五十七話 帰投と緊縛とタマ治療と



 BBの影渡りで現れたオレたちに、アトリエは大混乱になった。


 あちこちボロボロのオレに横抱きにされて運ばれるイルビス、セルピナは小さな少女の亡骸を大事そうに抱えている、総じて全員がくたびれきった顔をしており、どこもかしこも薄汚れて惨憺たる有様であった。


 そんな一行が黒霧の中から突然ヌボっと現れたのである、驚かれない方がおかしい、案の定夕食の準備をしていたアリーシア、ローサ、サマサの三人は同時に悲鳴のような声を上げて固まり、アリーシア、サマサ、少し間をおいてローサの順番で我に返ってオレたちの介抱に駆け寄る。


 最も重傷なのはやはりイルビスだ、首をぐるっと巻く赤黒い鞭の痕は皮膚のみにとどまらず、深い部分まで内出血をひき起こしているようであった、セルピナのベッドに寝かされアリーシアの治療がすぐ始まるかと思いきや……

 短い会話をしたかと見た途端、ベッドにはイルビス一人が残されてアリーシアもオレたちが集まる作業台のほうへやってくる。


「お、おい、イルビスを診なくていいのか……?」

 言われた瞬間キョトンとしたアリーシアが、ふふっと笑顔になって椅子に座りながら。

「タクヤさん、イルビスはあれでも女神ですよ? 自分の身体の修復くらい自分でできます、そうですねえ……完治まで十時間ってところでしょうか……」

「じゅ……そ、そんな短時間で……あの酷い傷が治ってしまうのか……?」


 返事のかわりにニッコリ笑うアリーシアを見ながら、そういえば今までオレ自身がアリーシアに施してもらった治療も凄かったな……と思い出す、イルビス本人から身体の修復の話を聞かされた記憶もあった……

「まったく……私から見たらタクヤの方が重傷よ……?」

 セルピナが棚から薬瓶や乾燥した薬草の束を忙し気に作業台へ運びつつ言う。


「あちこち打撲痕だらけだし、拳の皮なんてベロベロじゃない……見てるだけで痛そうよ……あと、股関節の辺りも怪我してるんじゃないの? 歩き方変だものね……診てあげるからズボン脱ぎなさい」

「い、いやっ! それは……だいじょうぶっ! あの……そ、そうだっ、薬さえもらえればっ……じ、自分でできるっ‼」

 治療の話をした途端に真っ赤になって大慌てになるオレへ、驚いた視線が集中する。


「タクヤどうしちゃったのよ? セルピナが診てくれるって言ってるのに……薬師なんだからお医者さんと似たようなもんでしょ? 専門家に任せなさいよ?」

 ローサも不審そうにオレへ言う、セルピナに至っては薬師としてのプライドもあるのであろう、少しムッとした表情で。

「まず診察しなきゃどんな薬が必要かすら分からないじゃないっ、いい歳して子供みたいなこと言わないのよっ、私にだって責任っていうものがあるの、適当な薬を出す訳にはいかないんだからっ、ほらっズボン脱いでっ?」

 ブレインエフェクターを闇市へ適当にバラ撒いた人の言葉とは思えないが、とにもかくにも大ピンチである。


 股関節辺りというのも、怪我をしてるというのもその通りであった、歩き方ひとつで見抜いたセルピナの薬師としての目は確かである……尊敬できるレベルですらある、だがオレにもオレなりの理由があった、おいそれと従うわけにはいかないのである。

「い、いや、あのさ……その……そ、そうだっ、打ち身の塗り薬! それでいいんだよっ、それさえ貰えればあとは自分で……え……?」

 額に汗を浮かべながら必死に言うオレの前で、ガタガタッと椅子を引きセルピナ、ローサ、アリーシアの三人が立ち上がった、サマサだけが座ったまま、え? え? と周りを見回している。

「ちょ……ちょっと待て……お前らどうするつもりだ……?」


「四の五の言わないのっ! さっさと治療して事の顛末を説明して欲しいんだからっ! BB!」

 シュルッと影の精霊の姿でBBが現れた、闇の結晶でできた鳥の義体はこれから作り直してもらうのであろう、だが、そんなことよりもである……BBを呼び出したということは……ま、まさか……

「タクヤに安静にしていただいて」


 セルピナの静かな声がBBに命ずる、ガタッと椅子から立ち上がるオレに、濡れるように美しい漆黒の影もこちらを向く。

「BB……オ、オレにそんなこと……しない……よな?」

 今日の朝から共に弓猿と戦い続け、パイルダーオンもしっくりくる程になった、女神に振り回されているという共通の立場であることもそうだ、友……いや、戦友として心から共感し通じ合ったと……オレだけではない、BBだってそう思ってくれているハズだ……

 BBは逡巡している様子であった、主であるセルピナの言葉は絶対的なものであろう、だがオレへの友情が躊躇いを生み行動を止めている、いいぞっ頑張れBB! 理不尽な命令など跳ね返せ!


「早く」

 少しイラついたセルピナの声がした瞬間、オレはバシッと影縛りで身動き取れなくなった、うおおぉっチクショー! という声すら出せずに固まってしまう。

 そのまま作業台の上へ仰向けに転がされた、治療というよりは人体実験か解剖である、これはさすがにやり過ぎだっ……と、なんとか異議を申し立てるべく声を出そうと試みていると、足元の方からセルピナの取り澄ました声が聴こえてきた。


「それでは助手のローサ君、患者のズボンを脱がせてくれたまえ、怪我に障らぬようにゆっくり優しくね」

 突然言われて少し面食らった様子のローサであるが、どうするかの判断は瞬時に決まったようで……

「ハイッ! 先生っ」

 大喜びで乗ったようである、こいつ……


 すぐにカチャカチャと短剣ホルダーのベルトの金具を外している感覚……パチッと外れて腰の後ろからシュルッと抜き取られていくホルダーが擦れる生々しい感触……

 なんだ……これは……なんなんだ……この変な感覚はっ……

 オレの中に生まれた奇妙な感覚……影縛りで身動きとれなくされた状態で、装備や着衣をゆっくりと剥がれていく……こんな……こんなことって……


 ローサの手はズボンのベルトにかかっていた、ベルトの端を金具から抜き取るのに手間取っているのであろう、オレの下腹でローサの手がもぞもぞ動いている……そのときオレはこの奇妙な感覚がなんであるのかにやっと気づいた。

 背徳感だ……なんだかとっても……イケナイことをされているような感覚……


 シュルッとベルトが緩む、どうやらやっと抜けたらしい、ベルトの締め付けは完全に無くなった、外れて一段落したかローサの少し荒い息づかいが聞こえる……そのせいで今、この場に妙な沈黙が落ちているのに気が付いた、治療にあたるセルピナと助手役のローサはもとより、アリーシアとサマサも横手の方から無言でジッと見つめているようである……


 声もなく治療行為が行われるこの妙な場の雰囲気に、淫靡なものが少しづつその濃さを増して混ざり込んできた……ローサがオレのズボンのボタンを外し始めたのだ……

 ちょ、ちょっと待てっ、なぜ皆に見られながらなんだっ?

 そう叫びたいのは山々であるが、眼球を動かし顔をひくつかせるくらいしか今のオレには許されていないのであった、手間取ったベルトとは対照的にズボンのボタンとカギホックはいとも容易くパチパチと外れていく、ヘソの下あたりが外気に触れてひんやりと感じた……


 あとはずり下げるだけというズボンに手がかけられたとき、やめろおおぉ……というオレの念が通じたのだろうか、ローサが周りを見ながら遠慮がちに言い出した。

「あの……さすがにみんなに見られるのって……タクヤかわいそうなんじゃ……?」

 よく言った! 見直したっ! さすがオレの婚約者だっ、その調子で影縛りもなんとかしてくれ! この瞬間限定ではあるが、そこの二人よりも今のローサの方がずっと女神に見えるぞっ。


 だがやはり……ローサにそんな押しの強さがあるわけもなく、それどころか……

「私は治癒の力の補助が必要になった場合に備えて見ています」

 ニッコリとして言っているのであろう、堂々としたアリーシアの声と。

「わ、私は家政婦ですので……ご主人さまのケガの具合を知らなければならない義務がありますっ」

 と、緊張気味のサマサの声が聴こえる、するとなんということか、ローサは即答で。

「じゃーしょうがないわねー」

 もう、ちょろすぎて……脳内で突っ込む気力すら失せる……


 援軍に残り僅かな兵糧を食い逃げされたような脱力感を味わっているオレから、ズボンがズルズルと引き下げられていく……ぴったりとした形のトランクスタイプのパンツが露わになった……

「んん~? あら、関節じゃないのかしら……」

 見える範囲で歩き方に支障の出る怪我などなかったのであろう、不思議そうな声を出すセルピナであったが、それに気が付くのはすぐであった。


「ははあ……なるほどね……」

 治療の話になったときのオレの慌てぶりが何故なのか、ようやくつながったのであろう、パンツの前部分の膨らみ方で察したのかもしれなかった。

「ローサ、治療部位の変更になるわ……」

「え? 部位……? 変更……?」

 芝居がかった深刻さのたっぷり付与された声がローサにかけられる、少し戸惑い不安気な様子のローサへさらに声は続く。


「ええ、事は思ってたより深刻な問題になっているみたい……いい? ローサ、気を確かに持ってね……」

「ど、どうしちゃったのよセルピナ……タクヤの怪我……ひどいの……?」

 ローサの不安そうな様子は本物のようである、セルピナは少し間をあけ、意を決して言うような念の入った小芝居を打ちながらローサに告げた。


「もしかすると、タクヤの……子供を作る機能が危ないかもしれない……」

「え……ええっ? こ、子供を……作る機能って……ど、どうしようっ……? どうしたらいいのっ?」

 オロオロとセルピナにすがるように尋ねるローサ……完全に悪ふざけに乗せられてしまっているようだ……

「治療の手伝い、してくれるわね……?」

「も、もちろんよっ、なんでもするわっ」

「じゃあ、まず、パンツ脱がせて」

 アリーシアとサマサの息を飲む音が聴こえた。


「わかったわっ! ……え……? パ、パン……ツ……?」

 オレは白目を剥いて気絶寸前である。

「で、でも、パンツ脱がせちゃったら……でちゃうじゃない……」

「そうよ、出して治療するために脱がせるんだもの」

「だしたら……見えちゃうじゃない……」

「見えなきゃ治療にならないでしょっ、ローサしっかりしてっ、タクヤのため、ひいてはローサ、あなたのためなんだからっ、将来……作るんでしょ? 子供……」


 ふああぁ……という声になっていない声と、真っ赤になって固まっているローサの様子が伝わってくる、オレもこんな場でそんなにハッキリ言われるとさすがに顔が熱い。

「わかったわっ、私、脱がせるっ!」

 力強く言い放つローサだが、どうやら頭に血が上って混乱しているようである、こうなってしまうともうオレには絶望感しかない……諦めの境地に至り、できるだけ迅速でかつ的確な治療を祈るしかなくなっていた。


 ガッシとパンツに手がかけられた、まさに今、クロスアウトされようとしたとき、ローサがいきなりグリッと疑るようにそちらを向いたのであろう、アリーシアとサマサが大慌ての様子で。

「ち、治癒の……待機ですっ!」

「か、家政婦……なのですっ!」

 みんな混乱してるらしい……ローサもその理由でまた納得したようだ……

 それからすぐである、オレを護っていた最後の砦は、いともたやすくずり下げられ、そのまま足首を通ってぬくもりと共に別れを告げた……


 白目を剥いて涙を流すオレの顔など誰も見ちゃいない、四人の女性の視線は股間に集中している。

「ね、ねえセルピナ……これって……」

 しばしの沈黙の後、ローサが信じられないような声音でセルピナへ尋ねた。

「ええ……やっぱり、かなり腫れてるわね……」

 そうである、ミツハの水弾の直撃を何発か受け、大きく腫れあがったオレのタマタマであった。


「まあ……こんなに腫れて……痛そう……セルピナ、私の力で治癒しますか?」

「いいえ、炎症だからアリーシアの細胞賦活より、消炎効果のある薬の方がいいわね」

 アリーシアの身につまされた声にセルピナが答える、オレもぜひ薬での治療を願いたい、いくら治療のためとはいえアリーシアにタマタマを握らせるなんてとんでもない、そんなこと教会に知れたら確実に死刑であろう。


 キュッと薬瓶の蓋を開く硬い音がすると、強いメントール臭が漂ってくる、さっき小さな刷毛みたいなものが目の端に見えた、それを使って塗るのであろう。

 準備が整ったようであった、さて始めるかという空気になったとき、セルピナがローサへと指示を出す。

「ねえローサ、コレ邪魔だからちょっと持ち上げててくれる?」

 その声と同時にオレの大事なご子息が、おそらく手に持つ刷毛でであろう、ツンツンとつつかれた。


「ふえっ? も、持ち上げる……の? ソレを……?」

「そーよ、薬が付いちゃわないように上へ向けててちょうだい」

 最悪過ぎて本当に気絶しそうである……オレの中の男の尊厳がガラガラと音をたてて崩れ落ちていくようであった……


 えー……ふえぇ……と小声で言いながら、おずおずと手を伸ばしているのであろう、ローサの指先がピトッと触れる感触がした。

 び、微妙な触り方すんなああああぁっ! 持ち上げるならグイッと一気にいってくれええぇっ……そんな触り方されたら……は、反応してしまうじゃないかああぁっ!

 恐るおそるつまみ上げようとしてるものだから、まるで指先で弄繰り回されているような感触である、あ、悪魔かコイツ……先程の瞬間には女神と評したローサが今は、オレを危機の崖っぷちへ追い込む淫魔のような存在と化していた。


 おまけに治療が始まった……薬品の冷たくヌルヌルする感触が、刷毛でタマタマへとペタペタ塗り込まれる、それはもう丁寧にペタペタペタペタと……治療に伴う怪我の痛みも薬品のスーッとする効能でなんだか刺激的なものに感じてしまう。

 四人の女性に囲まれ注視されているという、異常な状況も影響しているのであろう、若く健康な男子であるオレにこれはもう耐えられる訳がなかった……

 オレのご子息は、必死に止める理性の命令を振り切り、さらに支えるローサの手を振り払い、雄々しく独り勃ちを始めなさったのであった……周囲の空気が凍りついたように固まっている、セルピナだけが平気な様子でまだ薬をペタペタやっているようだ。


 ひ……ひゃあぁぁ……とサマサの小さな悲鳴も聞こえてきた、だがちょっとまて、おかしいぞ……なぜ声も出せぬほど強く縛られているのに、ご子息だけには反り返ることのできる自由が与えられている? まさかオレのご子息には影縛りが効かないとでも……? いや、いくらなんでもそんなにストロングではない……だとすると……

 ハッと気が付く、平然と薬を塗り続けるセルピナ……本来ならコイツが一番ご子息の振る舞いを訝しく思わなきゃならん立場のはず……なのにこの落ち着きよう……


 お前かっ⁉ お前がソコの周囲だけBBの影縛りを中和しているのかっ⁉ ペタペタやりながらニヤニヤしているというのかっ⁉ このやろおおぉっ!


 そんなオレの想いを知ってか知らずか、セルピナのとぼけた声が。

「くすっ、タケリタケみたいね……」


 キノコに例えるなあああぁっ!


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