五十三話 実験場とペットと角の贄と
「なぜカノポスをカンナの身体に入れた?」
ニヤつくだけでなかなか明瞭に答えないミツハに、オレはだんだんムカムカしてきていた。
闇柩が減衰消滅して二十年余りが経過している、予想が間違っていなければ当然その当時から現在まで、カノポスはミツハにヒュプノで操り続けられているということになる……
オレにそれを悟られたという事実に目の前の白い女神は微塵も悪びれる様子がない、むしろ腹の底に怒りを溜めてきたオレを見て喜んでいるフシすらあるようだ、わざと長い間をおいてから話し始める。
「ヒュプノとて万能なわけではない」
その行為もオレが気に食わないと察してやっているのであろう、愛情の全くこもらない掌でカンナの頭を撫で続けながら言葉を継ぐ。
「かけられる者が禁忌としていたり、強い使命感に反するような行動をとらせようとすると拒否反応が出る、ヒュプノや洗脳操作の基本であろう」
「カノポスの……カンナを護るという使命感に反しないための手段だったのか……」
「そうよ、まず少女の亡骸が狙われているという強迫観念を植え付けるのだ、見知らぬ者を襲撃者と思い込ませれば、攻撃への禁忌を簡単に取り払うことができる、その上で私を味方だと刷り込めばなんとも従順になることよ、護る使命感を持つ者を操る一石二鳥の手であるな」
せせら笑うように言うミツハへ、地へへたり込んでいたセルピナが身を乗りだして何かを言おうとするが、オレはそれを手で制した、セルピナは止めるオレにも何か言おうとしたが、オレの表情を見た途端ハッとして口をつぐみ引いてくれた。
「カノポスがずっと操られていたのなら話はつながってくる……二十年前からここは実験場だったということか……」
オレのこの言葉で、嘲りがほとんどであったミツハの表情に、ほう? というようなエッセンスが加わる。
「一応訊いてやろう、なぜ実験場だと思った?」
鷹揚に腕を組み、顎を上げて尊大な姿勢でオレの言葉を促している。
「影の精霊を入れた猿に、弓を持たせる意味を考えたんだ……」
ミツハの表情を観察しながらオレは言葉を継いでいく。
「もしこの森の中限定で、何かを護る目的しかないのだとしたら……もっと地形を考慮するはずだと考えた、だとすれば弓とは別に短剣や棍棒を使う猿も揃えるはずだ、森で射手のみだと能力を生かしきれないからな……でもそれをせずに弓しかいないのは、最初から弓を使う猿だけを造る目的だったとしか思えない……」
フンッと鼻を鳴らすミツハだが嘲る様子はない、ということは正鵠を射ているということだ。
「ならなぜ弓猿なのか……単純な護衛や兵力としてならもっと戦力になるヤツもいるだろうにだ、肉食の猛獣でも体躯の大きな獣でもいい、猿なんかよりずっと強いだろうさ……でもそれらを選ばずに猿を選んだ、それは猿に最も適した……いや、猿にしかできない役目があるためだろう……」
ミツハがオレを探るような目つきになってきている、警戒し始めてるようだ……
「で? その役目とはなんだ?」
面白くもなさそうな声で急かすミツハに確信を得てオレは口を開く。
「フードローブを纏えば子供くらいに見える見た目、木や建物の壁面をつたい登ることもできる身軽さと俊敏さ、そして弓を扱うことのできる手を持っている唯一の動物である猿……操られた精霊の入る猿は……理想的な暗殺者になるだろうな」
左右からイルビスとセルピナの息を飲む音が聞こえる、ここへの移動中にオレが話した最悪のケースの話がやっとつながったのかもしれなかった。
「貴様……よもや猿に弓を使わせただけで暗殺者という答えを出したというのか?」
露骨に疑いのまなざしでオレを見ながら、それでも好奇心もあるのであろう、オレの用兵の知識がRPGやFPS、戦略シミュレーション等の各種ゲーム由来などということは、知る由もないはずである。
「いや……弓猿の射撃のクセで気が付いた」
「射撃の……クセだと……?」
「ああ、弓猿に入れてる影の精霊には、全て同じ弓術をヒュプノで焼き付けてるだろ? 何発も射ち込まれてるうちに気が付いたんだが、予測射撃が走る相手に対しては少し遅れ気味になっている……だがそのくせ狙った場所への命中精度は高い……つまりあまり動き回っていない相手に確実に当てる仕様だってことだ、つまり……」
「……言ってみろ」
オレの話の途中でミツハはだんだん笑うような表情になってきていた、もちろん目つきは鋭く善意の欠片すら感じられない笑いではあるが……それでも話を楽しみつつあるように見てとれたのである。
「相手と面と向かって高速戦闘するようには造られていない、逆に気付いていない相手を陰から狙撃するのに特化している……戦闘がある前提で前衛を造っていないのなら、もう暗殺者としか考えられないということだ、殺傷能力は毒矢を使えば十分だろうな……だが毒を使わず、無差別に襲わせているのは実験段階だからなんだろう?」
「ク……クククク……」
ミツハが笑っていた……歪むように笑っている口元から、抑え気味の笑い声が漏れるように聴こえてくる、ひとしきり笑ったあと沈黙していたオレに言う言葉は少し楽しげに聞こえてきた。
「よかろう、認めようぞ、お前の言う通りだタクヤよ、イルビスがこの地に来てそちらにばかり気を取られていたが……ただの付き人程度にしか思っていなかった人間がこれほど曲者だとはな……クッククク……」
なにがそんなに面白いのかはよく分からないが、どうやらだいぶ機嫌がいいようである、これに乗じて最も気になっていることを訊き出せるかもしれない……そう思ったオレはミツハの気に障らないように切り出した。
「ミツハ……シグザールの角をどうする気だ? あれはとんでもなく危険なものだと……お前なら分かるだろう……?」
「ふんっ馴れ馴れしく呼びおって……まあよい使い道は決まっておる、魔力炉にするのだ」
「魔力炉……?」
機嫌を損ねることなく聞きだせた、しかし聞いたはいいが意味が分からず、助けを求める意でイルビスへ向いた、するとなんとイルビスは真っ青になりワナワナと唇を震わせてるではないか、オレは瞬時に察する、魔力炉とは少なくともとんでもなく最悪な代物なのであろう。
「二千年前の魔王には惚れ惚れしたぞ」
イルビスに向けられた言葉である、シグザールの角の話になりイルビスが当事者だというのをしっかりと承知している口調であった、二千年前の侵略戦争は知っててもおかしくはないが、ミツハの様子ではもっと深い内情をも把握しているようである。
「さすがに回廊を捻じ切るとは思わなかったがな、だがあの驕り高ぶった物質界の阿呆どもが何万と八つ裂きにされていく……想い出しただけで身体が熱くなってくるわ……」
言葉通り自分の身体を抱きしめるように腕を回し、真っ白な顔にはわずかに朱が走り上気しているようである、シグザールの行動に対して肯定的な様子が意外であった。
「回廊が切れたのには怒ってないのか?」
「当然だ、回廊が捻じ切られ往来の道が無くなって以来、この二千年間どれほどこの精神界が平穏であったことか……さすがの私とてあの欲に狂った物質界の人間どもとは相容れぬ」
「ぶ、物質界の人間ってそんなに酷く思われてたんだな……他の女神たちや精霊たちもそんな風に考えてるんだろうか……?」
「全てではないにせよ多くはそう思っておるだろうな……にしてもタクヤよ、お前人間のくせにずいぶん訳知りのようであるな? 一体……いや……まさか、お前……」
「え? な、なに……?」
「次元の狭間で魔に堕ちたイルビスが暴れたのは探知で分かっておる、こちらの世界とつながっていたのだろう、魔素と瘴気の波動が尋常じゃなく伝わってきたぞ……だがイルビスと闘ったのが何者かは知れぬ……噂で叙勲された人間がおるらしいと聞いたが……」
そう言うとミツハはジロジロと、オレを値踏みするように上から下へと観察する、なんだか情けない感じのオレにそんなことできるのだろうか? と逡巡しているのが見るからに分かる顔をしている。
「まさか……お前が……?」
「う、うん……そうみたいね……」
今度は笑われなかった、ようやく感心される域に入ったようである、それでも人間にしては……という前置きが付くようではあるが。
「ところで、さっき言ってた魔力炉ってなんだったんだ?」
オレがそう訊くとミツハは含みのある視線でこちらを見ながら、左手をスッと前に出す、すると足元の水面から一筋の水流が立ち昇り、ミツハの左掌の上にスルスルと集まっていくではないか。
オレの常識外の動きをする水に目が釘付けになっていると、掌の上の水はまるで透明の容器がそこにあるように綺麗な球形を形取り始めた、大きさといい神秘的な透明感といい、占い師がステータスにしている水晶球そっくりである。
「これは私の属性力で創りだした水の結晶球よ、どうだ、美しかろ? 中は疑似空間になっておってな、ここに魔王の角を植え付けた贄を入れて封じるのだ、さすれば贄が力尽きるまで魔の力を抽出することのできる炉が完成するのよ」
掌の上に浮かぶ結晶球をオレに見せながら自慢げな様子で説明をする、それはいいのだが……オレは一部の言葉に引っ掛かった、角を植え付けた贄……贄ってまさか……贄という言葉とイルビスのひどく青ざめた顔がオーバーラップする……
「おい……その角を植え付ける贄って……もしかして……」
オレも青くなって慌てて尋ねる、だがミツハはまるで聞こえないように話題を変えて話し出してきた。
「タクヤよ、貴様先程かけられたヒュプノを自力で解いておったな、あれは何をしたのだ? 突然すごい顔をして叫び出したように見えたが……?」
下手に注意などして機嫌を損ねるのも困るので、やむなく先にミツハの問いに答える。
「あ、あれは怪我した傷口を握って……痛みで覚醒した……」
尻を怪我した理由は訊かれませんように……と念じながら、面白そうな顔をして、そうかなるほどな……と頷いているミツハへ、今度はこちらの番だと再び尋ねる。
「なあ、贄っていうのは……」
と言い出した途端にまたミツハが口をはさむ。
「タクヤよ、貴様、私のペットにしてやろう」
涙が出そうになった、もちろんペットになる感涙ではない、話が進まないイライラが原因である、これはさすがに少し強く言った方がいいか……と決めて切りだす。
「ミツハ、あのな……」
「気付け愚か者っ」
逆に怒られた。
「私はお前たちにかけさせたヒュプノは何のためなのか? と問うてやっておるのだぞ、ペットならばもっとよく察しろっ」
かなりの無茶振りとペットの確定通告がきた……だがそうだ、カノポスの不意打ちヒュプノの理由がまだはっきりしてなかった……ミツハの言ってるのは贄のことと関係があるということなのだろう、だとすればやはり……
「あのヒュプノは贄を確保する目的だったのか……ならオレたちが贄だということなのか……?」
「思い上がるな、人間なぞ贄になれるわけもなかろう、魔王の角を植えられれば半日と経たずに吸い尽くされて跡形もなく喰われるわ」
「じゃあ……炉ってのは……角を植え付けられた女神を封じて作るというのか……」
オレのその言葉にニイッと口元を歪める白い姿は、もはや人の形をしているだけの人とは相容れぬ異質な存在にしか感じられなかった、根源的な恐怖が先に立つが、そんなことを言っている場合ではないようだ。
「ミツハ、イルビスやセルピナにそんなことは絶対させない、カノポスも今すぐヒュプノから解放してもらう」
引け気味になる腰に力を込め、背筋をしっかりと伸ばしてオレはミツハに宣言した。
左右には二人の女神が立ち上がり、オレと共に白い姿へと向き合う。
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