五十五話 怨嗟と声と青い炎と



 鬼気が形となった姿……見た瞬間そう思った。


 現れたその姿に愕然としてしまう、水蒸気爆発の熱と衝撃で左の半顔は無残にも赤く爛れ、爆発の瞬間に前へかざしていたせいであろう、右手の小指と薬指は千切れ飛んでいるというなんとも凄まじいものであった。


 手の傷からのものであろうか、純白のローブには胸元から腹にかけて鮮血が飛び散っている、これほど赤い血がその白い姿のどこに流れていたのか、そう思うほど鮮やかなコントラストを成していた、そして左掌に浮かんでいた水の球はもう無く、かわりにその左手に水鞭の束が握られている。


 爛れた半顔の左目にアズライトの青い色はもう無く、白く変色してしまっている、おそらく光を失ってるであろう……至近での爆発の威力はオレの想像を超えるものであったようだ、だがそんな重傷を負ってすらミツハの残る右目は、青い炎のような光を発し続けて見える。


 十数メートルを引き摺られてミツハの足元で止まるイルビスは、自在に絞め付けられるのであろうミツハの操る水鞭に、縊り落とされる寸前まで絞められては意識を失わぬように緩められる、というのを断続的に繰り返されているようであった、周期的に脚が苦しそうに宙を蹴っている。


 ミツハの青い炎をまとう目は足元のイルビスを見ずに、バリアの中のオレを射貫くように見つめていた。

 オレも自身で分かる、今のオレは殺気を込めた目でミツハを睨んでいる……ミツハの無残な姿に心を痛めるよりも、イルビスへの暴虐な行為に怒り、暗い殺意が沸々と心に湧いている……

 僅かな間の睨み合いの後、先に口を開いたのはオレであった。


「ミツハ、もうやめろ……そんな姿になっちまったんだ、諦めて退けっ」

 オレ自身でも驚くくらいの暗い感情の乗った声が出た、ミツハも気付いたのであろう、負の感情は更なる負を連鎖的に呼び込んでくる……

「我が長い生の途で……このような目に遭ったことがないとでも思うか……? 否だっ……こんなものなど生ぬるい、あやつ等が私に与えた地獄は……こんな生易しいものではなかった……私の邪魔は、絶対に許さぬ……」


 その言葉が終わるのと同時であった、それまでの強烈な殺意を上回って掻き消す程の怨嗟の念が吹き付けてくる、大気に黒い色が混ざったように感じるほどの濃い怨念だ、女神がこれほど怨みを持つ事由とは一体……と一瞬思ってしまう、だが今はミツハのその感情を理解する気など無い、エゴかもしれぬが今のオレはイルビスを助けることしか考えない、そう心に決めた。


 バリアですら遮ることのできぬ怨みの念に息苦しさを覚えながらも、オレは歯を剥いてミツハを煽るべく切り出す。

「ミツハ、オレをここから出して勝負しろっ、一対一でお前を倒してやるっ!」

 だがさすがに狡猾なミツハは乗っては来ず、歪んだ笑いに唇から鬼歯を見せながらグイッと左腕で水鞭を引き、足元に転がるイルビスの上半身を引き起こしてオレの方へと見せつけた。


 上へ引き上げられる水鞭に激しく苦悶し、自分を吊り下げる鞭に掴まって絞め上げからなんとか逃れようと、弱々しく痙攣するイルビスの姿を見せつけながらミツハはオレに言う。

「勝負したいのなら自分で出てくるがよかろう、早くせねばイルビスがイルビスではなくなってしまうぞ? よいのか?」


 視界の中で苦悶するイルビスの姿と嘲うミツハの言葉に、オレの中で何かが切れたような気がした、ザワザワとした黒いものが胸の中を蛇のように蠢き始めた気がする。

「ファイ……光弾を撃て」

 ギョッとファイがオレを見る、オレの目はミツハを睨み続け、言葉は陰々と静かに続く。

「バリアが吹き飛ぶ程度でいい、手足の一本二本は覚悟の上だ……頼む、光弾を撃ってくれ」

 だがファイは動かない、オレを黙って見たまま静かに浮いているだけであった。

「頼むファイ、短剣も効かない、内側からじゃ炎も使えない、光弾で吹き飛ばすしかないんだ……」

 ファイを向きそう言うオレへ、ファイは今度ははっきりと首を横に振って応えた、こんなに狭いバリアの空間を内側から爆破すれば、十中八九オレは命を落とすだろうとファイも分かっているのであろう、なにがあってもそれには従えないという意思が強く伝わってくる。


 奥歯がギリッと鳴った、ファイのオレの身を案じてくれる気持ちも、ミツハへの怒りや殺気などの負の感情に飲み込まれて暗い方へと沈んでいってしまう、胸のザワザワが徐々に膨らんでいる……オレはバリアにベタッと手を突き呪詛のような言葉を吐き始めた。

「ミツハ……貴様……殺してやる……殺す……今すぐ……コロス……コロ……ス……コロ……シテ……ヤル……」

 視界がミツハへ向かって閉じていくように狭くなっていく、ザワザワは胸からゆっくりと全身へ広がっていくようだ……ドス黒い感情も膨れ上がり、粘り付くようなその暗闇に心を預けることが快感にすらなっていく……

 凄まじい笑みを浮かべてオレを見るミツハの、その身の内の闇と共鳴していくようであった、バリアに爪がガリガリと音をたてている、指先から血が溢れバリアを伝って赤い縞模様を作り始めた、口からはコロスコロス……と呪詛を吐き続けている、そしてそれが無上の快感に変わろうとしていたその時であった。


「イ……イヤ……じゃ……」


 押し潰されたか細い声が、怨嗟に狂いかけたオレの耳に届く。


「タ……クヤ……堕ち……ない……で……」


 必死に水鞭を掴んでいたイルビスの手の片方が、自分の身体を支える手を離し、震えながらこちらに伸ばされている……


 それだけを言ってから吊り下げられているイルビスは、ゼヒッゼヒッと呼吸のできない苦しさに悶絶する、いや、それだけなどと言えるわけがない……窒息寸前の状態でその言葉を言ったためにどれほどの苦しみがイルビスを襲っているか……


 狭まっていた視界が元に戻った、胸の中の黒い塊が嘘のように消え去っていく、自分でも知らぬうちに涙が頬を伝っていた、苦しさのあまり失神してしまったのだろうか、ぐったりと動かなくなったイルビスに居ても立っても居られない気持ちになり、オレは無意識のうちにバリアを拳で殴り始めた。

 ゴスッゴスッと左右の拳を交互に叩きつけ続ける、こんなことでバリアが破れるわけがないのは分かっている、だが何もせずにいられるわけもなかった、そのオレの様子と失神したイルビスとを見比べチッと舌打ちしたミツハは、今度はオレに見せつけるように指が三本になった右掌を上へ向けてかざす、すると掌の上へスーッと見覚えのあるものが浮かび上がってきた。


 結晶球……見た瞬間心臓がギュッと掴まれるように痛む、魔力炉になる容れ物であった……中が疑似空間になっていてそこに贄を入れるとミツハは言っていた、オレの拳にはさらに力が入りガツンッガツンッと音が響く、皮がめくれたかバリアに血も付いてきた、だがやめる気はない、やめたら可能性が完全なゼロになってしまう……

 しかし、億分の一であろうとも可能性にすがりたいオレの前に、さらにそれは絶望へ向かい突き進む光景であった。


 結晶球を宙に浮かせたまま、ミツハはもう一度右掌を上へ向けてかざす。

 続いて出現したそれをオレは見たことがあった……いや、見るのみにあらず、触れ、吹き飛ばされ、そして戦った……

 掌にゆっくりと現れてきたのは黒く染まった水晶球であり、まるで闇を閉じ込めたようなその中に封じられて浮かんでいるのは……紛れもなく魔王と化したシグザールの角であった。


 黒い水晶球は厳重に封印処理されているのであろう、ミツハは集中して見つめながら口の中で何かつぶやきだした、すると水晶球から薄い透明の膜のようなものが一枚、また一枚とゆっくりと剥がれ落ちてくるのが見える。

 あの薄い膜が封印なのか……見た感じで把握する、もう時間がない……封を全て解かれればあの禍々しい魔気を放つ角がイルビスへ使われる場面を見せられる……それは……それだけは絶対にイヤだ……


「ミツハ……頼む……やめてくれ……なんでもする……だから……お願いだ……」

 バリアにベタリと手を突き、プライドも何もかもかなぐり捨てて懇願する、しかしミツハは水晶球へ集中したまま解封の作業を勧め、そんなオレを一顧だにしていない、声が聴こえているかすらも知れぬその姿へ、それでも諦めるわけにはいかないオレは言葉を続ける。

「イルビスは一度その角で死にかけてるんだ……もう一度そんなものを植え付けられたら精神がもつわけないんだっ……頼むっ……やめてくれっ……」

 しかし解封は止まることなく続き、やがて爛れた凄惨な半顔がオレを向いた時、パラパラと剥がれ落ちる透明の膜の間から闇が流れ落ちるように零れ、花開いたような形に変わった水晶球の中に封を解かれた角が、絶望がそのまま漆黒の結晶と化したような姿を現したのであった。


 角をそのまま掲げてオレに見せながら、ミツハがようやく口を開く、それまで集中していたせいであろうか、声は喉に貼りつくような枯れた声であった。

「わかるか……? 封印を解かれて角がゆっくりと目覚めてきておるぞ……」

 分かる……あの時と同じだ……

 次元の狭間、シグザール城の大テラスで、イルビスの額から引き抜く直前に見た角と同じであった……ミツハの言葉通り目覚めてきているのであろう、あの時と同様に胎動を始めている……


 魔気も漂い始めてきた、薄黒い煙のように視認できる、かなりの濃度であるのだろう、そしてその魔気が気つけになったか、わずかに身じろぎをしてイルビスが失神から覚めたようであった。

 茫とした表情で虚ろな視線を前方へ泳がせていたイルビスが、すぐ眼前にあるミツハの持つ角に気付いた、半覚醒状態の焦点の定まらぬ目が、それでも漆黒の魔素で形成される角をぼんやりと眺め続け、そしてはっきりと記憶の糸がつながったのであろう次の瞬間、大きく見開かれた目には凄まじい恐怖が浮かび上がった。

 叫び声はグイッと引かれた水鞭で圧し潰されてしまう、恐怖の貼りついたイルビスの顔は苦悶に歪むが、目は瞬きもせずに慄きながら漆黒の角を凝視し続けている。


「やめろ……やめてくれ……やめろ……」

 力なく繰り返すオレに、ミツハの乾いて枯れた声が陰々と届いてくる。

「間もなく角が完全に目を覚ます……イルビスが魔力炉になる様を最後まで目の当たりにするがよい、その後、炉の魔力でお前をなぶり殺すのも一興であるな……」

 喉の奥でグググと笑うミツハは、開花した水晶球の中の角に三本しか指の残っておらぬ掌をかざす、すると漆黒の魔素の硬質な輝きを放つ角は、自身の宿る贄に気付いたかのように胎動を徐々に早めていくようであった。


「ミツハ……やめろ……イルビス……イルビスッ……」

 絶望の色を濃く顔に浮かべながらもオレは再びバリアを殴り始める、だがもうその力は弱々しく声も枯れて震えていた、まるで無力な存在の己自身を今すぐ消し去ってしまいたいほどの厭う気持ちが心に広がっていく。

「いやだ……やめろ……イルビス……」

 皮のはがれた拳の血がこびりつき乾き始めたバリアの向こう側で、胎動をさらに早めた禍々しい角がミツハの掌の中へ……それは三本の指にしっかりと握りしめられる。


 縊られている苦悶と角への恐怖でイルビスは凄惨な表情になっている、その彼女の上体を水鞭で引き上げ、背後からイルビスの額の上へ握った角を掲げるミツハも鬼神のような形相で歪んだ嗤いを浮かべている。

 そのとき角の根元が動いているのが目にとまった、オレは目を凝らして愕然とする、その角の根元からはすぐ下にいるイルビスの額へ、早く降ろせと言わんばかりに中央には尖った太い根が、その周りには細い触手のような根が、せり出してきて蠢いているではないか。

 それを見たオレの心は絶望の影が大きく広がり、自分の力では何も成せない無力感がとてつもない重さで上に圧し掛かってきた、情けなさで勝手に涙が溢れていた、ダンッと己の血で汚れているバリアに、握りしめた両手を叩きつけたとき、オレは今まで他人に一度たりとて口にした憶えの無い言葉をつぶやいていた……


「助けて……誰か……助けてくれ……イルビスを……」


――その言葉と同時であった……頬を伝い顎の先から落ちた涙が宙で静止する……


 突然視界に白いもやがかかったように周囲が茫と光って見えていた、ミツハもイルビスもその周りも……まるで一時停止ボタンを押されたように全てが停止していた……

 不思議な感覚でその様子を見ていたオレの肩に背後からポンと手が乗せられる……


「そうだタクヤ殿、その言葉を待っていた……」


 後からの声にハッと身を固くする、そのオレに声は続く。

「君が我らを助けてくれたように、私たちもまたそう望む……君が言ってくれたのだろう? 仲間だと……ならば胸を張りたまえ……そして助けを求めたまえ、私は必ずその想いに応えよう……君がそうしてくれたように……」


 静かで熱い声が聴こえる……肩に乗せられた手から力強い想いが流れ込んでくる……問わずとも声の主はすぐに分かった、振り向いて姿を見たい衝動が湧いた、しかし伝わってくる想いとオレの心は揃って告げる、前へ……イルビスを救え……と。


 視界が通常に戻ったのも突然であった、今の出来事がまるで全て夢であったように目の前の事態は進行している、だがオレの目から絶望の涙はもう失せていた。

 バリアに叩きつけていた左腕が黄金の淡い光を放っている、右腕は蒼い静かな炎のような光を放ち始めた、オレはすぐ横に浮いているファイへ黄金に光る左掌の傷跡を向けて言う。

「ファイ、オレにお前の力を貸してくれ」

 真っ直ぐに見つめて言うオレに驚いた様子であったが、ファイもオレの両腕の光を見てなんとなく把握したのであろう、オレの差し出す掌の光へその小さい手を伸ばし……


 触れ合った瞬間シュルッとファイの姿が消えた、このバリア内はミツハの封印で密封もされている、なので戻ったわけではない、ファイはいる……オレの中に……

 胸の中が燃えるように熱くなる、そうだ、左腕のアリーシアが懸け橋となってファイをオレの中へ導き、そのファイがオレへ力を貸そうと燃えている、ファイの熱い心が文字通り炎のようにオレの心を熱している。

 様子の変わったオレへミツハは怪訝な顔を向けていた、その訝しんだ表情の中に驚きの感情が広がっていく、直前まで弱々しく喚いていた取るに足らない人間が、今は何か違う存在に化けていくようにでも感じたのだろう。


 そのときオレの中にはファイの力が満ちていた……そしてその力がオレの右腕へ届いたのを感じたとき、右腕に纏う蒼い炎は紅蓮の劫火へと姿を変えて顕現した。

 周囲を熱の波動が薙ぐ、オレを包んでいたバリアは水蒸気にすらならずに消し飛び、その膨大な熱量はほとんどが上空へ向けて誘導され碧空を激しく歪ませて見せてから消えていく、僅かに洩れた地を這って広がる熱と衝撃が、しかしミツハすら顔をしかめる程の熱波動となって通り抜けたのであった。


 バリアを破壊し、陽炎の中を進んでくるオレの姿を認めたとき、驚愕からくる放心状態から素早く醒めたミツハはすかさずイルビスを盾に取る、水鞭はオレへのけん制にでもしようとしたのかイルビスの首からははずされ、直接ミツハの左腕が背後からイルビスの首に巻かれてオレへの盾として構えられた。


「止まれっ! それ以上近寄るでないっ!」

 鋭い声と共にオレの足を止めたのはミツハの右掌に握られた漆黒の角であった、イルビスの眼前に掲げられ、いつでもその蠢く根を彼女の白い額へ捩じり込めるという示威を見せつけられる。


 七、八メートルほどの間をあけて対峙するオレへ、憎々し気なミツハの声が届く。

「貴様……ただの人間ではなかったのか……? 何の力も無い虫けら同然であったはずだ……なのに……なんだ、その力は……?」

 爛れた半顔と綺麗なままの半顔が、しかしどちらも憎しみに歪んでオレへと向けられている、蔑んでいた存在に力を凌駕された悔しさが憎悪となって表れているようであった。


「この力はオレのものじゃない……」

 オレの静かな言葉には、ファイの炎で炙られた熱い想いが乗っていた。

「アリーシアが導き、ファイが融合し、シグザールがブーストしてくれる……イルビスを助けるために弱いオレを助けてくれる……仲間の力だ……」

 そう言い放ったオレの目は、ファイの影響であろう炎のような赤光を放っていた、気圧された様子だったミツハの奥歯がギリッと鳴ったかと思うや、睨み返してくるその目は今まで以上に暗い色を湛えていた。


「ならば……戦いの意味そのものを壊してやろう……この角を植え付けてしまえば、その後のお前の戦いは単なる復讐に成り下がるっ! 私同様復讐に狂って戦うがよいっ!」

 暗黒の呪詛のようなその言葉が終わらぬうちに、オレはミツハへ向けて走り始める、だがミツハがその手の中の角を、背後から抱えたイルビスの額へ振り下ろす数瞬の間に届くはずもなかった……

 角の鋭く尖った根がイルビスの白い額へ、突き刺されとばかりに振り下ろされるのがスローモーションのように見える、言葉にならぬ雄叫びをあげて突進するオレであるが、まだ距離は半分も進んでいない、間に合わないっ……と頭によぎった瞬間のことであった。


 それは天空の、眩い太陽の中から黒点となって現れ、黒い閃光を曳くぬばたまの矢と化して、ミツハの持つ禍々しく漆黒に光る角へと突き刺さる。

 ガシャンッ! と勢いの割にはささやかな、薄い硝子の砕けるような音をたてて黒い結晶が飛び散る、だが威力はあったのだろうミツハの手から吹き飛んだ角は、硬い音を響かせてオレの前ヘと転がってきた。


 完全に不意を衝かれて横へ倒れ込むミツハの腕からは、イルビスの身体が離され二人はそれぞれ地に倒れ込んでしまう、それを見下ろすように、飛び散り空中に溶けるように消えていく闇の結晶の中から、ぬばたまの名を持つ、その名に相応しい艶やかな闇色の影の精霊BBがその姿を現し、次の瞬間には地に伏すイルビスの姿を黒霧に変化して包みこみ、跡形もなく掻き消えていった。


 オレはゆっくりと炎色の光をまとう右手で角を拾い上げる、禍々しく胎動する角はしかし、オレの右腕が主であるシグザールだということを理解しているかのように沈黙していた。

 オレの遥か後方、安全と思われる距離を開けた青草の上へ、横たえられるようにイルビスが黒霧から出現してくる、突入のタイミングといいイルビス救出の手際といい、鮮やかすぎるBBの手腕に脱帽であった、そのBBは黒霧から姿を戻しイルビスを護るように傍らに浮いている。


 オレは角を手にミツハへと進む、ミツハは地に倒れた姿勢から上体だけを起こし、きつい表情ではあるがこちらを静かに見ていた。

「この角はシグザールのものだ、返してもらう」

 角を持つ腕を横に伸ばしてオレは続ける。

「そしてシグザールはこうすることを望んだ」

 角を持つ右掌が白熱を始め、白い光はどんどんと輝度を増し、あっという間に掌の中の角は眩い白光を放つ球に包まれる、白光球の中は想像を絶する超高熱であった。


 浄化されていくかのごとく角が燃え上がる、輻射熱すら出さない白光球はシグザールとファイが内側へ全てを封じ込んでいるのであろう、音も無く静かに、だが激しい光と魔王の角の断末魔の様子には、硬い表情のミツハの目をすら釘づけにする滅びの美しさがあった。

 角は青い炎を上げて燃えた……こいつと戦ったオレには分かる、シグザールの無念とイルビスの哀しみを吸った角だ……だからこんな色で燃えるのだろう……

 白光球の中で青い炎は踊り、時折青い火花を散らし、そしてまた炎が踊りを続ける、魔素の塊である魔王の角は炎の中で、不思議と自身の滅びを静かに受け入れているようだとオレは感じた。


 やがて全てが燃え尽き、白光球もまた光の粒をまき散らして消えた、オレもミツハも最後までそれを無言で見つめていた、それからの沈黙を破ったのはオレの方である。

「ミツハ……退け……この地はもう諦めろ」

「……情けをかけるつもりか?」

 見える右目に鋭い光を湛えたミツハが言う。

「いや、そんな気は一切無い、まだイルビスやセルピナ、そしてカノポスから手を引かないのであれば、オレはこの場でお前を焼き尽くすつもりだ……だがな……」

「だが、なんだ?」

「お前は復讐のために生きている……それがいいのか悪いのかなんてオレには判らない、だがお前のその目的のためには……今は退くべき時なんじゃないのか?」


「き……貴様……」

 オレの言葉にミツハはそれだけを言うと黙り込んでしまう、何を考えているかは全く分かりようもない、しかしその表情から殺意や怨嗟のような暗い感情は感じ取れなかった。

 しばしの間沈黙が続き、オレとミツハの視線はぶつかり合う、やがて目を伏せ視線を逸らしたのはミツハの方であった。


「今回は全て貴様にやられた……」

 ミツハはスッと立ち上がるとその背後に白霧が漂い始める、赤く爛れた半顔がオレを向き、鮮血が沫いた跡の残る純白のローブが翻る、三本しか指の残っておらぬ右手の人差し指をオレに向けて伸ばし。


「タクヤ……貴様の名……忘れんぞ……」

 凄惨な姿の原初の女神はその言葉を残し、白霧の中へと消えていく……


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