4600

   φ


「この慌ただしさをよく覚えておけ」


 教育責任者の上司は理想の働く人間だった。少なくとも私にはそう映った。素人同然の私を教育しながら緊急事態の店を回していたのだから。



 陸前高田市へアクセルを吹かしながら、五年前を振り返っていた。

 メタリックネイビーのダイハツハントは直線の国道をひたすら走る。とにかく人がいない。空は青く、田と山に囲まれ、たまにとんでもない速さのアクアが追い越していったが、歩行者は道中二人しか目撃しなかった。



 入社式を終えて埼玉の店舗に配属された。物流に甚大な影響があって、代替品の調達に苦労していた。


「僕はあの日から考えた。自身の無力さを呪ったし、悔しかった。自分にできることはなんだ。考え尽くした結果、仕事に専念すること、それが一番大切だと決めた。僕らの仕事は、誰にも真似できないんだから。いいか、僕の考えに便乗するな。お前も考え尽くせ」


 考え尽くせ。この五年間は、その毎日の積み重ねだった。



 陸前高田。いつだったか奇跡の一本松が枯死したからモニュメント化した、という経済新聞の記事を読んだ。

 金をかけるもんだなと思ったきり、記憶は止まっている。見知らぬ北の地よりも、日々の業務が大切だった。



 一時間半ほどのドライブを経て、岬の左カーブの坂を下ると、林の隙間から陸前高田市街地が見えた。海岸線に延びる白い建造物が見えた。巨大防潮堤らしい。青い海とのコントラストが美しい。



 道路の青い表示板がここから浸水区域であることを教えてくれる。左手にコンクリートで固められた山の斜面があり、右手に土木関連の事務所と思しきプレハブが建っている。

 規制速度五〇キロの標識の脇に黄色い案内板だった。それもまた津波浸水区域をあらわしていたが、見慣れないものだった。



   津波浸水区域

   前方4325m

   後方275m



 見間違いだと信じた。暗算で4600mという数値が出る。それがどういう意味を持っているのか、よくわからない。よくわからないというのは、なにかの冗談なのだと思ったからだ。


 そのままの意味だった。陸前高田市街地の海岸沿いの道路4600mの区間が津波によって浸水したことを端的に示していたのだ。



 川に架けられた仮設橋を越える。遥か遠方の蒼い山と、雲一つない空の下に、なにもない土地があった。

 頭の整理が追いつかないまま、湾の奥部2000mの区域まで津波が到達していることを道路案内板が補足してくれる。


 ジョイフル本田※が何店舗分だろうか。換算をしようと思って、やめた。

 道路以外の土地は三階建のビルを埋められるだけの土砂が盛られていた。その上に小さなショベルカーとブルドーザーがうごめいていた。






※ジョイフル本田

北関東を中心に展開するホームセンター。

2017年3月現在15ある店舗の平均敷地面積は東京ドーム2個分を超える。

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