていなかったのだ。

 目覚まし時計の電池が夜中のうちに切れ、数学のノートが無く、しぶしぶ購買で買ったら机の奥底から発見された。理科室に移動するときに足を踏み外し、とにかく細かいところを数えればきりがない。


 ――早く帰らないと。


 ため息をつき、廊下を突っ切って階段を降りていく。

 踊り場の窓から外を見ると、外にももう誰もいなかった。

 くるりと回って下の階へと降りていく。

 二階へ降りて、そしてもう一度踊り場を通って一階へ。


「あれ?」


 思わず辺りを見回した。

 自分のいたところは三階だったはず。だから、二度踊り場を通りすぎれば一階に到着するはずだ。それなのに、なぜかまだ階段は続いている。


 ――四階だったっけ?


 校舎は四階建てなので、それ以上にはない。だからもう一階下に降りれば下駄箱のあるところまで行けるのに。

 自分が忘れていただけかと思って、もう一度階段を降りていった。

 そういえば、四時からの再放送のドラマ、見逃したなあ。まあ、本放送でも見てたから、一度くらい見逃したところでどうってこともないんだけど。そんなことを考えながら階段を降りる。一階についたと思って顔をあげたところで、異変に気付いた。


 ――なに?


 急にぞっとする。

 まだ階段が続いているのだ。

 いくらなんでもこれはない。それに、どれだけ校舎が同じようなつくりになっていたからといって、二階と三階くらいの区別はつく。階段前にある手洗い場の違いだとか、すぐ近くにある掲示物の違いとか。

 それなのに、ここには今それらしいものが何もない。どこにいるのかすらわからない。急に何かこみあげてくるものがあり、急いで階段を駆け下りた。

 だが下は変わらなかった。先ほどと同じ、どこの階なのかよくわからない景色があるだけだ。思わず廊下を見回したが、誰もいない。右にも左にも、同じような廊下がどこまでも伸びている。

 おかしい。何かが明らかにおかしい。階段の上を思わず見上げたが、無音のままどこまでも続いている。

 誰もいないし、何も響いてこない。自分が階段を駆け下りる音だけが耳に入ってくる。

 なぜか一階に辿り着かない。

 もう何度も階段を駆け下りているのに。私の足はガタガタと震え出し、手すりにカチカチと爪が当たった。


 誰か。誰か。誰か。

 果たして誰かに助けを求めたとして、それは人間なのだろうか?


 そんな奇妙な考えがわいてくるのも、この非現実的なできごとのせいだ。

 それでも――ありえないことではないのではないか。

 もはや歩くこともおぼつかなくなり、倒れ込むようにして踊り場に膝をついた、その時だった。 

 ブチン、と近くから小さな音がして、思わずびくりと肩が跳ねた。

 はっと気が付いたとき、下の階に見覚えのあるピンク色が落ちていった。

 その周囲は、ちょうど一階の景色が見えている。

 慎重に降りて確かめると、いったいどうして今まで降りられなかったのかと思うほど、あっさりと一階に行けた。

 床には、私の鞄から転がり落ちたお守りが転がっていた。下駄箱から外を眺めると、急に音を取り戻したように、カア、カア、とカラスの声が響いていた。

 そこからどうやって家に帰ったのか、あまり覚えていない。

 ただ、手にじっと握られたお守りは、クシャリと潰れてしまっていた。


 ――後日談、になるかはわからないが。


「あんた、なんかあったと?」


 家に帰ったとき、出迎えてくれたばあちゃんが訝し気に聞いたので、適当にお守りが取れてしまったとだけ答えた。


「ほうか。ばあちゃんが直してやるからちょっと待っとき」


 こうしてお守りはばあちゃんに持ち去られた。しかしその後日、ばあちゃんは古いお守りは神宮においてきたと、これまた意外なことを言いだした。そうして、「身代わりになってもらったで、新しいのをもらってきた」とお守りをもらった。まったく同じピンク色のものだった。

 身代わり。

 そうか、あのお守りは私の身代わりになったのかとぼんやり思った。


 うちは特別神道を信仰しているというわけでもない。

 けれども不思議なことはあるのだ。ぜったいに。

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