五十四話 サインとバリアと爆発と



 シュルッと掌の上に浮いていた結晶球が、その掌に吸い込まれるように消えた。


 かわりに水面から新しい水の流れが立ち昇り、結晶球のあった位置に同じようにクルクルと球状にまとまっていく、だが今回は結晶化することなく流体のまま揺らめきながら、結晶球よりかなり大きめのなんとなくな球形を維持しながら浮かんでいた。


 あきらかに戦闘のためであろう、その球の水を武器にするのだろうと予見できる、準備ができた様子のミツハは意外と落ち着いた雰囲気でオレに向けて言う。

「理由の無い人殺しは禁ずとの律で縛られてはおるが……我が行いを邪魔立てするとあらばその限りではないぞ? 歯向かうとあらば容赦はせん」


 非常に勝手な言いぐさであった、邪魔立てもなにも一方的に好き勝手やられているのはこちらの方である、むかっ腹の立ったオレは一歩前に出て傲岸不遜の白い姿へ言い放つ。

「ミツハ、オレたちは自分の身を護ろうとしているだけだ、なにも――」


 言いながらオレは後腰の剣の柄に手を置くフリをして背中に手を回し、背後のイルビスとセルピナに、バレーボールの試合で前衛が後衛に送るがごとく手でサインを作る。

 人差し指と中指でチョキの形にして、その二本の指を互いに前後に動かし、走る脚の動きを表して見せる、そしてその後、今度は真っ直ぐに人差し指でオレの真後ろ方向、つまり正面にいるミツハと逆の方を指差して見せた。


「――なにも歯向かうなどといった悪意があるわけじゃない、だがカノポスはセルピナの家族同然の精霊だ、お前にとってどんなに利用価値があったとしてもヒュプノで操り続けていいわけがない、ましてやイルビスとセルピナを魔力炉になんて……許されるわけないだろうっ、考え直せ!」


 しかし返ってきたのは予想通り、怒気と殺気の入り混じった凶悪なプレッシャーであった、ビリビリと伝わってくる圧力に、鬼歯とも呼ばれる前へ迫り出した犬歯が覗く唇から呪詛のような低い声が伝って来る。

「人間ごときが指図をするな……我が復讐の邪魔をするならば、いかな理由があるとて容赦はせぬぞ……」


 復讐……? 今、復讐と言ったのかこいつ……

「なら……もう話し合う意味すら無くなったか……イルビス、セルピナ、わかってるな?」

 うむっ、はいっ、と斜め後ろから応えがある、同時にミツハの中で攻撃への力が膨れ上がってくるのを感じた、オレは腰を落とした姿勢で短剣の柄に手をかけ、いつでもミツハへ斬りかかれる態勢をとって叫んだ。


「今だっ! かかれっ!」

 と言ってクルッと後ろを振り返る、そして間髪入れずにダッシュに移った、もちろん三人揃ってミツハと反対方向へである、ダダーッとオレを先頭に走り去る三人に、肩透かしをくらってカクッと膝が抜けたようになり呆気にとられた顔のミツハは、しばしオレたちの走る後ろ姿を黙って眺めていた。


「タ、タクヤよっ、逃げてっ、どうするっ、のじゃっ⁉」

 全力で走っているので、切れ切れに言うイルビスの声が斜め後ろから聴こえてくる、訊かれても困る状況ではあった、別に策があるわけでもなかったが、わざわざミツハに誘き出された泉で戦うのはあまりにも不利というものである。


「とにかくっ、泉からっ、離れるっ、のがっ、先決だっ!」

 なんだかもう逃げ回ってばかりだなオレ……と走りながら思ってしまう、逃避的な思考からくる自嘲気味の客観視であろうか、ミツハの圧倒的な力に弱気になってしまっているのかもしれない……いやっ! いかんぞっ! ここでオレが逃げてミツハの思い通りになるということは、イルビスやセルピナが魔力炉の餌食になるということだ……


 だが気持ちが奮い立ってもゼエゼエと息が切れはじめる、全力疾走で二百メートル近くも離れただろうか、泉を含む森の中に開けた広場のほぼ端まで来ていた、少し先には木々の密集度が急に増す森の領域が見えている。

 走るペースが落ち、歩みの速度になるとすぐに足が止まった、この辺でいいかな……と地形を見回して泉の前よりははるかにマシであることを確認する、森が近いのでイルビスの呼び出す木の精霊なども使いやすいであろう。


「完全アウェー状態からは脱出できたかな……」

 肩で息をしながら周囲を警戒しつつ、同じく息を整えている二人に声をかける。

「いいか、これからミツハを本気で倒すつもりで戦う……二人とも、一緒に戦ってくれ……」

 ハッとオレを見る二人の目が、しかしすぐに覚悟を決めた光を宿し、同時に頷いて応えてくれる。


「策はない……だが持てる力の限りやるつもりだ、でももしオレがやられてどうしても敵わないと感じたら……二人とも、その時は全力で逃げろ、いいな?」

 イルビスもセルピナもグゥ……と言葉に詰まった顔でオレを見る、がしかしオレの言葉の意味が分かるのであろう、あえて反対の言葉は言い出さずに視線を地に落とすだけであった……


 二人が魔力炉に使われれば、その力は必ず他者へも悪い影響を及ぼす目的で使用されるであろう、ことはオレたち三人だけの問題ではなくなっていくに決まっている、それだけは阻止しなければというのを、オレの信頼する二人の女神は苦い顔をしながらも理解してくれたようである。


「来るわっ!」

 セルピナの鋭い声と同時に白霧が宙の一点から湧き出し、形作られた乳白色の柱の中から白銀と白の姿を現出させて散り消えていく、背後にはカンナが影のように付き従っていた。

「逃げに徹したわけでなないのだな……」

 不気味な静けさの声とアズライトの瞳が硬質な殺気をまとっている、オレたちが場所を変えただけ、つまり戦うつもりだというのを察した殺気であろう、魔力炉に利用しようとしている二人は生かしておかねばならぬはずだから、主にオレへ向けられた殺気であるに違いない、まったく理不尽すぎて涙が出そうである。


「もう一度だけ訊く、やめる気はないのか?」

「……笑止」

 それが開戦の合図であった、ミツハの掌の上に浮く水の球がざわめくように動き始め、背後のカンナが横へ走り出す。

「セルピナ! カンナを抑えてくれっ」

「わかったわ!」

 オレの背後のセルピナがカンナに合わせて横へ走り出す、互いに影縛りはやっかいだと思っているのであろう、向こうもカンナは対セルピナに当てる気が最初からあったようである、これでミツハへはオレとイルビスの二人がかりということになった。


 先手はオレたちがとった、短剣を抜き放ちミツハへ向かって突進するオレと、岩の精霊を呼び出し、空中に礫弾を浮かび上がらせるイルビスの連携である。

 オレは十メートル足らずを一気に詰めていく、右手に握った短剣を人の姿へ振るうことへのためらいと恐怖心は半端ではない、しかしそれを二人を護るという使命感で押し潰して、ミツハへあと二メートルほどという間合いに入ったときであった。


 壁にぶち当たった。

 人生の、とかいう比喩ではない、視認できなかったが確実に存在する壁……バリアのようなものがミツハの前に立ち塞がっていたのであった。

「ぶぎゃっ!」

 ガツンッ!と自分の勢いがそのままバリアにぶち当たってダメージとなる、跳ね返って地面に転がると、顔から突っ込んだために軽い脳震とうを起こしたようだ、視界がグワンと二重になって歪んで見える。

 バカめ……とミツハが転がるオレを蔑む目で見る、だがオレが転がったことでクリアになった射線へ、イルビスがすかさず地の精霊の轢弾を撃ち込んだ。


 五発の礫が文字通り弾丸と化し、唸りをあげてミツハへ撃ち込まれる。

 ガンガンガンッ‼ とバリアに突き刺さる音が響き、砕けた礫の粉塵が朦々と舞い上がってミツハの姿を朧に隠した。

 クラクラする頭を振りながらこの隙にオレは少し距離をとる、なんだかすごく役立たず感があるのは気のせいではあるまい、塵煙が薄まるまでにイルビスとミツハのちょうど中間あたりまで移動することができた。


 視界が戻って見えたのは、やはり楽観視できない現状である、ミツハの前のバリアは礫弾が命中した箇所に白く細かいヒビが走っているだけで、当のミツハは全くの無傷であった。

「ヒビを入れたか、まあ褒めてやるわ」

 パチンッとミツハの指が鳴った途端に、白いヒビの走ったバリアがザアッと水になり地に落ちて流れる、驚愕であった、その水の量はせいぜい一、二リットルだったであろう、あっという間に地面に染み込んで消えてしまった。


 つまりさほど厚みのない水の膜を結晶化したものが、あの強烈なイルビスの礫弾を軽く防いだということであった、なんという強度か……オレの突進など問題外なわけである……視認が困難なほど透明度の高いそのバリアは、まさに鉄壁と言うにふさわしいものであった。

「くっ……」

 イルビスの悔しそうな声が背後から聴こえる、そのときミツハの水の球からこぶし大の塊がチュポンと分かれ出たと見るや、それがさらにバラッと分かれてかなりの数のパチンコ玉ほどの水弾となって宙に並んだ。


 やっべえ、まず最初にその言葉が頭に浮かぶ、あとは考えるより先に身体が勝手に動いた、イルビスの位置を目の端で確認し、浮かぶ水弾とイルビスの間に仁王立ちになって射線を塞ぐ、短剣は顔の前へ構えて目だけはしっかりとガードする、その途端であった。

「くらえ」

 響いたのはスネアドラムの連打音のようであった。


 ミツハの声に続く連打音と同時にオレの頭の中は真っ白になる、スリングショットで撃ち出された無数のパチンコ玉を全身に受けたかのような感覚だった、銃弾のように貫通するまではいかなかったのが幸いではあるのだが……

 腕、脚、身体、所かまわずめり込む水弾は、鉄よりは比重が軽いためか骨を砕くまでは至らなかった、だがしかしとんでもなく痛かったのは確かである、しかもこともあろうに数発が股間を直撃した……頭が真っ白になったのはそのせいであった。


 地にぶっ倒れて身体をくの字に曲げ、口元からヨダレまで垂らし、半分白目を剥いてピクピク痙攣するオレの向こうではイルビスが肩を押さえてよろめいている、どうやら全部は防いでやれなかったようだった。

 惨憺たる有様である、これほど戦闘能力に差があるとは思わなかった……オレが前衛でミツハに当たれば、五分とはいかぬまでもそこそこ勝負になるだろうと思っていたが、大甘もいいところであった。


 戦闘不能どころか寝返りもうてない状態で地に転がるオレへ向けて、ミツハがゆっくりと歩いて来る、左掌に浮かぶ水の球へ右手をかざすと、その手へスーッと水の直槍が出現して握られた。

 水弾はやはりイルビスがいるために、わざと殺傷能力の低い攻撃ということで選んだのであろう、オレを行動不能にする狙いも含めていたとすると、やはり非常に戦い慣れしているようであった、そしてオレにトドメを刺すべく出現させた水槍は、その目的を確実に遂げるであろう凶悪な殺意を、その鋭い切っ先に乗せてこちらに向けられている。


「タクヤあぁっ!」

 ミツハがオレまであと少しと迫ったそのとき、イルビスの叫ぶ声が響く、同時にヒュンヒュンッと空を切り裂く音が鳴り、二本の細い蔦が鞭のようにミツハへ襲い掛かった。

 そして今度は見えた、陽の光を微かに反射して水のバリアが瞬時にミツハの前に展開されたのだ、もちろん攻撃を警戒して準備はしていたのであろうが、生半可な遠距離攻撃では通用しそうもない対応速度であった。


 バチイッ! とバリアに叩きつけられる蔦であるが、派手な音がするだけで礫弾のようなヒビを入れることすらできてはいなかった、だが二本のうち一本は執拗にバリアを叩き続ける、まるで自棄になっているかのように何度も何度も繰り返し続けている。

 しかしその中、もう一本の方の蔦がシュルッとオレに向かって走り、両の足首をまとめてグルグル巻き始めたではないか……これは……ま、まさか……


 次の瞬間、オレはとんでもない勢いで引き摺られていた、脚に巻かれた蔦に引かれているので当然進行方向は足先へ向かってである、凄い勢いなので両腕は万歳の形になっていた、あくまでもこれはイルビスが必死にオレを救おうとしている行為である、ハタからは拷問に見えるかもしれないが、れっきとした救助活動である。


 ズザアーッと地面を引き摺られて止まった横にイルビスが立っていた、まだ両腕を前に伸ばして蔦を操りミツハを足止めしている。

「タクヤッ、しっかりせいっ! 動けぬのかっ?」

 イルビスが泣きそうな声で心配している、引き摺られたダメージも加算して虫の息状態のオレであるが、そんな声を聞いてしまったら動けなくても動かにゃならんと気合が入るのが、悲しいかな男の性分であろう。


「ぬっ……ぐぐぅ……」

 水弾による痛みは幾分和らいできている、部分的にダメージがあるがなんとか動けそうであった、唸りながらガクガクと身を起こしてみると、やはり股間が一番ズキズキと痛む、ゆっくりと深い呼吸をして沈静効果を期待すると、ようやく腹に力が入り立ち上がることができたのであった。


「ファイッ!」

 呼び出すオレの声にシュルッとファイが現れる。

「ミツハのバリアに一発撃ち込んでみてくれっ」

 オレが言うなりすぐに構えの体勢に入るファイの、真っ直ぐ伸ばした右手からシュッ! と白く輝く光弾が放たれる、弓猿を吹き飛ばして体に大穴を開けたものよりも少し大きいように見えた。


 イルビスが攻撃を続けながら光弾には当たらぬよう器用に蔦を操作する、蔦で死角にでもなっていたか、ミツハが光弾に気付いたのはバリアに当たる直前のようであった。

 ハッ! と白い光を認めたミツハの前でバリアに光弾が突き刺さる、どうだっ! と期待を込めて見つめる……が、あれ……?

 光弾はバリア表面に着弾したまま止まっているように見えた、ボワッと広がりバリアに潜り込んだとでも言えばいいのだろうか……光弾と周囲のバリアが混ざりあってなんだかブクブクしてるように見えるんだが……


 それから刹那の出来事であった。

 ミツハがバリアから飛び退って離れた、右掌を前へガードするようにかざしている、持っていた水槍は放り捨てられていた、同時に広がった光弾のブクブクが周囲のバリアごと突然グワッ! と膨れ上がる、光弾を中心に膨れ上がったエネルギーが、凶暴な破壊力を伴ってその内圧を解き放つ準備を終えると……

 次の瞬間、バアアァンッ! と激しい爆発音と共に白い水蒸気が朦々と立ち昇る、爆風がオレとイルビスにも叩きつけるように届き、湿り気を含んだ熱気がドッとぶつかってきた。


「な、な、な……」

 まさかこんな爆発が起きるとは思っていなかったオレは驚きで声も出ない、お前何かやったのか? という目で横に浮くファイを見ると逆に、お前何驚いてるんだ? というような様子で見られてしまった。

「す、すごい水蒸気爆発じゃな……」

 はっ! な、なるほど……イルビスのその言葉にやっと理解できた、結晶化した水にファイの光弾を当てるとあんな爆発が起きるのか……そういや溶融金属と水での爆発事故ってのをどこかで習った覚えがあるな……だが、そうと解ればなんとかあの強大な力を持つミツハに対抗できるかもしれない……

 イルビスもオレと同じように考えたようだ、地系や木の精霊を好んで使役するイルビスであるが、その気になれば火の精霊だって呼べるはずである、力の差がありすぎて勝てる気がしなかった先程よりはマシな状況になってきたかもしれなかった。


「ミツハが見えないな……どこから来るかわからん……気をつけろっ」

 遅れて地を這うようにやってきた朦々たる水蒸気と、残る熱気に顔をしかめながら辺りを窺っているイルビスが頷く、ミツハは爆発直前の一瞬に飛び退ったように見えた、手でガードもしていたようである、いくらあの爆発とはいえ致命傷を負っているとは思えない、とはいえ多少のダメージは期待するところではあるが……


 ふっと目の端に何か動く物が映った、上の方である、どこからか放り投げられたように、バレーボール大の球形のものがポーンと放物線を描いて大きく山なりに飛んできた。

 そのあまりにものんびりとした飛来に警戒心が鈍ったのと、あれはなんだ? という疑問の方が先に立ってしまい行動が遅れた、水の塊だっ! と気付いたときにはそれはもうオレの頭上一メートルほどに来ていた。

 そこで突然水塊はぶわっと破裂するように広がり落ちて、オレとファイを水の膜の中へと包み込んでしまう。

「しまった!」

 足の下まで完全に包まれた感覚がある、途端に水の膜は結晶化してしまったようだ、イルビスに気をつけろと言っておいてこれである……なんとも容易に閉じ込められてしまったオレとファイは、掃除用具入れのロッカーよりは幾分広いくらいの空間にミツハのバリアで封じられてしまったようであった。


「タクヤっ⁉」

 透過率の高いバリアにベタッと手を着くオレを見て、閉じ込められたのを察したイルビスが驚いて呼ぶ、情けなさすぎる不覚であった、この狭い空間で閉じ込められるとファイの光弾でバリアを吹き飛ばす訳にもいかない、この至近で爆発しようものならタダじゃすまない、下手したら死ぬ……

 短剣を突き立ててみる、すると刃の青い光に氷が解けるようにゆっくりと、ズ、ズズッ……と剣身が通っていき、やがてズボッと貫通する、しかしよしっと思い引き抜くと細長い貫通痕はスルスルッと元通りのキレイなバリア面に戻ってしまった。


「くそーっ! ファイッ、光弾じゃなく火で焼き切れないか?」

 オレの言葉にウムッと頷いて応えるファイだが、バリアの向こうからイルビスが慌てて叫ぶ。

「やめんかっ! そんな狭い場所で炎を使えば窒息するじゃろうがっ!」

 オレとファイはそれを聞いて、ええっ⁉ マジで? となる。

「おそらく結晶化と封印術の応用じゃ、密閉されてるはずじゃぞ、試しにファイよ戻ろうとしてみよ」

 言われたファイが、ム……と静止する、どうやら戻ろうとしているらしいがすぐに、ダメだわ……という感じで首を振った、封じられて閉じ込められたということである。

 おっかねえ……あと少しでファイの炎で酸欠死するところだったのか……ヒヤリとした汗が背を伝う、そこへイルビスがこちらへ掌をかざしながらオレたちへ。

「待ってろ、今私が火の精霊で……」


 しかし突然言葉はそこで途切れ、グッ……カ……という押し潰された音に変わった。

 見るといつの間にか薄まっていく水蒸気中から細い水の鞭が伸び、イルビスの首を巻いていた、首に巻き付く水鞭を掻きむしるように掴もうとするイルビスの顔は、あっという間に赤を通り越して紫に近くなってきている。

「イルビスーッ‼」

 バリアの中からオレは叫ぶ、するとオレの声に反応するように水鞭がほんの少し緩んだようだ、イルビスの顔の色が戻っていきヒュゥヒュゥという呼吸音も聞こえてくる、姿は認められないが怒りにまかせて力を振るったミツハが、イルビスを殺してはマズイと我に返った様子が見てとれるようであった。


 しかし事態は最悪のままである、巻き付いた水鞭がそのままイルビスを引き始めたのだ、引かれて地面へ倒されたイルビスが容赦なくズルズルと引き摺られていく、首を巻かれているので必死で水鞭を掴んで耐えているその顔は真っ赤に充血し、溢れる涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「うおおおぉっ‼ ここから出せええっ!」

 そのイルビスの様子を見たオレは、狭いバリアの中で結晶壁を殴り蹴って暴れまくった、もちろん傷ひとつ付かないが諦める気も止める気も全く無い。


 しかしその時、イルビスの引き摺られていく先から声が聞こえた。

「やかましい……黙って見ておれっ」


 地の底から湧き上がるような声がオレを黙らせ、そして消えつつある水蒸気の向こうから白い影が現れはじめる……


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