六十話 ビーチと水着とマンボウと



 コーナーから現れたのはサマサであった。


 目に飛び込んできた海とビーチに、うわぁ~……と目を輝かせてそのまましばし見入っていた、いつもはきちんとお団子にしている赤い髪が、今はラフなポニーテールになって揺れておりとても新鮮である、が、オレの視線に気付くとハッとして途端に赤くなり俯いてしまった。


 そんな反応されるとこっちまで赤くなってしまうのである、だが彼女も気を取り直したようで、恥ずかしそうにしながらも顔を上げてこちらへ歩を進めてきた。

 だが近付くにつれて今度はオレが驚きに目を見張る、サマサが水着なのは分かっていた、コーナーから現れた瞬間その可憐さにグハァッともなった、しかし今、オレを驚かせているのはその水着自体であった。


「えへへ……タクヤさま、どうですか?」

 サマサはオレの一つ年下である、が、身長は百五十センチほどでかなりスレンダーなため、実年齢よりもっと年下に見えてしまっているのが実情であった。

 しかし今、目の前ではにかんだ笑顔でオレを見る彼女は普段の様相とはまるで違うように見える……家政婦スタイルの日常の中で痩せているように見えていたのは、格闘技の訓練にでもよるものであろうか、水着になったからこそ分かる、しなやかに鍛えられた引き締まった肢体のせいであったようだ。

 そして今、その身に着けているのは……そうだ、間違いない……


「よく似合ってるぞサマサ~、すっごくかわいいな~」

 オレがそう褒めると、頬をさらに赤くしながらも無邪気に喜ぶ。

「やった~! サプライズ成功ですね~、エヘッ」

 以前襲ってきた精霊使いを一蹴りで吹き飛ばしたほどの勇猛さなど、今は欠片も見当たらない……


 胸元を可愛らしく飾るフリルがヒラリと揺れる、小胸をちょっと気にしているのだろうか、チューブトップに長い帯フリルが三段になって胸回りを飾っていた、いわゆるバンドゥビキニというタイプである、ストラップレスではなく、トップスの中心から首の後ろへ巻くようにセンターストラップが掛かっていた。

 レモンイエローを基調とした素材に、ウォーターブルーとホットピンクで幾何学模様がプリントされている、こちらの世界ではあまり目にしない華やかさの色とデザインであった……それもそのはずである、トップスのフリルがヒラヒラと舞うその下、左胸にオレの探しているものがあった……


「ファイアーボールの印! やっぱり……オレがラフ画で残してきたやつだ……製品化されたのかっ! で、でもサマサ……どうしてそれを……?」

 尋ねると可笑しそうにクスクスと笑いながらクルッと後ろを振り返り、普段は見えない背中を見せてオレをドキッとさせた後、悪戯っぽい視線の笑みでこちらを向き直りながら言う。

「そうですっ! タクヤブランドの新製品で~っす、えへへ~……でもなぜなのかはローサさんに尋いてくださ~い!」


 開放的な気分になっているせいか、職業意識の強い普段ではなかなか見られない、年齢相応の溌溂な一面が見えている、眩しく見えるのは日射しのせいだけではないであろう。

 フリルの強調されたトップスとは逆に、シンプルなボトムスから伸びる細くて白い脚と小さなお尻がオレの前を過ぎ、パラソルの下でニコニコしているセルピナとハイタッチをした。


 続いて坂道を下る足音が聞こえる……コーナーから現れたのは……


「お……おおっ……」

 白磁のような肌と海風に流れる艶やかな黒髪……やはり皆、最初は海に見とれるようである、その遠くを眺める表情と、風で顔にかかる髪を手で後ろへ流す仕草……イルビスであった。


 中身は二千歳を優に超えているのだが、そのあまりの美少女っぷりは、そんなことを気にする余裕すら与えてはくれないほどオレの目を惹きつけて止まない、乾いた喉がヒリつきながらゴクリと鳴り、あぐらをかいていたのだが、片脚のみ膝を立てた座り方に変わった。

 オレに見られていることなどお見通しなのであろう、ジロリと目だけがこちらを見たあと、照れ隠しっぽい不機嫌そうな、しかし頬がちょっと赤く染まっている顔でこちらへ向けて歩き始める。


 イルビスの着けている水着……正面はワンピースタイプに見えるのである……首回りと肩はあまり胸元の広くないタンクトップのような型をしている、マットブラック一色の生地はぴったりと肌に密着する素材なので彼女のボディラインがくっきりと浮かび上がっていた。

 ささやかに膨らんだ胸のちょうど中間に、そこだけ白くファイアーボールマークがプリントされている、飾り気は全くなくレッグカットもノーマルで、全体的にはスポーティなイメージが強いであろう。

 だが……そう、だがしかしである……


 オレにその姿を見せつけるベストの距離で止まったイルビスは、まさしく見せつけるように長い髪を手でまとめながら、腰をくねらせるように後ろを振り向く、するとなんということか……大きく背中が……いや、背中からお尻の上ギリギリまでが開いており、後ろからはまるでビキニタイプを着ているように見えるのであった。


 後ろの肩の部分は肩甲骨のラインでクロスし脇の下へと通っている、そこからウエスト部分は前から見えぬギリギリまでカーブの入ったカットをされており、前側のスポーティな見た目に対し、サイドから後ろへかけた大胆なセクシーさのギャップが強烈な印象を見る者に与える。


 I型モノキニと呼ばれるタイプであった、これがまたウエストの細いイルビスにとてつもなく似合っている……たっぷりと白い背中を見せつけた彼女が正面に振り向き、その細い腰に手を当てて仁王立ちになりながら、どうだっ! と言わんばかりにオレを見る……


「ま……参りました……」

 赤くなってプルプルしながら言うオレを見て、大変満足そうに。

「この少女の身体でもこのような水着ならば悪くないのう、お前のデザインと聞いたが……助平も極まると一芸になるようじゃな」

 まったくもって小憎らしい、反論はできないが……

 すらりとした白い脚と形の良い小尻がモンローウォークでオレの前を過ぎていく、このへんも見た目十五、六歳の少女が出せるわけのない、とんでもない色気があるのであった……


 三人目の足音が坂道から聞こえてくる、がしかし、コーナーに現れたその姿を見たときオレは「?」となってしまった。


 誰だ……あれ……

 海とビーチに顔を向けて見とれながらも、ゆっくりとこちらへ歩いて来る……少し前から伸ばし始めているセミロングの明るい栗色の髪が、整髪料を使っているのであろうか荒めに整えられて後ろへ流されていた。

「うあ……ああ……」

 圧倒されたような情けない呻き声が出た、もちろんローサなのは分かってはいる……しかし、それでもまるで別人のように見えてしまうのであった……


 彼女の顔がこちらへと向き、オレの視線の全てが自分の身体に注がれているのを確かめると、フフンと満足そうな顔でさらに見せつけるように胸を張り、わざとゆっくりと歩を進める。

 鮮やかなソレイユオレンジに染められた、皮製のタイサイドビキニであった……布面積はマイクロビキニに近いくらい少な目だ、野性的である……正直……かなりエロイ……片膝を立てて座っていたオレは立てた膝をギュッと抱きしめる……


 普段からタンクトップにショートパンツという、開放的な姿をしているローサであるが、それはやはり自分のプロポーションに自信があるという意識の表れであろうと考えていた。

 そして今、その証明はオレの眼前にこれでもかとばかりに突きつけられている……形の良い胸は騎士団の訓練で鍛えられた胸筋の賜物であろう、バストトップはツンと上を向き崩れることのない張りがある、がしかし、歩を進める度に揺れる柔らかさもあるようで、ポヨンポヨン揺れるソレからどうにも目を離すことができない……

 十分にくびれたウエストと、大人の女性らしさが伝わるヒップラインを経て、これも訓練で引き締まった脚が綺麗に伸びている、身長こそさほど高くはないが、体型的にはグラビアアイドルにすら引けを取るものではないであろう。


 このプロポーションを作り上げるメリットのある騎士団の訓練であるが、得てして筋肉質になってしまうというデメリットもあるはずであった、しかしそこはさすがローサである、家でのぐうたらなゴロ寝三昧で皮下にうっすらと脂肪層を作りだしたか、引き締まりつつも表面は女性らしい柔らかさを兼ね備えた、奇跡のような見た目を顕現していたのであった。

 そんなナイスバディがオレンジの挑発的な皮ビキニを着ていらっしゃるのだ、女子力評価の下がりっぱなしな普段とのギャップは天文学的なものがあるであろう……特に今日の顔つきはいつものボーっとしたゆるい感じではなく、童顔ではあるが気合いの入ったお姉さんっぽい表情をしている。


 張りのある上向きの美乳をなんとか押さえつけるように貼り付くトップスと、両サイドを蝶結びで固定しているタイサイドのボトムスが、中身と共にぷるんぷるんしながらオレの前に来て立ち止まった。

「どお? タクヤ……この水着……?」

 さすがに遠慮なく見つめるオレの視線に恥ずかしくなったか、目元から頬にかけてぽーっと赤くなっている、オレの方はといえば赤くなるどころではなく、終始圧倒されてアウアウしていたのではあるが……


「すごく……似合ってる……セクシーです……」

 掛け値なしに言うオレの言葉に、ヨッシャーッ! という感じで拳を握っていた、このへんはやはりローサである、本当に嬉しそうであった……ワイルドな路線で攻めてきた気持ちもなんとなく分かる、正統派美女の女神が二人もいる家で、いかにしてその二人に引けを取らずに対抗できるか……あれこれ考えた上での選択だったのであろう……

「あの、ローサ……皆の水着って一体……」

 サマサがローサに聞けと言っていたのでおずおず尋ねると……

「なによっ、そんなの後よ後っ! せっかくの海なんだもん、遊んでからに決まってるじゃないっ!」


 褒められて浮かれたのであろう、やっぱりローサはローサであるようだ……

 半分くらいしか隠れてないお尻がオレの前を過ぎていく、左のお尻の部分にファイアーボールが焼印されていた、食い込んでるのを指先でクイッと直すのは無意識なのであろうか……そうであってほしい、あんな高破壊力の技を意識して使いこなされるとたまったものじゃない……


 深呼吸とため息の中間みたいなので気持ちを落ち着けようと試みる、が、それを見透かして許さぬかのように坂道から足音が聞こえてきた……


 大丈夫だろうか……最後はアリーシアである、それは間違いないし問題ない……だがマズイのはオレの方である……水着のアリーシアの攻撃力に耐え得るだけの防御力が、果たしてオレにあるのであろうか……いや、あるわけないだろうなやっぱり……

 それはコーナーから現れた姿を目にしたときに判明した、彼女は立ち止まり海を眺めている……オレは瞬きすら忘れて見とれてしまっていた。


 黄金の髪が強い日射しに煌き、その日射しを送る太陽の下で肌は透き通るように白い、深い情熱を秘めた色であるフェルメールブルーの水着が、その白い肌との鮮やかなコントラストでオレの心を一瞬のうちに奪い去ってしまう……


 金髪が揺れアリーシアの顔がこちらを向いた、だが見とれていたオレと目が合うとなんと次の瞬間、驚いたようにすぐ目を逸らしてしまい、細い眉が困ったようにひそめられる……みるみる赤くなる頬が自分でも分かるのであろう、顔を覆うように両手で隠して俯いてしまった。

 な、なんかおかしいぞ……アリーシアが恥ずかしがって……あ、あんな風になっちゃってる……

 オレの方もぐはあぁっ! となりながらぷるぷる震えることしかできない、彼女のあんな恥じらいの様子は初めて見るのである、水着が恥ずかしいのだろうか……?


 それでもしばらくすると、ようやく顔を上げた彼女が意を決したようにこちらへゆっくりと歩き出す、頬はまだ赤く染まっており意識しているせいか歩き方も少々ぎこちなくはあったが、彼女なりに頑張っているようであった。

 しっかり者のお姉さんというイメージの強い彼女が、今は見る影もなく緊張してガチガチになっている、だがその普段との大きなギャップが、隙の無い美女の新しい一面を見てしまったという、一種背徳的な悦びを男に感じさせてしまうようだが……


「あ……あの……」

 まだ三メートル以上離れている場所で立ち止まり、恥ずかしそうにモジモジしているアリーシアがオレに声をかけてきた、この瞬間彼女のあまりの可愛さに、オレはふおおおぉっ! と雄叫びを上げて砂浜を転がりたい衝動を必死で抑える。

「アリーシア……水着が恥ずかしいのか……?」

 尋くなりまた彼女の頬にカアーッと朱が走る、目に涙が溜まっているのまで見てとれた、オレの問いにコクリと小さく頷き消え入りそうな声で話し出す。


「私……外でこのような恰好をしたことがなくて……いえ、外だけじゃなく屋内ですら……教会で過ごしていた頃であれば、絶対に許されないことだと……」

 な、なるほど、国の象徴で教会の崇める女神さまだものな……当然それなりに厳格な生活をしてきたのだろうなあ……と思いつつ、改めてアリーシアの水着姿を眺める……うん、これは……神官にも信者にも絶対見せてはイケナイ……


 トップスは布地が胸を外サイドと下からしっかりと支え、彼女のとても豊かなバストを潰すことなく綺麗に見せている、胸を支えた布がそのまま細くなって首へ回り、首の後ろで左右の布を結ぶ作り、いわゆるホルターネックと呼ばれており、水着自体もホルタービキニと呼称されるタイプであった。


 ボトムスは少しローライズ気味になっており、腰に引っ掛けて穿くようなドキッとするデザインである、後ろはお尻の割れ目の始発点がちらっと見えており、まるでトップスに負けないセクシーさを主張しているようだ。


 神秘的な雰囲気のあるフェルメールブルーの生地で、右胸のバストトップの場所に狙ったようにファイアーボールの印が白くプリントされていた、そしてなによりこの水着がアリーシアを魅力的に見せているのが、その胸元の開き具合であろう。

 しっかりと支えている下側や外サイドとは対照的に、中央部分、つまり胸の谷間側はなかなかオープンな作りになっているのである、軽く湾曲したV字型に開いているまるでパラダイスのようなその場所は、下とサイドをしっかりと支えられているために胸全体が寄せて上げられる効果も相まって、普段よりもボリューム増量の様相を呈していた。


 山登りの夢を見そうである……山の名は二子山であろう……などと恥ずかしさに震えているアリーシアに対して不謹慎な考えが湧いては消える、にしてもカムイの治療泉では素っ裸でも平気そうだったのに、女心というのは難解なものである……

「恥ずかしいことなんかないぞアリーシア、すっごくよく似合ってる……」

 目を見つめながら言えば格好も付いたのであろうが、生憎とオレの目は期間限定のボリューム増量に釘付けであった……座り方も両膝を抱えた体育座りになっている……だがオレがそう言った途端であった。


「本当ですかっ? タクヤさんがそう言ってくださるなら……恥ずかしいのも我慢できますっ……」

 場合が場合だとどう勘違いされてもおかしくない内容の言葉を言いながら、一気にズイッと距離を詰めてくる、驚いたのはオレの方であった、まだ距離があったから平常を保っていられたものが飛び込むように近付いてきたのである、しかもオレが座っているため近距離に立つアリーシアは、自然と上体を前へ屈める姿勢になるではないか……


 そ、その水着で前屈みはマズイ……非常にマズイぞっ! アリーシアァッ‼


 慌てるオレの目の前でそれは、期間限定ボリューム増量にタイムサービスと感謝祭がいっぺんにやってきた感じであった、直立しててさえその豊かさに圧倒されていたものが、前に屈むことで星の引力すらも味方に付けたとき、その破壊力はオレの紙のような防御力を跡形も無く消し飛ばしてしまったのである。

 純粋に嬉しそうな、キラキラした目でオレを見るアリーシア……しかしオレは、がっしりと膝を抱え込んだ鉄壁の体育座りで、目の前の巨大な逆さ二子山にグルングルンになった目を奪われていた……頭の中ではティンパニーの重厚な音がデンドンデンドンと鳴り響いている……

「さ……最高ッス……」


 キャ~ッ! という嬌声を上げて四つのお尻が波打ち際へ走っていく、若いわねぇ……とパラソルの日陰からセルピナの楽しそうな声が聴こえてきた、どういう基準が若いのかはよく分からなかったが、華やかであるのは確かであろう。


 ローサが真っ先に海へ飛び込み、それを見たサマサが思い切ったように続いていく、イルビスは寄せる波に足を取られてブヘッと言って転び、腰まで海に入ったアリーシアはなんだかヴィーナスの誕生のように見える……

 四人全員が海は初めてのはずであった、初めての海にいきなり飛び込めたローサの度胸に感心したものである、まあ何も考えていなかったのかもしれないが……事前にセルピナから、急に深くなってるから海が藍色に変わっている方へは近づくなと注意を受けていた。


 昼過ぎの太陽はジリジリと四人の美女に熱視線を送り、とばっちりを食ったオレにも余すことなく照り付けてくる、見上げると空はどこまでも青く眩しく、戻した視線にも白砂が日を照り返して眩しく、波音に乗って渡ってくる美女たちの嬌声に目を向けるとこれまた別の意味で輝いており眩しくてしょうがない……

 ショボショボする目を遠くに向けて水平線を眺めていると、ローサのでっかい声が波音に負けず飛んできた。

「タクヤー! あんたも座ってばかりいないで泳いでみたら~っ⁉」


 騎士団にいるからにはアイツは騎士なのであろう……ならば武士の情けという言葉を知らぬのであろうか……オレが体育座りの見本のような体勢を貫いているのは一体何故なのか? それが分からぬとはまだまだだな……

 渋い仏頂面でローサの方をジトーっと眺めていると、再び彼女のでかい声が飛んでくる。

「勃っちゃっててもいいじゃなーいっ! どうせみんなに見られてるんだしーっ!」


 ぐあああぁっ‼ となるオレに、セルピナがブプッ! と吹き出すのが聞こえてくる。

「な、なんじゃそれは⁉ 私は見てないぞっ……?」

 イルビスの声も聞こえる、ベッドで自己修復していた彼女は確かに見ていない。

 なんというデリカシーの無さ……抱えた膝に顔を埋め、羞恥にプルプルすることしかオレにはできないのであった……


 その直後である。

「あれは何? ……何か来ますっ!」

 突然緊張感のあるアリーシアの声が通る、ハッと顔を上げるオレと立ち上がるセルピナがそちらを見ると……


 胸近くまでの深さの場所で四人は遊んでいた、その少し沖の方向から何か……海からヒレであろうか……突き出ているものが、海の色が変わっている間際、つまり急に深くなっている線に沿って四人の方へ近づいているではないか……

「あっ! セルピナッ、あれはサメかっ⁉」

 それには答えずに走り出すセルピナ、波打ち際へ向かいながら四人へ大声で叫ぶ。

「みんなーっ! 海から上がってーっ‼ 早くっ!」


 やはりサメかっ⁉ ただ事ではない雰囲気にオレも飛び跳ねるように立ち上がり、セルピナを追おうと走り出した。

 緊張の走った表情で四人が戻ろうとしている、しかし水の中では思うように進まない、もどかしそうにセルピナが叫び続ける。

「急いで! あれは……あれは、人喰いマンボウよっ‼」


 ズサーッと砂の上でコケてスライディングするオレ。

「マ、マン……ボウ……?」

 愛らしいボーっとした顔の、およそ人喰いとは対極にあるほど縁遠いイメージの、変な形の魚が思い浮かぶ……あのおちょぼ口でどうやって人を……そう考えるオレの視線の先でそれは起こった。


 未だ腰上くらいの深さのところにいる四人の背後で海面が盛り上がる、巨大な質量が海中から急速で浮上してきているのだ、そして小山のようになった海面が割れそこから空中へ飛び出すように現れたその姿は……

「う、うわ……」

 見た目はオレの知っているマンボウであった、愛嬌のあるその顔形、だが……でかい……五メートルくらいはあろう、規格外のデカさである……空中へ躍り出たその巨体が、意図しての行動であろう海面に己の体側を叩きつけるように着水する。


 その激しい衝撃で生まれた波が渦を巻いて四人を襲う、キャー! という悲鳴と共にそれぞれが波に飲まれ渦に巻かれてしまった、見るとアリーシアとイルビスは運良く膝上くらいの浅瀬まで押し上げられゲホゲホと咳をしている、サマサも距離こそ離れたが腰より下ほどの浅いところで立ち上がるのが目に入った。

 だがローサ……ローサはどこだ……波打ち際まで来たオレは伸び上がってローサの姿を探す、すると……

「あっ! あそこにっ! ローサさんがっ‼」


 立ち上がったアリーシアが腕を伸ばして指している、先を見ると……いたっ! 渦に巻かれて引かれたか、もと居た場所より深いところで肩から上が出ているだけであった、必死で戻ろうともがいている様子である。

「ローサアアァッ‼」

 オレは飛沫を上げてローサへ走り出す、その彼女の背後が、先程のジャンプの後にいったん深みに潜ったのであろう、ヤツが海面に戻って姿を現すべく再び盛り上がってきた、恐怖が張り付いた表情の彼女は必死でもがくが遅々として進まない。

 小山になった水面が割れた、ローサへ向けての突進のため空中へは飛び出ていない、がしかし水面から突き出して現れたヤツの顔は……なんということか、おちょぼ口の横から亀裂が開きガパッと大きく咢が開いているではないか、咢の中には細かく鋭い歯がびっしりと生えているのが見てとれた。


「BB! カノポスッ!」

 凛とした声が波打ち際から響く、同時に天空から二羽の小さな影が凄い速度で急降下してきて宙でバッと羽を開き静止した、カノポスも来てくれたのであった、そしてこれも羽を開くように両腕を広げたセルピナが、その腕をマンボウへ向けて突き出し叫んだ。

「止まりなさいっ!」

 ぎゃーっ! と悲鳴を上げているローサにかぶりつく寸前のマンボウが、セルピナとBB、カノポスの渾身の影縛りでバシィッ! と静止した、危機一髪である。


「ぐっ……早くっ……長くはもたないわっ!」

 マンボウの巨大な質量と周囲が固定しづらい海水のせいもあるのであろう、セルピナが辛そうな声で言う。

 ようやく胸元までの深さになった場所でオレがローサに辿りついた、その時、急ぎ岸へ向かおうとするオレたちの耳へ、怒りを含んだ銀鈴のような声が静かに、それでも波の音に負けずに届いてくる……

「長い時間などいらぬわ……」


 イルビスであった、横には岩の精霊であろう姿が浮いており、その頭上には先端の尖った大きな岩石が高速回転しながら狙いを定めている、そして真上へ上げられていた彼女の腕がマンボウへ向け振り下ろされた。

 次の瞬間、唸りをあげて射出された岩石は縛られたマンボウの側頭部へズドンッ! と直撃し、突き抜けた先端が反対側へと飛び出して止まった、一度大きくビクリと動いたマンボウも完全に沈黙してしまう、どうやら仕留めたようである。


 そこへ岸からシュルシュルと太めの蔦が伸びていく、影縛りが解けてブクブク沈み行く大きな頭のエラへ潜り込み、反対のエラから出てしっかりと巻きつき固定されると、マンボウの巨大な魚体は岸に向かって引き寄せられ始めたのであった。

「ふんっ、しばらく食事はマンボウ尽くしじゃの」

 イルビスが腰に手を当てふんぞり返って言う、実に肉食系である……


 やれやれと安堵しながら岸へ進むオレとローサであったが、二人を追い越して蔦に引かれていくマンボウの口に、何か引っ掛かっているのが目に留まった……

「あれ……? なんだあれ?」

 指差すオレにローサも不思議そうな顔である、紐のようなものがヒラヒラと引っ掛かって揺れていた、ようやく腰ほどの浅さになりザブザブと進む速度も上がり始めたときである。


「ロ、ローサさんっ! あのっ、そ、それっ……」

 サマサの頓狂な声がして皆がローサを見た瞬間、息を飲んで固まる雰囲気が影縛りのように広がった、なんだ? と隣のローサを見るオレの顔も瞬時に、うわああぁっ! という表情で固まる。

「え……? な、なによ?」

 うろたえ気味のローサが海から上がって来たばかりの自分の身体を見て……顔がみるみる真っ赤になると同時にバッ! と腕で胸を隠す、そうである、お約束もいいとこであるが、ソコを隠してたものが今見ていたマンボウの口でヒラヒラしていたヤツであった……


 混乱の極みであるのだろう……横でうわあっという顔をしているオレを見て、見られたっ! と理解もできたらしい、うん、確かに見た……綺麗なピンク色でした……とても可愛かったです……と、脳内でリプレイしているのを知ってか知らずか。

 ボグッ! と、オレの顎で鈍い音が鳴る、撃ち抜いたのはローサの左拳であった、ぐわんと歪み暗くなっていく視界に、混乱し過ぎて目がグルグルになっている彼女の顔が映って消えていくのであった……


 目が覚めると心地良い場所であった、直射日光は当たっておらずビーチパラソルの日陰の中、特等席だとすぐわかった、覚醒に気付いたか額に手が当てられると枕がローサの声で尋ねてくる。

「ごめんね、タクヤ……痛くない……?」


 頭の下はローサの膝枕であった、撃ち抜かれた顎をカクカク動かしてみたが大丈夫のようである。

「ああ、なんともないよ」

 寝心地が良いので動きたくない、返事をしてそのままでいると口に何か咥えさせられた、恐る恐るモグモグするとサンドイッチである、これは非常に良い環境になってきたぞ……などと思いながら視線を上方へ向けると、ローサの美乳の下側が目の前に張り出している、もちろん水着は装着されていた。


 眺めまで良好である、こりゃいいやと思っていると鋭く察知されたようで……

「こ、こらっ、どこ見てるのよ……もうっ」

 照れた声と共に次のサンドイッチが口に押し込まれる、最初のをまだ飲み込んでいなかったのでモゴーっとなった、モゴモゴーっとクレームを入れると。

「お行儀悪い食べ方してるからでしょっ、知らないっ」

 ぷいっと横を向かれる、傍から見るとどうしようもないイチャつきっぷりであった、その証明をするようにすぐ近くから声がかかる。


「お前ら……いい加減にせぬか……見てるこっちが痒くなる……」

 イルビスの声である、しまった、二人きりじゃなかったんだな……と上体を起こして見回すとローサの斜め後ろにイルビス、さらにその向こうにアリーシアが座っている、が、なんか様子が変だ、ローサも含めて三人が海を背にして座りながらサンドイッチを食べている……なぜこっちを向きながらなんだ……?


 その理由は三人が背にしている海の方を眺めたときにすぐ判明した。

 そこは血みどろであった……

 セルピナとサマサが出刃包丁を手に喜々として動き回っている、そう、人喰いマンボウ解体の儀であった……食材になる部分を切り出しているのであろう、だが巨大なマンボウである、解体に伴うグロテスクな状況は筆舌に尽くしがたいものがあった、しかも悪いことにちょうど開かれた腹がこっちを向いているのである、サンドイッチをモゴモゴしていたオレの口の動きも止まってしまう。

「そうそう、あと腸と肝が絶品なのー、キレイに切り出してねー」

「はーいっ、でも結構な数の寄生虫ですねー、線虫がウヨウヨいますよー、うふっ」

 会話も超怖い……三人が背を向けるのも頷けるのであった……


 アリーシアが言うには、セルピナがサマサにマンボウ料理の秘伝を伝授するそうで、今夜は我が家で晩餐会のようであった、誘おうと思っていたのでちょうどよかったのである。

 風がより涼しく感じ始め、太陽も天頂からだいぶ傾きかけてきた、そろそろ海で遊ぶのもお開きのようである、まあ瀟洒なリゾートビーチが今や巨大魚の解体現場になってしまっている訳であるが……


 ビーチパラソルや敷物を片付けてBBに渡すと、黒霧となったBBがアトリエへ運び、代わりにアトリエに置いてあった皆の服の入ったバッグを持ってきてくれた、さすがに気が利くのである。

 ここから直接我が家に戻ろうということで、イルビスが次元の裂け目をつないでくれた、足を洗う水を用意するためにオレが先頭で漆黒の裂け目を潜り抜ける、すると……


 出口はバッチリ家のすぐ前であった、勝手口へ向かい桶に水を汲んで来ようと歩き出したその時である。

「あっ、タクヤさんっ、よかった、お会いできましたね」

 聞き覚えのある声に呼び止められる、振り向くとそこにはいつもよりも格式の高い正装であろうか、神官の服に身を包んだキラさんがニコニコしながら立っていた。


「あっキラさんっ! こんにちはっ」

 アリーシアとイルビスの一件が解決して後、オレは神官長のマクシムさんやキラさんから絶大な信頼を得ていた、二人の女神がオレの家に自由に住まうことができるのも、両女神の意向というだけではなく、オレであれば安心して任せられるという信頼があって実現しているようであるらしかった。


「実は私、今、王城からやって来まして……」

「王城から? 何かあったんですか?」

 尋ねるオレにいやいやと手を振りキラさんは続ける。

「王城へは教会の所用で行っただけでして、で、帰り際に伝達班の騎士が一人、通知を持って出発しようとしていたのですが、その時陛下に教えていただいたのです」

「陛下に……何をですか?」

「その通知がどんな内容で誰に宛てられたものであるか……それを教えていただいて、私は騎士の代りに自分に届けさせてほしいと申し出たんです」


 ……ということは宛先はオレ、キラさんがそんなことを申し出るような内容であるということなのか……そう考えたときハッと気付く、も、もしかして……

 オレが気付いた様子なのでキラさんの笑顔がより深くなる、頷きながら話を続けようとしたそのときであった。

「なんじゃタクヤ、何をしておる? 水はどうしたのじゃ?」


 背後から声がかかり、次元の裂け目から出て来たイルビスがオレに近づく……と、そこでキラさんの存在に気付いたのであろう、あっ! という声が上がるのが聴こえた。

 キラさんもイルビスに気付く、途端に目が丸くなるのが見えた、もちろんイルビスは水着のままである……

 ま、まずいっ! と思ったときはもう手遅れであった……


「あら? どうしたんですか?」

 アリーシアの声がした……ひょいっとオレの背後から姿を現し、前に呆然と立つキラさんに気が付く。

「あら、キラさん、来てらしたのね、何か……」

 言ってる最中に思い出したのであろう……今、自分が水着だということに……

 彼女の顔がサーッと蒼白になり、すぐ次の瞬間にはカーッと赤くなる、自分の腕を身を護るように体に巻き付け、プルプル震えながら……


「い……いやぁぁん……」


 むしろ挑発してるんじゃないかというような仕草である、巻き付けた腕が図らずも胸を押し上げて、再び増量モードになっていた。

 キラさんの反応もまたすごい、凄まじい驚愕の表情を顔に貼りつけたまま、体に悪いんじゃないかというくらい首から上が真っ赤になっている……その視線の先も男のオレにはよく分かる、彼の頭の中では今、ティンパニーの重厚な音がデンドンデンドンと鳴り響いていることであろう……


 ブパッと鼻血が出ると、今、最も次期神官長に近いと噂されるエリート神官は、ばったりと地に倒れ伸びてしまうのであった……



――第一部完――


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イカス仲間と精霊と女神さまと異界にて 荒川 空 @arakawakara

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