怪ノ五 元墓場
「どうして学校ってのは、元墓場だったって話があるんだろうなあ」
この春から近所の小学校に赴任した弟が、そんな風にぼやくので笑ってしまった。
なんでも担任になったクラスの生徒たちが、そんなことを言ってくるのだという。弟がホラー嫌いなのは家族くらいしか知らないので、それを肌で感じ取ったであろう小学生たちの感覚は鋭敏だといわざるをえない。
自分たちの出身の小学校だからか、緊張と懐かしさを半分ずつ持っていったのだろう。だが校舎は同じでも子供たちは当然違う。弟は単なるタチの悪い噂話だとおもっているようだが、私は少しだけ悪戯心が湧いてきた。
「でも、実際そうだったんだから仕方ないじゃない」
「えっ?」
弟の顔色が怪しくなった。
「冗談だろ?」
「そういう所もあるっていう話ね。理由は広さもあるだろうけど……、一番の理由は土地の価格かしら。それに、そういう場所に団地やマンションを建てても、ちょっと敬遠するでしょう?」
「それは……まあ、そうだけど」
「そんな顔しないでよ。実際に幽霊が出るなんて稀もいいとこでしょ。ああでも、こういう話があったわね」
弟の顔が凍りついている間に、私はさっさと思い出話を聞かせることにした。
学校が元墓地だったという話は、そこでは七不思議のひとつだった。
もちろん信じている子もいたが、特に興味のない子供にとっては、しょせん七不思議のひとつ。
しかし、それというのも校庭に幽霊が出るという話があったからだ。
ある時、夜の見回りで学校に泊まりこんでいた先生がいた。ずっと昔には宿直という習慣があって、夜中に先生たちの一人が学校に泊まりこみ、校舎に誰か忍び込んでいないか、何かおかしなところはないか見回るのだ。
この学校には、西崎という先生がいた。西崎先生は責任感の強い人で、みんなが敬遠しがちな宿直にも文句ひとつ言うこともなくこなした。
そりゃまあ、大人とはいえやっぱり夜の学校は不気味には違いなかったけど、西崎先生は幽霊なんかよりも泥棒のほうが大変だと思ってたから。
その日も、西崎先生の宿直の番がやってきた。
いつものように宿直室に入る。その日は暑い夏のことで、クーラーもなかったから、扇風機だけでしのいでいた。
するうちに、やがて見回りの時間がやってきた。
一階から三階まで順に、夜な学校の中を巡回していく。一度目の巡回はあっという間に過ぎて、足早に明るい宿直室まで戻ってきた。
――このぶんだと、なんとか無事に終えられそうだ。
それでも油断はできない。次の巡回がくるまで布団に入りこんで、仮眠をとっておく。だけど、緊張感があったんでしょうね。起きた時には、二時をまわっていた。
まずい。少し寝すぎたかもしれない。あまり遅くなってしまっても明日の授業に差し支える。西崎先生は慌てて懐中電灯を手にすると、急いでスリッパを履いて宿直室を飛びだした。
どことなく早足になりながらも、慎重に校舎の中を歩いていった。
丑三つ時に行かなきゃいけないなんて、信心深い人だったら恐ろしくてたまらないでしょう。西崎先生も、どことなく薄気味悪い学校の中を歩いていった。そうして一階の見回りを終えたころ、ふと校庭に目を向けると、スッと動く影が見えた。
「なんだっ?」
先生は懐中電灯を向けたが、特に何かが動いているわけじゃない。
おかしいな、目の錯覚か?
夜中だから目もかすんでいるのだろうか……。それとも寝ぼけたのか? 首を傾げながらも、また教室を見回っていく。二階の廊下は何事もなく見回り、三階へと進む。誰もいない教室をひとつひとつチェックして進んでいく。反対側の階段から下に降りようと、踊り場の窓から校庭に目を向けた。
先生は、あッと声を出した。
校庭の真ん中でじっと立ち竦んでいる人影が見えたからだ。
やっぱり誰かいる。
いずれにしろ放ってはおけないと、先生は急いで階段を駆け下りた。ちらりともう一つ下の踊り場から外を見ると、まだ人影はいる。
今度こそ逃がすわけにはいかない。
「誰だっ!」
先生は語気を強めて、校庭に向かった。
だけど、校庭にはもう誰もいなかった。おかしいな、それでも隠れられるような場所はないはず。懐中電灯で辺りを照らしても誰もいない。
いぶかしみながらも、宿直室に戻ろうと振り返る。
「うわっ!」
先生のすぐ近くに、青白い顔をした人影が立っていた。
白い着物を着て、まるで死人のような顔で突っ立っている人影をね。
先生も思わず息がつまるほど驚いた。
「いったいこんなところで何を……」
言いかけた時、先生ははっと気づいたの。
先生の周りにいるのはその人ひとりじゃない。何十人、何百人もの人影が、先生をじッと見つめていた。みな一様に白い着物で、うらめしそうな顔をして。
先生の絶叫が響く。
それを合図に、何十人もの手が、先生に向けられた……。
……翌朝、先生は校庭の真ん中で倒れている姿で発見された。
だけどももう息はなかった。恐怖にひきつった表情は見るもおぞましく、そこはちょうど、かつての墓場のあった真ん中にあたる場所だった……。
……そういう七不思議だ。
話し終えてしばらくしても、弟は顔を引きつらせていた。
「うわぁ……」
やがて子供みたいな声を出すと、ようやく息を深く吐いた。
「何よ、単なる七不思議の話でしょ」
「まあ、そうだけど」
居心地が悪そうだ。
「そもそも、宿直って行為自体がもう昔の話なのよ」
色々と理由はあったようだが、お酒を持ちこんだり、生徒が泊まりこんだり、そういうのが問題になったらしい。今は宿直自体が廃止されて、警備会社に一任するのが普通のようだ。
「そ、そうだよな。俺も宿直なんて単語くらいしか知らないし」
「でも、子供は単純なのよ。とっくに廃止されてるのに、いまだに学校のどこかには宿直室があると信じ込んでいる子供もいつまでもいるものよ」
「そうなのか?」
「そう。ある女の子なんて、その話を聞いて学校までこっそり行ったのよ。宿直の先生に見つからないように、本当にこっそり。でも、あまり遅いと今度は親にどやされるし、かといって見に行く時間が早かったんでしょうね。偶々校庭にいた先生に見つかって」
「帰された?」
「そう」
へえ、と弟はうなずいた。
「はー、もう姉ちゃんはなんでそう……。でも、そういうことをしそうなのは男の子みたいなイメージだったけどなあ。女の子なんだな」
「そこなの?」
私は笑ってやった。
女の子だってそういうことはするのよ。
弟はああやだやだ、といいながら、席を外す。
「どこ行くの?」
「ちょっと……トイレ」
私はこんどこそ噴きだしそうだったけれど、その背中を見ながら呟いた。
「覚えてないのね……」
まあ、弟はその時、幼稚園児だったから仕方ないか。
――その先生はどんな人だったの。
私の告げたその特徴は、当時赴任していた先生の誰とも一致しなかった。すわ不審者かと色めきだったあと、その特徴が他ならぬ西崎先生とそっくりだと気付いたときの、周りの大人たち――特に古くから学校にいるような人たちは、みな一様に青ざめた。
そりゃそうだ。
子供たちの間で名前は有名でも、どんな顔なのかまではさっぱりわからないんだから。
西崎先生は今もまだそこにいて、終わらない宿直の見回りをしているのだ。
私たちの学校で。
うちの小学校が元墓場で、今も幽霊が出るという話は――ある意味では事実なのだ。
私はその事実だけは胸にしまいこみ、あとで弟を近所の神社にでも誘おうと決めた。
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