怪ノ四 理科室
理科室なんていうとさあ、小学校の頃の怪談を思いださないか?
一つや二つくらいはあったはずだろう?
何しろ理科室そのものが不気味なんだからな。
中学の頃は不思議とそういう話は全然聞かなかったから、あれはやっぱり小学校特有のものなのかな。
でもさ、こんな話もあるんだぜ。
俺のところの小学校にあったのは、理科室の骨格標本が動くって話だった。
記憶にある限り、授業の中じゃ骨格標本も人体模型も使わなかったから、なんでそんな噂出てきたのか、むしろそっちのほうが不思議だったぜ。
授業じゃ使わないのに動くと噂される骨格標本――なんてな?
まあとにかく、夜中に骨格標本が動くっていうのが、その、なんだ、七不思議の一つってヤツだった。それ以上は全然わかんねえんだけど。
要するにさ、どこにでもある話なんだよ。
そもそも全国の小学校で理科室の標本が動かない小学校があるのかってくらい噂されてる。それくらいメジャーな話だった。
だけど、その夏は違ったんだ。
それは、7月のはじめ頃だった。
そいつの名前は橋本といった。四十代くらいの、まあスーツ着こんだ普通のオッサンを想像してくれればいい。こいつは近所ではよく知られた泥棒だった。っていっても顔が割れたりしてた奴じゃなくて、捕まったあとに近辺で起こってた空き巣の犯人だったのがわかったってことなんだけど。
どこそこの家は何人家族で、何時に家を空けるだの、いつごろ旅行に行くだの調べ上げて、そういう隙を狙ってたんだ。
でまあ、そういう調査の過程で、近所の奥様方の会話を盗み聞きしたりもしてたらしいんだけど。
ある時、小学生の子供を持ってる集団が、給食費がどうとか修学旅行の代金がどうとかって話を小耳に挟んだんだな。今は引き落としになってるけど、当時は給食費を子供が封筒に持っていく方式だったんだよ。
一人ひとりなら数千円でも、それが学校全体になっていくとかなりの額になる。小学校にはそういう金が保管されてることを、橋本は知ったんだ。
子供からするとさ、持ってる間は慎重になるけど、学校側に渡しちまった時点で安心するんだよな。だからピンと来なかったんだけど、やっぱりその後のほうが大変なんだろう。
とにかく、橋本はそれで小学校に狙いを定めた。学校側もまだ警備会社に入ってないところが多くて、あれよあれよという間に盗みが成功してしまった。
そこから橋本は、時折小学校にも盗みに入るようになったんだ。小学校に四十代のオッサンっていうのも怪しいけど、外から見れば教師だか保護者だかわかんねえからなあ。
もちろん下調べもちゃんとしたらしい。できるだけ監視カメラのないところだとか、夜は鍵がかかってるから、どこから入ればいいかだとか。三件目あたりになると、どこに気を付けるべきかとかすぐにわかってたらしいぜ。そのへんやっぱプロだったんだろう。
何しろうちの小学校も古かったから、窓の鍵もスッカスカになってるところが結構あった。鍵の取っ手を上にあげても、ちょっと振動を与えると下がっちまうようなやつだよ。
特に、誰が見てもダメだこりゃって場所が一つあった。
そう。
理科室だ。
俺の小学校は二階に体育館があったんだけど、その下の部分に理科室や美術室みたいな特殊教室が集中してたんだ。普段は使わないところだから、廊下も節約のために電気がついてなくて、ちょっと暗くて不気味だった。手前側にある保健室ぐらいしか明るいところがなかった。雨の日なんかはそこだけ夜みたいだったぜ。
橋本はそこを見つけたんだ。
工具があれば、中から鍵のかかった扉を開けることも簡単だった。一度中に入っちまえば、無人の学校じゃ監視カメラに気を付けさえすれば後は自由だ。といっても、もし外から扉が開いているところが見えてしまうから、ちゃんと扉だけは閉めてな。
職員室への道順は、すっかり頭の中に入ってた。既にインターネットも随分浸透してたから、ホームページでフロア内の配置がわかるようになってたしな。橋本は難なく職員室へと忍びこむと、金庫を物色して中に保管してある金をまんまとせしめた。笑いそうになる顔を抑えて、素早く振り返る。
光の入らない窓。
静まり返った職員室。
誰もいない廊下。
――相変わらず薄気味悪いな。
夜の小学校が気味が悪い、っていうのは、誰の心の中にもしみ付いているのかもしれないな。
夜の学校に行く機会なんてほとんどないし、にぎやかな印象だから、誰もいない校舎っていうのは昼間でもやっぱり変な気分になるんだ。何度か忍び込んだとはいえ、橋本もそうだったんだろう。蒸し暑い夏の空気に、じわりと妙な汗が流れる。足早に職員室を出ると、来た道を戻っていった。
別のルートを使ってもいいだろうが、あまり変な所に出ると見つかる可能性もある。
誰もいない廊下を、足音を殺して戻る。
そのときだった。
不意に、廊下の真ん中に誰かが立っているのが見えたんだ。
橋本は慌てた。守衛や、警備会社の人間が見回りをしているのかもしれない。すぐさま物陰に隠れて様子をうかがう。
――なんだ、誰だ?
しばらく見ていたが、相手は橋本に気付くどころか、辺りを見回したりするような仕草もしない。子供でもないようだ。不審に思った橋本は目を凝らし、意を決して懐中電灯で照らした。
橋本は一瞬、心臓が止まるほど驚いた。
その相手は生きてすらいなかったんだからな。
なんと、骨格標本が廊下の真ん中でじっと立ち竦んでいるじゃないか。
――おどかしやがって!
だがそうなると、今度は別の懸念が生じる。
いったい誰がそんなところに骨格標本を移動させたのか。
理科室の灯りは見えず、誰かが入りこんだとも思えない。そもそも廊下が暗かったら、灯りのついた教室ってなとても目立つからな。
もしかすると、自分の知らないところで肝試しやら何やら、イベントをしているのかもしれない。大体、骨格標本が動くわけなんてない。どちらにしろさっさと出て行かなければ、面倒なことになる。
橋本は辺りを見回して、廊下の隅を素早く移動した。骨格標本の突っ立っている横を、ごくりと喉を鳴らして通りすぎる。
……。
振り返っても、何もない。
思わず息を吐きだした。だが、理科室に入ろうとしたとき、その息が止まった。
理科室が開いてたんだ。
やっぱり誰かいるのか。
橋本は背後から強烈な視線を感じていた。その人物は橋本に話しかけるでもなく、追いかけてくるでもなく、そこに突っ立っている……。
差し出した片手が震え、背中を冷たい汗が流れていく。夏にしても妙に生暖かい風が、どこからか流れてくる。
小学生の頃に感じた、夜の学校に対する根源的な恐怖が湧き上がってくる。
それらすべてを振り払うように、橋本は振り返った。
「うわああああ!」
廊下には橋本の悲鳴が木霊した。
そのころ、警備会社には侵入者の存在を告げるブザーが鳴り響いていた。
小学校を狙った犯行は既に警察の中でも取りざたされていて、それぞれ警備を頼んでいる会社には気を付けるようにとお達しが来ていたんだ。それで、警備会社の人間は一目散に学校にすっ飛んでいったらしい。
どこに犯人がいるかわからない。用心に用心を重ねて、廊下を懐中電灯一本で確認していく。
すると……。
――うう、うう、助けてくれ、助けてくれ……。
特殊教室の並んだ廊下から聞こえてくる声に、警備員は何事かと思ったらしいよ。
急いで懐中電灯を向けた先には、橋本が床に倒れていた。
だけど、その姿は異様なものだった。
橋本は、骨格標本と絡まっていたんだ。
その骨ばった手は橋本の口元と目を後ろから覆うように絡みつき、肋骨は橋本の体を抱きこんでいた。いくらなんでもどんな特殊な趣味の持ち主だって、一人でこんなことをするのは無理だろう。
その上、ドクロは……橋本の喉元に噛みついていた。
まるで、骨格標本に食われかけたような――そんな異様な姿だったんだ。
そこからだ。
俺の小学校では、理科室の骨格標本は本当に動くとか、学校の警備をしているという噂も追加されたよ。実際のところは緘口令が敷かれてたけど、やっぱりどこからともなく漏れるものさ。
……ま、年数が経つにつれて、噂も色々変わってその泥棒は死んだことになってるみたいだけど。
今はまだ刑務所に入ってるらしいが、出てこれたとして無事に過ごせるのかね。
それに、本当に学校を護っているのかは、誰にもわからねえからな。
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