5氷がひとつ浮かぶお冷



 盛土のふもとには、園芸売場では絶対に見ることのできない植物が生えている。

 草に呑まれるように横たわる電柱がちらりと見えた。それは錆びて伸びきった押しバネのような姿をしていて、野鳥が羽を休めている。

 その姿がまるで死骸をついばむハゲタカのように見えて、我ながら実に馬鹿らしい現実イメージだと思った。どこを走ってもそう映った。



 不穏に脈打つ心臓を抑えながら辛うじて車を一本松の駐車場に停めた。見渡しても一本松と思しき姿はない。看板には歩いて一五分のところにあると書かれている。誰もいない。

 灼熱の光線が注いでいるのに蝉の声がなかった。少し考えて木が生えていないことに気がついた。



 国道から逸れて、バリケードに囲まれた細道を歩く。


 この土地に、人間が暮らしていた?

 わかりきった質問の答えは、当然イエスだ。

 それなのに、その答えを導き出すために頭をひねってやらなければいけなかった。そうしなくては誤答を算出してしまう。



 この山積みの土砂はかさ上げ工事の最中で、やがてこの上に人が暮らす。そういう計画なのは理解できる。しかし、ここに暮らしていた人間は、今どこにいるのだろう。

 幅4600m、奥行き2000mの市街に住んでいた人間は。あれから何年経ったというのだ。あと何年経てば、この土地に戻ることができるのだ。その日が来たとき、人は本当に戻るのだろうか。



 目前に、一本の松があった。


 見上げると陽光がまぶしくて手をかざした。


 このまちに残ったのは、この松だけだった。いや正確にはその松も死んでいる。これはモニュメントだ。



 このモニュメントを……このまちを見るまで、私は奇跡の一本松を冷ややかな目で見ていた。奇跡なんて抽象的で美しくて安い言葉を使っているのも気に食わなかったし、抽象的で美しくて安っぽいそれを遺すために金を使うのも肯定的でなかった。


 しかし実際には抽象的でもなんでもなく、本当にこれしかなかったのだ。たとえ空っぽになったとしても一本松にすがる以外どうすることもできないのだ。


 そんな日常が、地球の反対側ではなく、西隣のまちにある。恐怖を抱いた。惨劇にではない。知らずとも生活できる日常というものに。



 私は日常を売る仕事をしている。商品棚には日常が陳列されている。しかしこのまちにあるものは、なにひとつ売っていない。


 私にとっては異常とも思える世界だった。一方で視界にすら入らず通り過ぎてしまえるほど、これが日常化した人もいるだろう。一本松を見て吐き気を催す人もいれば、私のように空腹を覚える場合もある。



 駐車場まで引き返した私は隣接するラーメン屋に立ち寄った。


 ラーメン屋には当然店員がいて、その店員がこのまちで初めて目にした人だった。先客がいた。二人組で、泥だらけのツナギを着ている。土木の人だろう。


 外の熱気を忘れてしまうほどのひんやり冷やされた席に座り、七〇〇円の醤油ラーメンを頼んだ。氷がひとつ浮かぶお冷を飲んだ。



「たらふく食わしてもらったからよ、オッチャン」


 先客が会計を済まして大声で言った。客は私だけになった。

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